01.目覚め
始まりは、ある金曜日の午後だった。
午前中に中間テストが終わると、俺は学校帰りに図書館に寄った。
市立図書館の分館で、かなり古ぼけた建物だ。
蔵書も充実してるとは言えないけど、人も少なくのんびり読書を楽しめるので、俺はよく利用していた。
今日は何を読もうかと、ぶらぶら書架の間を歩くうちに、ふと変わった本を見つけた。
革張りの重厚な装丁で、そのくせ背表紙には何も書かれていない。
俺はその本を引っ張り出してみた。
表紙と裏表紙を確認したけど、やっぱり何も書いてなかった。
なんだこりゃ。
首を傾げながらページを捲ってみる。
中身も白紙なんじゃないかと思ったけど、ちゃんと日本語の文章が書かれていた。
さっと目を通した感じでは、ファンタジー小説らしい。
しかも、指輪物語みたいな本格的な大作みたいだ。
テスト明けの気晴らしに読むには、ちょっと重すぎるかな。
だけど、妙に惹かれる雰囲気もあって、結局、俺はその本を持って読書スペースに向かった。
実際に読み始めてみると、思ったとおり、最初から世界設定について長々とした説明が続いた。
その世界に住む種族、王国、魔法、あらゆることが解説されている。
途中で本を閉じようかと何度も思った。
でも、創作とは思えないくらいの精緻で生き生きとした描写に、俺は少しずつ引き込まれていった。
そして、いよいよ本編である勇者の冒険が始まると、俺は夢中で読みふけり始めた。
世界が魔王の軍勢に狙われていることを知った勇者は、己の使命を悟り、旅に出る。
幾つもの困難を乗り越え、仲間を集め、王の知遇を得る。
それから、ついに魔族の一人との対決を迎えるところで、一章は終わった。
ふと我に返ると、いつの間にか読み始めて二時間以上が過ぎていた。
こんなに本に夢中になったのは久しぶりだ。
考えてみれば、昼飯もまだだったから、かなり空腹を感じた。
でも、途中で読書を切り上げる気にはなれなかった。
トイレに行った後、ウォータークーラーで喉を潤し、すぐに元の席に戻ってくる。
栞代わりにペンを挟んでいたページを開き、読書を再開した。
本を読み続けるうちに、俺は不思議な感覚に襲われ始めた。
意識が遠のくというか、頭がぼんやりするというか、現実感が失われていく。
その代り、物語の世界が、まるで実際に目で見ているかのように、ありありと広がっていった。
なんだかおかしいぞ。
そう思いながらも、俺は読書を中断できなかった。
そして、いつの間にか、俺の意識は闇に包まれていた。
次に意識を取り戻したとき、俺は林の中に倒れていた。
は? どうして俺はこんなところに?
状況が飲み込めず、ぼんやりと辺りを見回した。
目に入るのは木々と茂みだけで、人の気配は全くない。
ときどき鳥のさえずり声が聞こえる他はしんと静まり返っている。
俺はついさっきまで、図書館で本を読んでいたはずだった。
それなのに、まるで瞬間移動させられたみたいだ。
いや、そんな馬鹿なことがあるはずがない。
きっと何かの理由でここまで移動してきたときの記憶が無くなってるんだ。
たとえば、トラックにはねられたショックで記憶喪失になったとか。
俺は急いで起き上がり、自分の体に異常がないか確かめた。
どこにも怪我はしてないみたいだった。痛みも感じない。
その代わり、着ている服はぼろぼろになっていた。
いや、違う、ぼろぼろになったんじゃない。違う服に変わってるんだ。
俺は高校の制服を着てたはずなのに、汚れて穴だらけのシャツにズボン、大きな雑巾みたいなマントに泥だらけのブーツって格好になっていた。
全くわけが分からない。本当にどうなってるんだ?
とにかく近くの道路まで出ようと、俺はふらふら歩き出した。
五分も歩けば林を抜けられるだろうと思ったのに、歩いても歩いても目にはいるのは木々ばかりだった。
おいおい、まさか遭難して野垂れ死ぬなんてことにならないだろうな。
不安を覚え始めたところで、やっと道に出た。
土がむき出しの細い道だけど、獣道ってわけじゃなさそうだ。ところどころに靴の足跡がある。
よかった、助かった。
この道を進んでいけば、そのうち街に出られるはずだ。
しばらく道を歩くうちに、前の方から誰かがやってくる気配がした。
木の陰からひょいと姿を現したのは、がっちりした体つきの大男だった。
シャツの上に毛皮を身につけ、肩には大きな斧を担いでる。
おいおい、なんかのコスプレか?
しかも、髭に覆われたその顔は、どう見ても日本人じゃなかった。
かなり彫りの深い顔立ちだけど、だからって欧米人って感じでもない。
大男は俺に気づくと、ぎくりとしたように立ち止まった。
「あ、あの、済みませ……」
俺はこわごわ話しかけようとしてから、びっくりした。
おい、俺は何語をしゃべってるんだ?
俺の口から出たのは日本語じゃなかった。
でも、不思議と意味は理解できる。
大男は戸惑ったように俺の顔を見つめてたけど、ふいに何かに気づいたように表情を変えた。
「貴様、よくもぬけぬけと戻ってこれたな」
恐ろしい怒りの形相で大男は俺を睨みつける。
「え? 何のことですか?」
「とぼけるな! 放浪で多少顔つきが変わろうと、俺が貴様の憎い面を見忘れると思うか!?」
ひえっ、一体どうなってんだ? 誰と勘違いしてるんだよ。