第十八話『森の町』
大陸暦一三五八年、八月一日――
港湾都市ニプモスを発ったリンダ達は、丸二日を歩き通してキュリール島北東部のグリンクパース森林地帯に辿り着いた。島内の巡回バスは運行停止に陥り、インフラは滞っている。幹線道路は軍や警察の車輌によって塞がれ、人の移動は徒歩に頼らざるを得ない。
「お婆ちゃん、この森で良いのよね」
「あぁ、この森の奥に、精霊のための聖域がある」
かなりの距離を歩いたはずのリンダは、今にも跳ね回りそうな程に心を弾ませている。カリエは自身の周りを漂う精霊達が、そわそわしているのを感じながら答えた。
「僕はここに来るのは久しぶりだね。あの時は精霊達に追い出されたよ」
「先生、出禁になってませんか」
「なってるだろうね」
エリックの指摘に、ニールは涼しい顔で答えた。探究心と好奇心が人一倍で済まない程に高く、それ故に行く先々で少なくないトラブルに見舞われる。札付き曰く付き、そういう意味でもニールは有名な考古学者であった。過去によほどの事をしでかしたのか、カリエの精霊もニールには近付こうとしない。
「懐かしいな、こんなに大きな森を見たのは十年振りだ」
「君の時代は、荒廃していると言ったな。森さえないのか」
「あぁ。あっても薄緑の茂みがポツポツと、だな」
感嘆の意を示すカーンにそうか、と返すと、サイクスは自分の知っている精霊の森が大きくその面積を減らしている事に、内心驚いていた。ニプモスから続いた、舗装された幹線道路の半分は森であり、道も馬車は一台通れれば重畳な小路であった。それでも、リンダ達にとってはこれが今の森であり、カーンから見れば、無くなって久しい旧い自然の姿であった。
「さて、休むのはもう少し進んでからだよ」
「分かったわ。お兄ちゃんや先生は大丈夫?」
「僕達は問題ない。サイクスとカーンはどうだ?」
「俺達は大丈夫だ。行くなら行って休もうぜ」
地図を確認して、森に向かって歩き出す。道中で迷子のニダモアを入手出来た事は、一行にとって幸運だった。ニダモアは大型の陸棲鳥類で、ダチョウやエミューと似ているものの、馬のように家畜化されている。蒸気文明時代に、歩行に適した脚の構造研究のためにシージョ大陸から持ち込まれたものが繁殖した事で、キュリール島にも棲息しているのだった。
「頑張ってねフィズ、着いたらあなたの分もご飯出すから」
リンダがフィズと名付けたニダモアは、即席の鞍に荷物が括り付けられている。騎乗に適していないわけではないが、この場合は荷物持ちが妥当とされた。
「しかし今更だが、この鳥って見た感じ家畜だよな。野生の個体もいるのか、どこかの牧場から逃げてきたのかが気になるな」
フィズの手綱を引くリンダに、カーンが話し掛けた。仮に、牧場からの脱走であれば、いずれは持ち主に返さなければならない。懐かれてしまえば、いよいよ買い取るしかなくなる。ニダモアは馬ほど高価ではないものの、決して安くはない。
「心配いらんよカーン君、持ち主に見つかったら、手厚く保護してついでに荷役を手伝って貰ったとでも言えばいいし、それまでに死んだら焼いてバラして、素知らぬ顔で逃げればいい」
真顔で口を挟んだニールに、各方面からブラックリストに放り込まれる理由が察せられた。リンダとカーンは引き気味であったが、エリックとカリエは慣れたもので、サイクスの表情は読めなかった。
グリンクパースの町に入れたのは、夕刻近くになってからだった。やはり軍や警察による検問は多く、またニプモスから逃れた避難民が少なからず見受けられた。リンダ達は港付近しか知らなかったが、場所によっては思った以上にマンスィスに荒らされていたらしい。着の身着のままという人々が保護を求めていた。
「今から森に入るのは危ないね。今日は宿を取って、明日の朝から行くとしよう」
