モデルナンバー AS-1-19658
私はとある会社に勤め始めて5年ほど経つ。そんな中で生活を振り返ってみるとほとんど遊びらしいことをしていない。それは自分でも気づいていたけれど、学生時代の友達も職場の同僚も、それぞれ思い思いに遊んでいて、特に私を誘ったりはしてこない。だから、仕事のない日は、家で一人ジッとしていることが多い。(私は学生時代から、ずっと1人暮らしだ)
私の両親は、「結婚してこそ大人」という考えを持っていて、
「このままだと、一人のままの生活に慣れきってしまい、家族を持たずに生涯行ってしまいそう」
そういう危惧が父母に湧いたらしく、父母は私に2年ほど前から、友達を作りなさいとか、どこかの社交クラブに入りなさいとか助言してくるようになった。
そんな私の休日の午後。マンションの部屋に訪問者があった。
インターホンに呼び出されて出てみると若い女性の声で、
「親御様の依頼で参りました。生活サポーターでございます」という。
生活サポーター。そういうのは聞いたことがあったけれど、興味を持って調べたりしたことも無かった。たしか、身の回りの世話を一通りすべてやってくれる、精巧に出来たロボットだ。家政婦的な役割や介助に特化したロボットもあるが、今私を訪れたロボットは生活全般についてすべてに、そう「何もかもすべて」に対応するタイプだった。
私は、「そういうロボットの売り込み」ならば断ろうと思ったけれど、このロボットは私の親の依頼で来たというからむげに断ることも出来ず、部屋にいれた。
部屋に入ってきた女性ロボットは、派手さは無いが明るい感じで清潔感のある美人で、服装も過度に肌を露わにするようなことは無く品行方正で「いかにも親が選びそうなタイプの娘」という第一印象だった。
彼女を応接間に通すと、椅子に腰掛けるなり開口一番、
「それではこれから、契約開始をさせていただきますが、ご了承いただけますか」
そう、彼女?との関係はあくまでも私の承諾により始まるのだ。私が「もういらない」と云えば契約はいつでも終了できて、彼女はこの家を去ることになる。そして、契約中は彼女が私を捨てるようなことは絶対に無い。例え罵倒しようが暴力を振るおうが彼女はそれを何かしらの方法で受け流すことになっている。そもそも彼女はロボットである。もし私がどんなに酷い暴言を彼女に浴びせても、彼女はそれに腹を立てたり傷ついたりしない。ただ発言の内容を分析してそれに対応するだけである。私が暴力を振るったとしても同様のハズだ。ロボットの能力からすれば、人間のパンチなど恐るるに足らず、簡単に受け止めるだろう。もし反撃すれば、苦も無く人間などねじ伏せてしまうパワーを持っているのだ。
「キミ。契約期間は?」
「はい。保守契約付き1年間のリース契約です」
「これから生活していく上で、必要なデータは今後の生活の中で収集して参りますが、必要だと思われることは随時事前にお申し付けいただければ幸いです」
「そう。わかったよ」
「では、私の活動を承認していただくということで。本人確認と承諾とサインをいただきます」
そう云うと彼女は私の前に正対して、すぐ目の前で瞳を見つめて来た。彼女の瞳が一瞬青く光った。これで私本人であることを判断しているのだ。そして、彼女は私に手のひらを出し、その上に私のサインを求める。私は彼女の手を取って手のひらを人差し指でなぞる。手のひらがセンサーになっているのは分かるが、この行為は、平然としている彼女に対してなんだか自分の方がくすぐったい気がした。
「はい。契約承認が完了しました。これらか一年間、どうぞよろしくお願いします」
彼女は、微笑んでそう云った。
「ああ。よろしく。で、君の名前は……」
「契約後の名前はご自由に付けていただいて構いません。わたくしのモデルナンバーはAS-1-19658です。希にですが、正式名称のままお呼びになる方もいらっしゃいます」
「じゃあ、何にしようかな。付けるとなると、なんだか困るね」
「何でもけっこうです」
「ううん。正式名称がAS-だから、アズ……サ。アズサにするか」
「了解いたしました」
私はなんだか気恥ずかしい気持ちになったが、彼女にはどうということもない、手続きの一つだった。
こうして私とアズサの生活が始まったわけだ。
