第10章 「さよなら、3年C組 これがホントの『終わりの会』!」
穏やかな春の陽光が、窓から優しく差し込む3年C組の教室。
最後のホームルームは、担任教師である紀見峠アマミ先生への花束贈与から始まったんだ。
ピンク色の生地に花柄を散らした御着物に赤紫の袴を御召しになり、御髪に大振りのリボンをあしらった紀見峠先生は、まるで大正時代の女学生のように、雅やかで艶やかだったね。
今の紀見峠先生みたいな装いを、「海老茶式部」って言うんだろうな。
「こうして誰1人欠ける事なく、30人全員で卒業式を迎えられた事は、先生にとっては何より喜ばしい事です。」
学級委員の矢倉さんから花束を受け取った紀見峠先生は、全ての席が埋まった教室を、誇らしげな笑顔を浮かべて見回したの。
確かに、例え他の生徒達が元気に登校したとしても、昏睡状態だった私の席だけは、今日まで空席のままだったからね。
「えっ…?」
そういう具合に、何となく物思いに浸っていたら、紀見峠先生が私に視線をピッタリ合わせているのに気づいちゃったんだから、驚いちゃったよ。
「吹田さん、教壇にいらして頂けますか?」
私、何かマズい事でもしたのかな?
先生は至って温和な笑顔を浮かべているし、クラスの他の子達にも深刻そうな雰囲気はなさそうだから、変な気後れ無しに行って大丈夫なのかな…
「あっ、はい…」
神妙な面持ちで教壇に上がった私に、笑顔を浮かべた紀見峠先生は、正面を向くようにジェスチャーで示したんだ。
1年生の時にも私や英里奈ちゃんの担任だった紀見峠先生は、その当時よりも少し大人っぽく、そして頼もしくなっていた。
それは、海老茶式部の和装に合わせた念入りな化粧だけではなく、2年半という歳月の間に、教師として然るべき成長を果たしたからだね。
その事は良いんだけど、紀見峠先生が御召しの御着物からは心なしか、桐ダンスと防虫剤の臭いがするんだよね。
先生のその和装って、毎年の卒業式だけではなく、御自身の大学での卒業式や成人式の時から御愛用されている品なのかな?
まあ、その海老茶袴は高級なカシミアだからね。
虫食いになんかなったら洒落にならないよ。
「皆さんも御存知の通り、吹田千里さんは人類防衛機構に所属されている特命遊撃士です。2年半前、『黙示協議会アポカリプス鎮圧作戦』に参加された吹田さんは勇敢に戦い、名誉の負傷を負いました。このクラスにも大勢いらっしゃる、遊撃士や曹士の皆さんを勝利に導くために、そして一般生徒の皆さんと管轄地域を守るために…その結果、ほんの少し前まで吹田さんは、昏睡状態を余儀無くされていたのです。」
間違ってはいないんだけど、紀見峠先生ったら随分とオーバーな紹介だよね。
クラスの子達も、すっかり神妙な顔をしちゃって。
「そんな吹田さんが、今日はこうして皆さんと共に、卒業式に参加されています。それでは吹田さん、御挨拶の程をよろしくお願い致します!」
「ええ~っ…!ちょっと、先生…」
これはまた、面倒な事になっちゃったなあ…
私、スピーチの原稿なんて用意していないよ…
とはいえ、こうして蝋人形みたいに、教壇の上で何も言わずに硬直していても、何の解決にはならないからね。
ええい、こうなっちゃったら仕方がない…
なるようになれだよ!