カリエの言葉に従い、一行は動物を繋げられる宿を探す事にした。グリンクパースは人間よりも亜人や妖精の類が多い。小柄ながら極彩色の羽根が目を引く鳥亜人が案内を買って出ていた。年季が入った声色はしゃがれており、立ち振舞いは貫禄がある。
「いつもは観光案内だけど、今はお役立ちの買い物や宿の情報を提供してるぜ。何がいい?」
「ニダモアを連れているんだが、一緒に泊まれる宿を探してる。あと、野外炊具と食料品も買いたい」
「荷役動物が一緒なら、中心街からもう少し森の方に行くと、ガーヴィネーって奴が経営してるコテージがある。大人数で泊まっても手頃な値段だし、馬でも鳥でも繋いでオーケーだ」
「ありがとう、行ってみるよ」
チップを払い、エリックが礼を言う。こういった場では、国家認定の肩書が物を言う事もあるため、リンダよりも率先して前に出た。同じ肩書を持つニールは、色々とあてにならない。案内役の鳥亜人がまいど、と言った時に細めた目の光を、カリエは呆れた顔で見ていた。
「中心街から森の方へ……とは聞いているけど、どのくらいなんだろう」
「コテージって言うくらいだから、中心街から結構離れるんじゃないかな?」
町の中心を示す、風竜の噴水広場を抜けて、北通りへと足を運ぶ。不要な外出は控えるようにとお達しが出ているものの、グリンクパースの住民の多くは亜人や妖精である。人間よりも身体能力では勝っているためか、そこまで市井は閑散とはしていなかった。
「すいません、ガーヴィネーという方が経営しているコテージに行きたいのですが、この道で合ってますか?」
「えぇ、大丈夫よ。あなた達も、精霊使いね?」
何気なく道を尋ねたエルフの女性が、エリックに返した。
「いや、精霊使いはあたしだけだよ」
「そうなの? そっちの女の子も使えそうな感じだけど」
「使えなくはない、といった所ね」
代わって言葉を返したカリエが、分かるのかという視線を送る。エルフの女性は懐から赤銅色のリスを繰り出し、肩に乗せて見せた。
「私も精霊使いだから、なんとなく感じちゃったわ」
「そうんですか、それでは、どうも」
一礼して、一行は再び歩き出す。リンダの背を見送るエルフの女性の視線が、どこか訝しげだった事に、気付く者はなかった。
「……奴のコテージなら、そろそろだよ」
「お婆ちゃん、知ってたの?」
「知ってはいるけど、相変わらずな奴だと呆れてたのさ。ほら、あそこに飛行機が置いてある」
日がほとんど暮れ、夕焼けに照らされてシルエットを浮かび上がらせるだけになった、路傍の木が増えてくる。ほとんど林道に差し掛かった頃、少し開けた土地に置かれた飛行機が特徴的な、コテージの影が見えてきた。その事を知っていながら黙っていたカリエに対し、リンダは怪訝な視線を送る。
「行ってみれば分かるさ」
先手を打ったカリエの言葉に、リンダは口を噤んだ。それでいて、細目で睨むのを忘れない。
見た事もない異形の翼に、サイクスは興味を引かれている。カーンは記憶の片隅に眠らせていたシルエットを呼び起こす。
「こいつはルンビーカ80、ファルコだな。上下二枚の複葉機、レンストラ大陸戦争にも導入された、傑作機だと聞いている」
「ふむ、翼のような物があるという事は、飛ぶのか?」
「あぁ、一三〇〇年代になって動力飛行機が発明されて、それから二十年と経たずに軍用の戦闘機が作られた」
「軍用の空を飛ぶもの……飛竜騎兵よりも速いのだろうな」
「そりゃあな。地上で戦車が騎兵を、空で戦闘機が飛竜騎兵を、主役の座から引き下ろしたんだ」
サイクスに説明するカーンの様子を見て、ニールとエリックが舌を巻く。カーンも歴史マニアなのだろう。世界が崩壊していなければ、同じような考古学者になっていたのかもしれない。そう思うと、惜しいな、とニールが小さく洩らした。
「ようこそ、私のコテージに。オーナーのリカルド・ガーヴィネーです」