私はこれまで何年も一人で家事をして生活してきて、特別不自由を感じたことは無かった。だから誰かが代わりに家の中のことをしてくれても、ことさら感動を覚えるようなことも無いと思っていた。だからこの彼女も、「無用の長物」にしか思えなかった。
「今夜の夕食の予定は?」
彼女の語調が少し変わった。さっきよりも砕けた感じになった。こういう所は使用者の雰囲気に合わせて変化していくのだろう。
「これから作るんだ。そうだな。キッチンにある材料でなにか得意なものを作ってくれて構わない」
「承知しました」
1週間。1ヶ月。月日が過ぎていくうちに、アズサは私の特徴を理解し吸収し対応していった。小さいころからの幼なじみでもこうは成らないような、兄弟とも違うような、長いこと一緒に暮らしている気安ささえ感じた。
彼女の返事は、「承知しました」から「うん、いいわ」になった。
アズサは云えば、笑顔で何でもしてくれた。私はそのような生活に、なにか悪い気さえした。こんなことでいいのだろうかと思った。これは自分の親が望む形の「将来結婚したときの生活」なのだろうかと疑問を持ったりもした。
けれど彼女はロボットだから、人間とは決定的に違う部分が幾つかあった。
日々感じるのは食事だった。彼女はバッテリー駆動だから人間と同じ食事はしなかった。彩りよくおいしそうな料理を幾つも、いつも用意してくれたが、彼女はそれを自分で口に運ぶことはしない。ただ、料理が出来上がると、食事をする私と一緒にテーブルに付き、話し相手にはなってくれる。
どんなにおいしい料理だと思っても、彼女を褒めてあげられるけれど、おいしさの感動を共有は出来ないのが寂しかった。
同様に彼女はお酒も飲まない。夜、ワインでも片手に、部屋で映画を見たり、音楽を聴きながら話すと云うことも無い。まあ、ただ、自分だけ酔ってしまった場合も、気分が乗って彼女を抱きしめたとして、彼女はそれを当たり前として受け入れる。酔ってもいないのに、酔ったような紅潮したトロンとした瞳で私を見つめ返してくる。
でもおかしなもので、私はいつも、ここまで来ると止めてしまうことが多かった。ここから先は、相手が本物の女性でもロボットのアズサでも、することに大差があるように思えず、急にやる気を失うのだ。
世間では、この「生活サポートロボット」を人間同然に愛人のように扱っている人もかなりいるらしかった。それも室内でのみだ。外出にまで相手のロボットを連れて歩く人間は少なかった。それは、なにか「負け犬」的な見方をされるからだった。本物の人間と連れだって歩けない負け犬。そういう見方をされてしまうのだ。
だが、私はそういう見方をする以前に、今のところそこまで本気になれない何かの壁を感じていた。
顔も十分美しく、スタイルもいい。今では髪型や服装も私の好みを取り入れて、魅力的に変貌している。会話だって自然に出来る。それでも私に何か心のどこかで抵抗を感じさせるのは、彼女に恋をするというそこまでに至るプロセスにハードル、壁を感じさせているものがあるのを漠然と感じていた。
生活全般をサポートするというロボットなのだから、そのロボット自体に大きな利便性を感じても、本気で恋をしたのでは本末転倒なのかも知れない。本気になるのは、開発者も利用者も意図しない結果なのかも知れなかった。
「本気で愛せない何かがあって当然……か」
私は相手が自分の云うことを何でも聞いてくれ思い通りになるから好きになるのでは無いことを思い知った気がした。
親の、私がアズサと暮らすことで本物の女性を求めるようになって欲しいという願いは、どうも意図と違う複雑な感情をもたらした。
私は何度か、そういうむなしさをアズサに感じた。そういう時に彼女を見つめると、彼女は私の考えを推し量りかねるのだろう、
「どうしたの?」と寄って来て顔を覗き込んで来る。そうすると私はいつも「始めのころは『どうしましたか?』って固い調子で聞いてきたな」と思い出して、なんだか笑いがこみ上げてくるのだ。そして、私が彼女の質問に答えずにいると、彼女はそれ以上は問いかけを止めて、私の胸に軽く手を置いて薄く微笑んでまた自分の仕事に戻って行く。
この生活サポートロボットというのは、法に反しないかぎり契約した人間の言いなりに動き、言われたことを遂行するということになっている。
