エピローグ第3章 「悪友の現れる時」
こうして眼下に広がる管轄地域の夜景を見つめながら、静かにスパークリングワインの芳香を愛でるのも、風情があるよね。
気心の知れた友人同士で、ワイワイと賑やかにやる打ち上げも、私としては大歓迎だけどさ。
「おっ!夜景を眺めながらグラスを傾けるだなんて、柄にもなくムーディーな飲み方をするじゃない、千里ちゃん!」
そんな私のナルシシズムに満ちた感傷を吹っ飛ばしたのは、ドアを張り開けて休憩室に飛び込んできた、明朗快活で屈託のない声だった。
賑やかな打ち上げに最適な、元気印の主人公気質。
だけど、今の京花ちゃんは、遠慮のない悪友モードに近いようだね。
「ちょっと、京花ちゃん!『柄にもなく』は余計だよ!『柄にもなく』は!」
それに抗弁する私の声も、先程までのムーディーな自己陶酔なんて、もはや欠片もなかったんだけど。
「そりゃ私だって、自覚はあるよ。『こういう静かなムードは柄じゃない』って…だけど、ムードを味わうのは自由なはずだよ?」
付け加えるなら、自覚があるからこそ、こうして第三者に指摘されたら、ムキになっちゃうんだよ。
真っ正面から正論で図星を突かれたら、もう立つ瀬がないからね。
「ああ…自覚はあったんだね、千里ちゃん。」
「そりゃそうだって、京花ちゃん!伊達に16年も生きてないんだから、自分の向き不向き位、嫌でも自覚するよ…」
もっとも、自覚があるからこそ、そんなに強くは言い返せないんだ。
京花ちゃんへの猛抗議だって、御覧のように徐々に尻すぼみになっていき、最後にはプッツリとフェードアウト。
まさに竜頭蛇尾だよ。
「まあまあ…相手は高が知れた、お京の軽口。そうムキになるのは大人気ないぞ、ちさ。」
そんな私を窘めたのは、氷のカミソリを思わせるクールな美貌が印象的な、長い前髪で右目を隠した少女だった。
「はいはい…どうせ私は、高が知れてますよ…」
今度は京花ちゃんが、明後日の方を向いてむくれる番みたいだね。
「そう腐るなよ、お京。病院の付き添いから戻ってきて、朗報を伝える人間の取る態度かよ、それが。」
そう言うとマリナちゃんは、少し厳しめの突っ込みとばかりに、手刀をドスッと京花ちゃんの脇腹に叩き込んだんだ。
特殊能力「サイフォース」に覚醒して、生体強化ナノマシンで改造された私達の身体は、素手でヒグマを八つ裂きに出来る程の力を持っているの。
京花ちゃんが生身の人間だったら、今頃は内臓が破裂するどころか、上半身と下半身が泣き別れになっているだろうね。
「痛ぅ…!手厳しいなあ、マリナちゃんも…」
当たり所が少し悪かったのか、或いは改造前の感覚の名残なのか。
京花ちゃんったら苦笑いの表情を浮かべながら、手刀を受けた辺りを庇うように撫で始めたの。
「朗報ですか…?それは、もしや!」
英里奈ちゃんったら、これはまた随分と身を乗り出して来たな。
試飲したスパークリングワインのアルコールが良い具合に回ってきて、積極的になっているんだね。
「そう!そうなんだよ、英里奈ちゃん。夕香ちゃん、精密検査でも異常は見つからなかったんだってさ。本当に良かったよね!」
そんなにはしゃいじゃって、さっきまで脇腹を押さえていた人とは思えないよ、京花ちゃん。
「病院から帰る時にスマホで連絡しようかと思ったんだけど、『こういうのは、直接伝えた方が良いよ!』って、お京が頑張るんだからさ。」
「だってさ、マリナちゃん…馬面野郎の電気信号のせいで、夕香ちゃんのスマホが壊れちゃってたんだよ。あの場で私達がスマホを使うのは、ちょっと躊躇われるじゃない?業務用ならまだしも、こんな私的内容だとさぁ…」
まるでベテランの夫婦漫才師みたいに、丁々発止のやり取りを演じ始める2人だけど、このサイドテールコンビの明るい口調から察するに、夕香ちゃんの容態に関しては、気にする必要は無いみたいだね。
それにしても、夕香ちゃんのスマホは御陀仏になっちゃったか。
軟弱で困るよね、民生品って。
「成程、そうだったんだ…それは本当に良かったよね、京花ちゃん。」
「正に朗報ですね、京花さん、マリナさん。」
私の後を受けた英里奈ちゃんは、何時の間に戸棚から準備したのやら、ボトルとグラスを乗せたお盆を手にして、静々と歩を進めていたんだ。
お盆に鎮座した2つのグラスの中は既に、イタリア産のスパークリングワインで満たされている。
澄んだ黄金色の水面は、炭酸の泡が弾ける以外は微動だにしないんだから、生駒本家の長女の歩行姿勢が如何に美しいか、よく分かるよね。
「私と千里さんの飲みさしで恐縮なのですが、アスティ・スプマンテなどはいかがですか?」
そうして物腰柔らかにグラスを差し出すあたりは、来客をもてなす主人役の風格も申し分無しだね、英里奈ちゃん。
「へえ…用意が良いね、英里奈ちゃん。」
「じゃあ…ありがたく頂くよ、英里。」
かくしてB組のサイドテールコンビにも、アスティ・スプマンテで満たされたワイングラスは、無事に行き渡ったんだ。




