第十七話『神の舞台装置』
大陸暦一三五八年、七月三十日――
キュリール王国各地を震撼させた襲撃事件から五日が経った。夕刻になって王都ジョーギンへと帰り着いたキスウィーとロックを待っていたのは、完全武装の警察や軍の特殊部隊だった。
建国から七百余年を数え、重ねた年月に相応しい情緒ある街並みは、完全に観光スポットとしての色を失っており、夜間外出を制限されて家路に急ぐ市民でごった返していた。
「道中の検問もあったが……こりゃ戦争だな」
「あれからニプモスは落ち着きを見せましたが、西側はそうもいかなかったようですね」
何度目か数える事も忘れた検問で、警察手帳を見せて敬礼で返されるやり取りを済ませると、二人を乗せたパトカーは警察本部へと向かった。本部も護送車や装甲車でバリケードが張られており、着剣済みの小銃で武装した警官が物々しく構える様は、もはや要塞の様相を呈していた。
「……以上が、東部港湾都市ニプモスでの状況報告となります」
「水竜ソキュラとマンスィスの一団以降の襲撃者はなく、状況は安静に向かっている、か」
「まぁ、火事場泥棒は出ますが、概ね安定です」
刑事課に戻った二人が警部に状況を報告する。同僚も上司も疲れた顔で、机に突っ伏したりソファに寝転がって仮眠を取る者もいるなど、状況の逼迫が嫌でも伝わってくる。
「恐らく、ニプモスは陽動だ。本命はツアンカかアーカルだろうと考えられる。基地や飛行場の近いアーカルに至っては、今なお戦闘が散発的に起きているとの事だ」
「でしょうな。ジョーギンの守りは軍より警察の方が多いように見えたので」
「そうだ。おかげで署内の武器庫が空になるんじゃないかという勢いだ」
ジョーギン市内の警備は、人手も装備も、警察の方が治安維持に大きく割いている。キスウィーがそう感じたのは、軍の装備品にあった。確かに特殊部隊まで投入しているのだが、車輌が輸送トラックや装甲車止まりだったのだ。治安維持ならばその程度でも問題ないが、陽動とされたニプモスでさえ、潜水艇に搭載された重機関銃と小口径砲で散々な目に遭っている。せめて戦車が欲しいところだった。
「して、明日からは我々も街の警備に当たりますか」
「いや、君達には引き続き遊撃隊として動いてもらいたい」
警部の言葉に、キスウィーとロックは目を丸くした。
「俺達はあのお嬢ちゃんの警護とな」
「どちらかと言うと、彼女と同行していると思われる、サイクス・キュリールの警護でしょう」
二十の刻限を回り、夜の帳が静寂を伴って王都を包み込む。その静寂は市民の外出制限によるもので、いつもの夜の賑わいは無かった。まるで深夜のように灯りの落ちた街を歩くキスウィーとロックに、警官や兵士からの怪訝な視線がいくつも投げ掛けられた。堪らず、二人は路地裏に足を向けた。
「明日から、か。分かっちゃいるが、休む暇もないな」
「家に帰る暇すらない人もいるんです。それに比べたら幾分か、でしょう」
「そうだな……ん、なんだこの酒場」
「この状況下で店を開けてるんですか、いい度胸なのか何なのか……」
車一台分の幅しかない路地裏の角に、さして大きくない酒場が店を開けていた。表通りが軒並み店じまい、路地裏に入っても二人の刑事の姿を見て灯りを消す店が目立つ中、この酒場は暢気にも代わらず営業中であった。一言入れるついでに飲んでくか、キスウィーはそうぼやくと、ロックには目もくれず酒場に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
「二人だ。カウンターいいかな」
「どうぞ」
当然ながら、他に客はいなかった。先にキスウィーがカウンター席に腰掛け、慌ててついてきたロックが隣に座る。マスターは若く、鮮やかなオレンジ色の長髪をオールバックにして後頭部で括り、面長の端整な顔立ちに刈り揃えた顎鬚が特徴であった。素人目に見ても色男、優男と呼ばれる類だった。
「この状況下で、店を開けているのかい」
「今日中に使い切りたい材料があるんです。明日からは早くに閉めますよ」
「そうか。この店は君一人か?」
「いえ、ウェイトレスを一人雇ってます。今はちょっと外出中でして、そろそろ戻ってくる頃合かと」
路地裏の三叉路に構えた酒場は決して広いとは言えずとも、カウンター席の他に複数のボックス席があり、スポーツ中継を流すためのラジオのスピーカーが随所に設置されている。マスター一人で回すには手に余る広さであった。
「さて、ご注文は?」
「そうだな、じゃあ雪原の月輪で」
「自分はリマーブの夕焼を」
「かしこまりました」
マスターはグラスの縁をレモンで濡らすと、雪原を思わせる塩をまぶす。氷を入れて北方の蒸留酒と白グレープフルーツの果汁を一対二の割合で注ぐ。かき混ぜる時に鳴る氷の音が、薄暗い店内を照らすオレンジ色の輝きと合わせて、静かなムードを醸し出していた。仕上げにレモンの輪切りをグラスに差し、その名に相応しいカクテルが出来上がった。
「どうぞ、雪原の月輪です」
続けて、グラスに氷と蒸留酒を入れ、リマーブ特産オレンジの果汁を一対三の割合で注ぐ。リマーブの夕焼と言えば、駆け出しのバーテンダーが最初に覚えるメニューとされ、また口当たりから女性を口説く際にもよく注文されるカクテルだった。
「お待たせしました、リマーブの夕焼です」
