02.その男の名
「ちょ、ちょっと待ってください。あなた人違いしてますって」
俺は震え上がって必死に言ったけど、大男はもう聞いちゃいなかった。
「いいだろう、俺がここで貴様の両足を叩き斬って、遠くの山へ捨ててきてやる。そうすれば貴様も二度とこの土地に戻ってこれんだろう」
大男は斧を両手で構えると、ずんずん俺に迫ってきた。
うわ、ダメだ。話し合いが通じる相手じゃない。このままじゃ本当に両足を切り落とされる!
俺は身を翻すと必死に逃げ出した。
恐怖で膝ががくがく震え、何度も転んで地面に顔を突っ込んだ。
頭から泥だらけになったけど気にしてる暇はない。
すぐ後ろに大男が迫ってくる音がする。
このまま道を走ってたんじゃいずれ追いつかれる。
俺はやぶれかぶれで右側の藪の中に突っ込んだ。
そのとたん、足が宙をかいた。
まずい、藪の向こうは切り立った崖になってたんだ。
ふわりと落下していく感覚に、俺の意識は遠のいた。
ああ、まさかこんなわけのわからない形で俺は死んじまうのか?
次の瞬間、俺は背中に衝撃を受けた。
もう一度ふわりと体が浮き上がる感覚がして、次に地面に叩き付けられる。
背中を強く打って、息が止まった。
必死にばたばたもがいていると、どうにか肺に空気を送り込める。
大の字に寝転がったまま頭上を見ると、厚く葉を茂らせた木の枝が大きく揺れているのが見えた。
あそこに落ちたせいでクッションになって、死なずに済んだのか。地面がぬかるんで柔らかくなっていたおかげもあるらしい。
体中に激痛が走ってたけど、致命的な怪我は負ってないみたいだ。
そのとき、頭上から大男の声が聞こえてきた。
「おーい、みんな、こっちへ来てくれ! やつが現れた! あのエリック=ダンビエールが戻ってきやがった!」
それを聞いて俺はぎくりとした。
その名前には聞き覚えがある。だけど、どうして俺がそう呼ばれるんだ?
まさか、いや、そんな。
エリック=ダンビエールというのは、俺が図書館で読んでいた本の登場人物だった。
俺は信じられない思いで、恐る恐る自分の顔を指先で探った。
その感触は、明らかに自分の顔とは違ってた。
俺の鼻はこんなに高く無いし、俺の顎はこんなにがっしりしてない。
「やつはあの辺りに落ちた。探し出して捕まえろ。抵抗するならその場で殺しても構わん」
また大男の声がした。集まった仲間たちに指示してるみたいだ。
ここで寝転がってたんじゃ、すぐに捕まるだろう。
俺はまだ混乱してて、この状況を受け入れられてなかったけど、ともかくこの場から逃げ出すことにした。