第49話 第三里標の痕跡
第三里標は、思っていたより地味だった。
街道脇に立つ、風化しかけた石柱。
数字が削れていて、よく見ないと「三」と読めない。
「ここが境目みたいなもんじゃな」
ダンおじさんがそう言って、馬を止めた。
護衛リーダーが周囲を見回し、短く指示する。
「二人ずつで確認します。街道の右、左。森側には寄らない。合図があるまで隊列は崩さない」
きっちりしている。
さっきまでの会話の柔らかさが消えて、声が仕事の音になった。
「ユーリさんは私と。ノアさんは副長と」
「えー、俺、ユーリと一緒の方がログ取りやすいんだけど」
「だから分ける。依存し始めたら事故る」
リーダーが即答した。
『正論パンチ。』
「黙って従え」
ノアさんは渋い顔をしたが、すぐ切り替えた。
「わかった。じゃあこっちで痕跡の方を拾う」
拾う、って言い方が軽い。
俺はリーダーと一緒に、街道の左側――森寄りの草地を確認した。
昨日の現場より古い。
地面の削れ方が違う。車輪の跡が薄い。
でも、わずかに残っている。
「ここで荷車が止まってる」
リーダーがしゃがみ、指で土を撫でた。
「護衛が倒れた跡もある。血痕の色が黒い。毒だ」
黒い血痕。
鼻の奥に、あの匂いが蘇る。
鉄と、嫌な甘さ。
『嫌な匂い。』
「分かってる」
俺は草をかき分けた。
何かが光った気がした。
小さな金属片。
「……針」
指でつまむ前に、【清掃】をかける。
雑に触ると後悔する。
「【清掃】」
ぬめりが薄れた。
俺は布で包んで回収袋に入れた。
「回収した。毒針、一本」
「いい。証拠になる」
リーダーは短く頷いて、すぐ次を見た。
合理的だ。
俺が立ち上がった瞬間、首元が少し熱を持った。
「……反応」
『来たね。』
「どのくらいだ」
リーダーが聞く。
「……三。いや、四」
さっきより少し強い。
方向がある。
「森側。左奥」
俺がそう言うと、リーダーの目が細くなる。
「境界より先だな」
「……追うべきじゃないですか」
リーダーは即答しない。
一瞬だけ迷う顔を見せて、それを消した。
「追わない。規定通りだ。ここで突っ込むと”戻らない側”になる」
戻らない側。
言い方が生々しい。
『規定、便利だね。命を守るための言葉。』
「……そうだな」
俺が森へ視線を向けた瞬間、熱がふっと引いた。
まるで「見るな」と言われたみたいに。
草地の奥、森の縁。
木の影が濃い。
そのさらに向こうが、黒い。
リーダーが腰の袋から小さな木片を取り出した。
簡易の合図札だ。
「合図。全員集合」
札を鳴らす。乾いた音。
護衛班が揃い、ノアさんも戻ってきた。
ノアさんの手には、布に包まれた何か。
「こっちもあった。針、二本。あと――これ」
布を開くと、薄い革袋が出てきた。
袋の口は雑に縛られている。
見た瞬間、嫌な感じがした。
「触るな」
リーダーが言うより先に、ジュリさんが言った。
『触るな。』
ネコの形のまま、じっと袋を見ている。
声がいつもより低かった。
ノアさんが一瞬固まる。
「……今、喋った?」
『喋ってない。』
「喋った」
俺が言うと、ジュリさんは目を逸らした。
『言ってない。気のせい。』
「気のせいで”触るな”って言えるか」
『言える。私は器用。』
いつもの感じに戻そうとしてる。
でも、戻りきってない。
ダンおじさんが袋を見て、笑っていない顔で言った。
「……その袋、縫い糸が違う」
「違う?」
護衛リーダーが聞き返す。
ダンおじさんは指で縫い目を示した。
「街の商人が使う糸じゃない。湿地の麻じゃ。水を含んでも切れにくい」
湿地。
この街の周辺に湿地なんてあったか。
ノアさんが即座に食いつく。
「供給線、湿地側からか。……なるほど。ゴブリンが作れる糸じゃない」
「袋を開けるのは危険ですか」
俺が聞くと、リーダーが首を横に振った。
「現場では開けない。中に毒が残ってる可能性がある。持ち帰ってレオンに見せる」
合理的だ。
でも、俺は袋の表面に違和感を覚えていた。
革の端。
縛り目の横。
そこに、ほとんど見えないくらい薄い刻みがある。
