エピローグ第1章 「早目の祝杯!アスティ・スプマンテの弾ける気泡」
ここから時間軸が元化25年に戻ります。
プロローグで描写した作戦行動から1~2時間程度経った頃と想定しています。
そういう訳で、御子柴中学校の卒業式を最後に、夕香ちゃんには会っていなかったんだよね。
そんな夕香ちゃんが害獣事件の被害者という形で、こうして私達の前に現れたんだから、世の中の合縁奇縁というのは本当に計り知れない物だって、改めて実感した次第だよ。
意識はハッキリとしているけれど、ティクバランに腹部を殴られたせいで、筋肉や骨格、それに内臓系といった見えない箇所に、何らかの深刻なダメージを受けているかも知れない。
この辺りの事情を考慮して、アンビュランスに乗せられた夕香ちゃんは、付近の市立病院に搬送されて精密検査を受ける事になったんだ。
「まさか、あんな形で会う事になるとはね…」
一足先に支局へと帰庁した私は、休憩室の窓をボンヤリと眺めながら、別れたばかりの同窓生に想いを巡らせていたの。
強化ガラス製の大窓からは、管轄地域の市街地の夜景が一望出来るんだ。
向かいに聳え立つ県庁舎の21階に設けられた展望ラウンジ程じゃないけれど、この第2支局の15階から見える夜景だって、満更捨てた物じゃないよ。
もっとも、どんなに頑張っても今の位置からでは、特定外来生物の害獣被害に遭った同窓生の担ぎ込まれた市立病院を望む事は出来ないんだけどね。
「大人っぽくなっていたなあ、夕香ちゃん…」
市立病院への付き添いは、中2と中3の2年間を夕香ちゃんと同じクラスで過ごしたという、マリナちゃんと京花ちゃんの2人に任せ、報告書も提出済み。
かくして手持ち無沙汰な身の上となった私だけど、久々に会った同窓生の安否が、どうにも気掛かりなんだよね。
「大丈夫かなぁ、夕香ちゃん…」
誰に回答を求めた訳でもない、問い掛けめいた呟きが、こうして口をついて出てきてしまうよ。
「御目覚めになられてからも御元気そうでしたから、大事には至っていないはずなのですが…」
そんな私の呟きに応じたのは、幼くも気品ある美貌に、内気で気弱そうな影を刻んだ、我が親友の英里奈ちゃんだった。
「あっ…!聞かれちゃってたか?アハハ…」
独り言って、誰かに聞かれたらカッコ悪いよね。
照れ隠しとばかりに、利き手でツインテールの右側をグリグリと弄くる私だけど、見苦しさを取り繕うには程遠いかな。
しかし幸いにも、その場を取り繕おうとする私の醜態に、英里奈ちゃんは一切触れなかったんだ。
「今宵は月も美しく、素晴らしい展望ですね、千里さん…」
そうして、私の意識を逸らせようとばかりに言及したのが、私達の視線の先で広がる夜景への賛辞なんだからさ。
「うん…そうだね、英里奈ちゃん。」
親友からの心遣いというのは、本当に有難いね。
その上品で可憐な美貌に、手を合わせて拝みたくなるよ、英里奈ちゃん。
「御一緒しませんか、千里さん?私だけで召し上がるには、いささか量が多いようでして…」
すると英里奈ちゃんは、高鳥屋の紙袋からワインボトルを取り出すや、ダメ押しとばかりに、上品な微笑を軽く閃かせたんだ。
「えっ!いいの、英里奈ちゃん?上物のアスティ・スプマンテじゃない!」
思わず声を弾ませちゃった私だけど、イタリア産の上質なスパークリングワインを見せられちゃったら、自然とこうなっちゃうよ。
「いえいえ、そのような水臭い事をおっしゃらないで下さい…私と千里さんの仲では御座いませんか。」
英里奈ちゃんは頭を軽く左右に振りながら、恐縮する私に笑いかけてくる。
「え、英里奈ちゃん…」
その白い細首の動きに合わせて、癖のない茶色のロングヘアーが、滑らかにサラサラと揺れるんだもの。
同性の親友であるにも関わらず、思わず見入っちゃったよ。
「特定外来生物の魔手から同窓生を救出した、ささやかな祝杯ですよ。いかがですか、千里さん?」
その気品ある微笑は、私には逆立ちしたって出来ないだろうな…
「そう言われちゃうと、御相伴しない訳にはいかないよね…」
このように呟いた私は、休憩室の戸棚に常備されているグラスを求めて、そそくさと英里奈ちゃんに背を向けたんだ。
にやけた口元を見られるのは、さすがの私としても不本意だからね。
こうして、黄色く澄んだスパークリングワインの炭酸がパチパチと弾けるグラスを手にした私と英里奈ちゃんは、管轄地域の夜景が一望出来る強化ガラスの窓を、再び望んだんだ。
「それじゃ、英里奈ちゃん…『ティクバラン駆除作戦』の成功を祝して…」
炭酸が小気味良く弾けるグラスを、目線の辺りまで軽く掲げながら、傍らに佇む親友にして上官である所の少女に向けて、私は笑いかけたの。
「私達の共通の同窓生である四天王寺夕香さんのご健勝を祈って…」
こうして私に応じる英里奈ちゃんの微笑は、ベルサイユ宮殿や鹿鳴館に出してもヒケを取らない程の、エレガントな気品に満ちていたんだ。
美しい夜景を前にして、家柄も気品も申し分無しの美少女を侍らせ。
そして、手には美酒。
気分はまるで、国営放送の大河ドラマに出てくる天下人だね。
とは言うものの、人類防衛機構内の階級や家柄を直視すれば、侍らされているのは私の方なんだけど…
「乾杯っ!」
私は雑念を振り払うようにして、掲げたグラスの奥に佇む英里奈ちゃんに軽く会釈をしたんだ。
「乾杯…ですね。」
もっとも、それに応じた英里奈ちゃんの会釈の方が、私よりも格段に気品に満ちて美しいんだけどね。
このエレガントな親友の会釈も、美酒の肴にでもする心積もりで見てみよう。
そうすれば、そんなに負い目を抱かなくても済むだろうね。