キスウィーは雪原の月輪を口にすると、塩と柑橘の合わせ技に小さく唸った。ロックもリマーブの夕焼を小さく口に含む。酸味の中にほのかな甘味を帯びており、蒸留酒の度の高さを思わせない口当たりであった。それだけ、過ぎれば酔いつぶれる可能性もある。
「こちらのレモンは、エール村の特産かね」
「はい。実家がエール村で酒場をやってまして。親のツテで色々と回して貰ってるんです」
「我々も先日、仕事でエール村に行ってね」
「いい所でしょう。あんな事件がなければ、今頃は避暑地としてもそれなりに賑わいますよ」
キスウィーとの会話に気を良くしていたマスターの顔に陰りが見えた。恐らく、自分達が追っている事件と繋がりがあるか、そのものだった。
「母から電話で聞いたんですがね、知り合いの女の子が店で襲われたり、妹が斬り付けられたって言うんです。同じ犯人だろうって」
「……キスウィーさん、もしかしてリンダさんやシルビアさんの件では……」
「二人をご存知なんですか。僕はリュークス、リュークス・バーライドと言います、シルビアの兄です」
「ま、まぁ、落ち着いて。我々はその事件の捜査でエール村に。で、その犯人は今回の各地の襲撃事件に一枚噛んでいる可能性があってね」
思わず早口になり、キスウィーに宥められたリュークスの表情は曇る一方だった。リンダがこの店に来てから十日と経っておらず、シルビアとはここ数年会っていない。どちらも等しく心配になる存在だった。
「これ以上は我々の性質上、話す事は出来ない。だが、君の妹さんは命に別状はないそうだ」
「そうですか。一応、母からは聞いてますが……どうにもよく分からない話をされまして」
リュークスの言うよく分からない話というのは、カーンという未来人に助けられたと言う話だろう。なんとなく察したキスウィーとロックは苦笑いを寄越した。この二人にも、よく分かっていないのである。とにかく、シルビアの安全を伝えた事でいくらか落ち着いた空気の中、静かな時間が流れていた。しかし、その静けさも長くは続かなかった。帰ってきたウェイトレスが酒場に戻って来たのである。
「戻ったよ、やっぱりここらの店はもう閉まってる。外を歩いてるのは野良の犬猫に浮浪者ね」
「そうか、じゃあお客さんが帰ったら店を閉めようか」
犬亜人のウェイトレスは、リュークスに並ぶほどの長身であった。垂れた耳と鼻は長く、すらりとした流線型を描く細身の肢体に、女性的な部位はしっかり浮き出ている。人間の目から見ても水準以上であり、犬亜人からすれば垂涎の的とも言うべき美女であった。
「ほう、俺から見ても上玉だってのが分かる。ロック、お前はどう思う?」
キスウィーは悪戯心でロックに振った。異性に現を抜かす男ではないと分かっているだけに、反応が気になったのだ。しかし、その反応は彼の理解を大きく超えるものだった。グラスを取り落とすような事は無かったが、完全に意識を持っていかれている。酔ったら女に弱くなるのか、キスウィーはその程度にしか思っていなかったが、それはまったくの誤りであったのだ。
「ターナ、お前もしかして、ターナか?」
「その声に見た目、ひょっとして兄さん?」
予想だにしなかった反応に、キスウィーとリュークスは目を見合わせた。以前にロックが話していた、両親の離婚で生き別れた妹、それがリュークスの店でウェイトレスをしているターナだったのだ。
「出来すぎた偶然だな。まるでサン=キッテの舞台装置だ」
サン=キッテは芸術を司る神の名であり、その舞台装置というのは、芸術神が舞台を動かしているかのように都合が良過ぎる事を意味する。予期せぬ再会に喜びを顕わにした兄妹は駆け寄って抱き合った。その光景に、キスウィーはいささかの羨望の眼差しを向けていた。ロックはターナと比べると頭一つ分以上背が低く、そのまま抱き合うと彼女の胸に顔を埋める事になるからだった。
「世間というのは、広いようで狭いものだな」
「そうですかね。同じジョーギンにいながら、十年も再会出来なかったんです。やっぱり広いですよ」
ボックス席に移り、積もる話に花を咲かせるロックとターナを尻目に、キスウィーとリュークスはそんな事を話していた。
「そうそう、刑事さん達はリンダちゃんの警護でしたね。彼女に関しては、ターナが面白い事を言ってたんですよ」
「面白い事、とは?」
「えぇ、少し前にこの店にエール村の地ビールを運んで来てくれまして、その時に言ったんですよ。叩けば伸びるタイプだって」
「ははは、磨けば光るじゃなくて、叩けば伸びるか。まるで熱い鉄だな」
ひとしきり笑ったところで、キスウィーはふと真顔に戻った。ニプモスの施療院でのリンダの事を思いだしたのである。少し一緒に仕事をするだけで、まるで経験者のように振る舞えていたという、食堂スタッフの証言である。経験をそのまま力に変えるという意味では、あながち間違いでもなかった。
「変わった子ですよ。飲み込みは早いし、腕のいい人と一緒に動けばすぐに上達するのに、日を改めて再開する頃にはほとんど忘れてるんです」
リュークスの口からも同様の事が聞けた。そういえば、遺跡の石室でジェリム男を撃ったのはリンダだったという。今までほとんど銃を撃った事のない彼女が、カーンの手ほどきだけでそこまで腕を上げる事などあるのか――
「そうそう、彼女は動物の鳴き声や仕草を真似るのも上手でしたね」
キスウィーはもしやと思いながらも、言葉を飲み込んだ。リンダという少女の本質、魔王ルハーラ配下のジェリム男が彼女を狙った理由が、垣間見えたような気がしていた。