「……紋章?」
俺は指を近づけ、【清掃】で表面の汚れだけを落とした。
「【清掃】」
汚れが薄れた瞬間、刻みが浮いた。
白い線。
円と、交差する短い線。
見慣れないけど、どこかで見た。
鑑定室の壁にあった紋章。
あれと似ている。
「……これ」
俺が言うと、ノアさんが覗き込んで目を輝かせた。
「紋章だ。薄い。意図的に消そうとしてる。――これ、組織だよ。個体の犯行じゃない」
ダンおじさんが、ぽつりと言う。
「……白い連中の匂いじゃ」
冗談の空気がない。
声の重さが違う。
護衛リーダーが、短く息を吐いた。
「確定だな。ギルドへ戻る」
「戻る前に、もう一つ」
ノアさんが指で土を示した。
「これ。靴跡。人間のだ」
街道の端に、確かに跡がある。
ゴブリンの足跡より深く、踵が角張っている。
しかも同じ場所を何度も踏んだ跡だ。
「見張ってた?」
俺が呟く。
「誘導して、待って、回収する。手口としてはそう」
ノアさんが言い切る。
『嫌な話。』
「嫌な話だな」
その瞬間。
首輪が、急に冷たくなった。
ゾクっとする冷え方。
熱じゃない。
冷えだ。
「……反応。強い」
「どのくらいだ」
リーダーが聞く。
俺は言葉を探した。
「……七」
今までで一番に近い。
息が浅くなる。
「方向は」
俺は、森じゃなく――背後を見た。
街道の反対側。
少し離れた木の影。
そこに。
白い布が見えた気がした。
俺が瞬きした瞬間、影が溶けるように消えた。
『見られてる。』
「……多分な」
護衛リーダーが剣に手をかけたが、遅い。
もういない。
ノアさんが悔しそうに舌打ちした。
「今の、見えた?」
「……白い布」
「距離は」
「分からない。すぐ消えた」
ダンおじさんが、森を見て言った。
「境界に触れとる。触れたら向こうも触れてくる」
「触れるって……」
「気づかれたら終わりじゃ。気づかせずに潰せるなら、それが一番じゃが」
無理だろう。
もう気づかれてる。
首輪が冷たいままだ。
護衛リーダーが言う。
「撤収します。ここで戦う理由がない。証拠は取った。……戻って、次を決める」
正しい。
でも、胸の奥が落ち着かない。
白い布が見えた。
たった一瞬。
それだけで、空気が変わった。
「ユーリさん」
リーダーが俺を見る。
「次からは、反応したらすぐ言ってください。自分で抱えない」
「……はい」
『抱える顔してるから言われるんだよ。』
「分かってる」
俺たちは袋と針を回収し、馬を返した。
帰り道、首輪の冷えは少しずつ薄れた。
それが、逆に怖い。
冷えが消えるのは安心じゃない。
“離れた”だけだ。
ダンおじさんが馬を並べながら、低い声で言った。
「お兄さん」
「なんですか」
「あの白い布、一人じゃなかった」
俺は前を向いたまま聞いた。
「何人いましたか」
「二人。一人は見せ役。もう一人は別の場所にいた」
「気づいてたんですか」
「儂は長いからのぉ」
「……なんで言わなかったんですか」
「あの場で動くと、リーダーが突っ込んでいった。それは損じゃ」
損。
感情じゃなくて、計算で動く人だ。
「ノアさんには?」
「言わん。あいつは動く」
「ベガさんには?」
「帰ってから儂が話す」
おじさんはそれだけ言って、黙った。
俺も黙った。
街の門が見えてきた。
首輪はもう冷えていない。
(白い連中)
一人じゃなくて、二人。
見張っていたんじゃなく、見せていた。
違う。
こっちが見ていると思っていたのに、向こうが見せていた。
そういうことだ。
『ユーリ』
「なんですか」
『さっき、ジュリさんが止まった場所』
「はい」
『あそこ、前に来たことある気がする』
「前に?」
『夢か記憶か分からない。でも、知ってる感じがした』
ジュリさんの声が小さい。
「無理に思い出さなくていいです」
『……でも、思い出せそうな気がする。それが怖い』
思い出せそうなことが怖い。
その言い方が引っかかったまま、俺は門をくぐった。
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