受付小屋に入った一行を待っていたのは、町で観光案内をしていた鳥亜人の初老男だった。リンダはカリエの表情の意味を理解し、他の面々も苦笑いで返すしかなかった。ガーヴィネーは恭しい表情を崩さない。
「そんな顔しないで下さい、先ほど頂いたチップの分は値引きしますよ」
「六人で一泊、ニダモア一羽を連れているので、繋ぎ場もお借りしたい」
「それでしたら……宿泊と繋ぎ場と夕食込みで、チップの分を差し引いて、七九〇ヒネリオになります」
エリックは財布を覗き込んだ。一〇〇ヒネリオ紙幣はそれなりの枚数を入れていたはずだが、ニプモスでの旅支度で心許なくなっていた。ただでさえ、生活費を切り崩して旅の資金に充てている。そして、国家認定があるとは言え、考古学者の収入は芳しくない。ましてやエリックは他の研究者の助手という立場である。リンダがほとんど学もなしに働いているという事実が、決して裕福ではないルビィ家の実情を物語っていた。
「エリック君には色々と物資を調達してもらったからね、ここは私が出そう」
教え子の窮状を察したのか、ニールが助け舟を出した。一〇〇ヒネリオ紙幣が八枚、カウンターに置かれる。ガーヴィネーは紙幣を数えると、再び口許を歪ませた。どうにも人に警戒心を抱かせる、というよりも、本当に鳥亜人なのか疑わしい気配を放っていた。
夕食はコテージの外の調理場を使う事になった。昔は新月の日とも呼ばれていた一日は、月のない夜ではあるが、その分だけ星が瞬いている。ガーヴィネーが用意した夕食のメニューは、肉が少なく野菜を中心とした、とろみのあるスープだった。香草や薬草がふんだんに使われ、どちらかというと薬湯に近い。決して味は悪くないのだが、独特の臭みのようなものは感じられた。
「なんか、すごい味ね、これ……」
リンダが思わず顔をしかめる。エリックとニールは割と慣れたものなのか、特別に言う事はなさそうで、カーンは野菜や香草の料理そのものが貴重なため、有難がって啜っている。サイクスは飲む必要こそないものの、匂いや色合いで何かを感じ取っているようだった。カリエは全くもって動じていない。
「ここに止まる方は、精霊の森に入られる事が多いのです。なので、清めのスープを出させて頂きました」
「清めのスープ……この香草や薬草が、お清めになるの?」
「えぇ。明日の朝にでも、体の中のものも外へ出て、綺麗さっぱりと言ったところでしょう」
ガーヴィネーが得意げに答える。その素振りは、リンダ達が精霊の森に風竜ミュルコ・モースを訪ねる事を知っているかのようであった。ここに来て、ずっと憮然としていたカリエが口を開いた。
「精霊石が底をついたんでね。あたしの計算なら、ニプモスでの騒ぎを加味しても、もう少し持つはずだったよ」
カリエは憮然としていたというより、言い出すタイミングを見極めていたといった方が正しかった。ガーヴィネーの視線が鋭くなる。計算高いカリエが見積もりを誤る事などあるのか、まるで別の誰かに精霊魔術を使われたのではないか、とも思っていた。
「お嬢ちゃん。あんた、あたしの精霊と精霊石を使った事、覚えていないかい?」
老いたカリエの視線に鋭利なものが宿る。カーンとガーヴィネーは同時に目を見開いた。
森林都市グリンクパース
キュリール島北東部に位置する小都市で、ニプモスから北回りに移動する時の交通の要衝として発展した町である。
古くは北東部一帯を占める、グリンクパース大森林があり、キュリール王国建国の際に大規模な開発が行われた。
魔法文明、蒸気文明と時代が下るにつれて、森の面積はみるみるうちに減少していったが、風の竜王ミュルコ・モースが
精霊の森として残した聖域は残される事となった。その頃には幹線道路が開通し、グリンクパースは交通や流通の要衝、
避暑地や観光地として栄える事になる。主な産業は観光業で、住民の大半を占めるエルフやホビットが森の案内をしている。




