10.偽りの過去
「そんな、私のご主人様は、今でもエリック様だけです。こうしてご奉仕させていただけるのが、私にとって何よりの喜びなんです」
クレールは頬を紅潮させて言った。
鳶色の目を潤ませたその顔は、ますます愛らしく見える。
「こんなこと聞くのは変かもしれないけど……俺はお前にそんなによくしてやったか?」
「もちろんです!」
「たとえば、どんな?」
「どんなって、その……」
クレールは少し考えてから、
「……ご承知のとおり、私はエリック様に拾っていただくまで、農園で働いておりました。幼い頃に父が亡くなり、母も十歳のときに病に倒れ、弟とも引き離されて叔母の家で暮らすうち、奴隷として売り払われてしまったんです。あの頃の私は、きっとこのまま何一ついいことがなく死んでいくんだろうって諦めていました。そんなときです、エリック様が現れてくださったのは。エリック様は私を引き取ると、お城の女中にしてくださいました」
ああ、確かにそんな話を読んだ気がする。ようやくクレールについて記憶が鮮明になってきた。
「お城でお勤めする日々は、私にとっては夢のような暮らしでした。あんなに清潔なベッドで寝たのも、あんなに温かな食事をいただいたのも、生まれて初めてでした。それに、エリック様は、私に会うたびに優しい言葉をかけて下さいました。私は、このご恩に報いるためにも、エリック様に生涯お仕えしようと決めたんです」
目を輝かせて語るクレールを見て、俺は心から気の毒に思った。
クレール、君はエリックという男に騙されていたんだ。あいつは君が思っているような男じゃない。
エリックは下町や農園で顔のいい少女を見つけると、安値で引き取り、年頃になるまで手元で働かせた後、娼館に売り飛ばすということを繰り返していた。
甘い言葉をかけていたのは、上手く手なずけてそのときが来るまで脱走させないためだ。
もし主人公たちがエリックを追放していなかったら、クレールもまた絶望を抱きながら娼婦として売り飛ばされる運命だったんだ。
俺はクレールに真実を語ろうかと思った。
だけど、ここで残酷な現実を見せつけたって、クレールの希望を打ち砕くだけだろう。
結局、俺は黙ってクレールの話に頷くだけにした。
「あ、申し訳ありません。つい長々とつまらない話におつき合いさせてしまいまして」
「いや、いいんだ。昔のことを思い出せて、俺も懐かしかったよ」
「エリック様……」
「でも、お城の女中だったお前が、どうして農園で働いているんだ? テオドールは俺たちを城から追放したが、奉公人には一切罪を問わなかったはずじゃないか」