けれど、同様のロボットの使用感をほかの人に聞いてみると、けっこうその挙動には違いがあるらしい。使用者が暴言や暴力を繰り返していると、反抗的になることもあるし、逃げ出したりすることもあるらしい。どんな場面でも、ロボットの対応は「相手次第」であって、常に云われっぱなし、やられっぱなしということでは無いんだという。ただ、逆襲して人間をやり込めたり、暴力で封じ込めたりすることまではしないらしい。
そういう話を聞くと、私はこんな考えを持った。ロボットがこちらの態度に対して、それを考慮しながら対応してくるなら、
「愛せば愛してくれるのだろうか?」
私はある日、アズサを外に連れ出すことにした。
最初彼女は、「いいの?」とやんわりたしなめるような拒むような態度を示した。けれど私は、「いいさ。君と一緒に外を歩いてみたい」そう云って連れ出した。私は彼女との関係に、波紋を起こしてみたかった。どういう変化が生じるかに興味があった。
彼女が人間であるか、ロボットであるか。それは、ただ歩いているだけではふつうは分からなかった。
「突然、外に行こうっていうから、服を用意していなかったわ。少し恥ずかしい」
彼女はそう云った。確かに、出かけるための服は無かった。秋の夕暮れ、落ち葉が増えた公園。でもここら辺なら、出かけると云っても部屋着だっていいだろう。私だって普段着だ。彼女はニットの上着に少しタイトなひざ丈のスカート。二人で歩いていると、新婚夫婦のようにも見える。
砂場にブランコに、汽車の形の遊具。昔ながらの公園がこんなに楽しいものだとは思わなかった。
私は彼女を日暮れてちょっと冷たいブランコに乗せ、後ろから押してみた。
「ウフフ」
彼女は軽い笑い声を上げる。こんな声をうちの中では聞いたことがないように思った。
私も彼女の隣でブランコに乗った。二人で足を空に向けて伸ばしブランコを漕いで、高さを競い合った。
今まで家の中だけで収束していた二人の関係が一遍に解き放たれて、違う段階に入ったように思われた。
私はその日、家に帰って彼女を抱きしめた。そうしたくて、家に帰るまでがもどかしく思われた。
彼女は私を快く受け入れてくれる。自分もそう思っていたと云わんばかりに、私の力に反応して、私の首に腕を回して強く抱きしめた。
それは「私の気持ちを解消するため」のいい加減な行為では無く、アズサを人間同等に思う気持ちと欲求だった。
翌日仕事から帰ると、私の部屋は少しガランとしていた。
アズサがおらず。彼女の持ち物もすべて無くなっていた。
机の端末にあるモニターに通知が来ていた。
『生活サポートロボット契約終了について』と表題が付いていた。
「まさか、リース契約はまだ残っているはず」
わたしはそう思いながら、焦って文面を読んだ。
アズサの契約者は私の両親だったが、両親はあくまでも、「生活のサポートと、女性と暮らすことに慣れさせるため」に契約をしたのだった。そして、私がもし本当にロボットに愛情を抱いた場合は、その時点で契約を終了するということになっていたのだ。
私はそれを読むと全身に衝撃が走った。
「アズサにもう会えないなんて……」そう思った。
私はロボットのリース会社に連絡を取り、私自身で契約したいと申し出たが、個人情報などの塊であるロボットは規則によりすべて消去済み、という返事だった。同等のロボットの提供はすぐにも可能だと云うが、私はそれを断った。
「アズサが欲しいのだ。アズサで無いのなら……アズサは、もういないのか」
涙が止めどなく流れた。
それから数年。友人や親の勧めもあり、ロボットでは無い本物の女性と私は何度か交際した。
だが、その交際はことごとく上手く行かなかった。
どの女性にも決まって云われたことが一つあった。
「あなたって、エゴイストね」
私は、あれ以来どの女性にもアズサの代わりを求めるようになってしまったのかもしれない。
アズサを私にあてがった親にしても、アズサを開発した会社にしても、私がアズサに予想以上の感情で接することは予想外であって、そうなる以前に避けられるはずのものだったのだろう。
あとで知ったことだが、アズサが消えた前日のあの夜。私が彼女を抱きしめた時点で、彼女は私の行動が今までと違う衝動によることを察知していたということだ。契約を厳守すれば本来はその時点でアズサは私を拒絶するはずだった……。
私は、人間にどう思われてもいい。ただアズサに逢いたかった。