05.老夫婦
俺は記憶を頼りに農園に向かって歩いた。
追っ手に見つからないよう、物陰から物陰へ移りながら慎重に進む。
ときどき夜の闇のなかに農家の灯が浮かび上がる他は、辺りには全く人気がなかった。領地の中心になる城下町はずっと西の方にあるからだろう。
しばらくして、それらしい土地に辿り着いた。
ダンビエール家が住んでいた古い屋敷も目に入ったけど、そこには近づかないことにした。
あの大男たちが、エリックがそこに戻ってくると考えて待ち伏せしてるかもしれないからだ。
農園の外れに一軒の小さな家を見つけ、俺は足音を忍ばせて近づいていった。
窓の雨戸の隙間から光が漏れている。
ドアに耳を当てて中の様子を窺うと、ぼそぼそと話す声が聞こえた。
しばらく迷ってから、俺は思いきってドアをノックした。
ぱたっと話し声が止まり、少し経ってから、
「こんな夜中に誰だい?」
年老いた女の声がした。
「済みません、ここを開けてもらえませんか?」
「だから、誰だって聞いてるだろう」
女はかなり警戒してるみたいだった。
「……エリックです。エリック=ダンビエール」
俺としてはそう名乗るしかなかった。
女が驚いて息を呑む気配がした。
誰かとひそひそ相談する声がした後、かちゃりと鍵が外されドアが開く。
「……驚いた、本当にエリック様だ」
しわだらけの老婆が目を見開いて俺の顔を見つめた。
「あの……入っても構いませんか?」
「ええ、もちろんですとも。どうぞどうぞ」
家に招き入れられて、俺は心からほっとした。
部屋のテーブルには、老人が座っていた。
老人は立ち上がって俺を迎え、椅子を勧めてくれた。
「エリック様、どうしてこの土地に戻って来られたんです?」
老人は訝しげに尋ねてきた。
「それは……」
どうしてなのか、俺に分かるはずがない。
モンペール領に関係したエピソードは二章で語られていた。三章以降では、主人公の冒険の舞台は別の土地に移っていたから、その後のモンペールがどうなったのか、何も書かれていなかったんだ。
「……そうですか、きっと言葉にできないほどの苦労をされたんでしょうな」
老人は同情するように言った。
「ええ、そうなんです」
俺は急いで調子を合わせる。
「エリック様、いくらご苦労をなさったからといって、私どもにそのような口の利き方をされる必要はありませんよ」
老婆が笑って言った。
そうか、俺は自然に話してたつもりだけど、この老夫婦はダンビエール家の領民だったんだ。領主一族である俺が丁寧な口の利き方をするのは不自然だ。
この老夫婦に本当のことを話したとしても、理解してもらえるとは思えない。
俺は本当は明石柾樹っていう高校生で、この物語が書かれた本の外の世界からやってきたんだ、なんて言ったら頭がおかしいと思われるだけだろう。
「す、すまない、久しぶりに会ったものだからな」
俺はエリックになりきって言った。
ぎこちない口調になったけど、老夫婦は不審には思わなかったみたいだ。