「やあ、どうも…御紹介に与りました、吹田千里です。紀見峠先生の御紹介にありましたように、私は1年生の時に、黙示協議会アポカリプスとの戦いで負傷して、こないだまで昏睡状態でした。この3年C組の教室に来るのも、今日が最初で最後という事になります。」
私は一端ここで言葉を区切ると、教室の中をグルッと見回してみたんだ。
英里奈ちゃんや夕香ちゃんみたいに、1年生の時もクラスメイトだった子もいれば、京花ちゃんやマリナちゃんのように、3年生になって初めて一緒になった子達もいる。
この顔ぶれが揃うのも、現役中学生としては今日が最後。
そして、時間割表や学級旗といった、学校生活になくてはならない掲示物が貼られている教室の風景も、これが見納め。
私にとっては、その両方が初見にして見納めになってしまったね。
それでも、こうして来れて本当に良かった。
それでも、こうしてこの風景を見る事が出来て本当に良かった。
そんな思いを伝えよう。
「答辞で語られた3年間の思い出に加われなかった事は残念ですが、中学校生活を締め括る卒業式に間に合った事は幸いです。私は今、確かに御子柴中学校3年C組の一員としてここに立ち、皆さんと一緒に次のステップに進みます。」
神妙な顔をして聞き入っていたクラスメイト達は、私が一礼した瞬間、教室中に響き渡る万雷の拍手を打ち鳴らしたんだ。
「えっ…おおっ…!」
みっともなくも狼狽えちゃって、私ったら情けないなあ…
でも、これが所謂「スタンディングオベーション」と呼ばれる、教室内総立ちの状態だったら、果たしてどうなっていたのやら…
「御見事です…御見事ですよ、千里さん!」
賞賛と労いが綯い交ぜになった言葉を、真っ先にかけてくれたのは英里奈ちゃんだった。
私に向けて拍手を鳴らす手は、少しも休めずにね。
「良いスピーチだったよ、千里ちゃん!」
「よく言った、ちさ!」
英里奈ちゃんに続くようにして、京花ちゃんとマリナちゃんのサイドテールコンビが、満面の笑みを浮かべて口々に労ってくれる。
「千里ちゃん、回復出来て本当におめでとう!」
英里奈ちゃん達のエールに触発されたのか、C組の特命遊撃士と特命機動隊曹士の子達が、一斉に立ち上がった。
「私達、千里ちゃんが目覚めるのを信じて待っていたんだよ!」
こう呼び掛けてくれたのは、4年前の特命遊撃士養成コースで同期生だった、南崎泉ちゃんだ。
肩に輝く金色の飾緒と階級章を見るに、泉ちゃんも少佐に昇格したんだね。
「吹田千里准佐…昏睡状態からの御回復、並びに第2支局への御復帰、誠におめでとうございます!」
紺色の制服が目にも鮮やかな特命機動隊曹士を代表して、北加賀屋住江一曹が私に笑いかけてくれる。
相も変わず、美しくて可愛らしいソプラノボイスだね。
本人にその気があれば、明日にでもアイドル声優としてデビュー出来るんじゃないかな?
「ありがとう、第2支局のみんな…これからも、よろしくお願いするね!」
「勿論ですよ、吹田千里准佐!こちらこそ、よろしくお願い致します!」
いいねえ、住江ちゃん。
住江ちゃんの可愛らしい声で激励されたら、例えどんなに苦戦していたとしても、たちまち逆転出来そうだよ。
身体の動きに合わせて揺れる鶯色のツーサイドアップも、見るからに可愛いし。
「総員、起立!吹田千里准佐に、敬礼!」
「敬礼!」
マリナちゃんの一声で一斉に立ち上がった遊撃士と機動隊曹士の子達は、機械仕掛けのような一糸乱れぬ統制された動きで、人類防衛機構式の敬礼を美しく取るのだった。
胸に右拳を押し当てる敬礼は、防人の乙女みんなの誇りだよ。
おやおや…
マリナちゃん達の勇壮で美しい敬礼に圧倒されて、一般生徒の子達ったら声も出せないみたいだね。
「ありがとうございます、皆さん!不肖、吹田千里准佐!今後とも堺県第2支局に所属する防人の乙女の一員として、管轄地域防衛と人類文明守護の為、粉骨砕身致す事を誓います!」
私が答礼の姿勢をビシッと決めると、再び割れんばかりの拍手が教室中に響き渡ったんだ。




