第二十一話「憑きの血筋」
啖呵を切ったネヴは、苦戦を強いられていた。
魔眼のおかげで致命の一撃を紙一重に受け流し、反撃を試みても、かすり傷がせいぜいだ。
ここは夢のなか。相手の支配する場だ。
交渉を蹴ったうえでまだ生きているのはよくやっているほうだ。
(接近するまでは簡単なのですが)
切断に長けた剣先を下から跳ねあげ、奇襲を狙う。
だがビクトリアは風を受ける柳のようにゆらりと避けられる。
『夢』という場所のせいだ。
夢には深層意識が反映されやすい。精神の底は《無意識の海》の近域だ。
(これは……あちら側が支配力を持っている以上、マウントをとられるぞ)
いずれネヴの根気が尽きる。
ネヴが愚直に刀を振れているのは、まだ勝てる道があるからだ。
(今回はアルフがいる。幻覚、この異様な場所からみて、催眠に近い異能だと予想がつく。ならばアルフはここに来ない。あっちで解決の糸口を見つけ出してくれるよう――祈る!)
かくして祈りは届いた。
ネヴの知らないところ、ネヴの知らないかたちで。
ぼろ。非実在の床の角が崩れた。
崩壊はみるみる広がり、あっという間に穴があく。まるで水をかけたクッキーのように壊れて出来た大穴に、ネヴとビクトリアは落下する。
今までにない落ち着いた顔色を保っていたビクトリアも、驚愕にぶるりと睫を震わす。
「なんてこと。ようやく休めるはずだった人達を――」
「どういう意味かはわかりませんが、これでようやくまともに戦えますねぇ!」
高揚に若干声がひっくりかえる。
体をひねって着地をすれば、ふわりと羽が舞い降りるが如く地に足がついた。
先ほどまでいた空間にそっくりの家具の配置の部屋だ。
違うところもある。迷宮にあった女神像が四方の片隅に置かれていた。
看守に見張られる囚人のようで居心地最悪だ。
現実に引き戻されたビクトリアの顔はもうはっきりと見てとれる。
以前なら感情をむき出しにして、ぷりぷり怒りだしただろうビクトリアは、唇を引き結ぶ。
「まだ混ざってるんですか。異能ではないでしょう」
直接交戦してみて、まじまじ観察してわかってきた。
「ビクトリアさん。あなたも霊媒だったんですね」
ネヴの指摘に、ビクトリアは品のよい微笑みを返す。
胸をはった美しい背筋もあいまり、洗練された淑女の動作だ。
見とれるように美しい文字を書くような、完璧なレディ。
「ダヴィデさんがいたとはいえ、完全に肉体を機械人形に入れ替えるには問題もあったでしょう。元々霊をおろせる体質を利用しましたか」
「あなたと違うタイプだけれどね。我が身に神秘を宿すのではなく、然るべき準備をすれば精神と肉体の接点を操れる。わかりやすい例は、幽体離脱あたりかしら」
ビクトリアのなかの淑女―――ドラードの取引相手であり、ビクトリアの主人であるのだろう人は、あらかさまな敵意もなく疑問に答えた。
だが次に口を開いた時、口調がカメラのシャッターを押したかのように切り替わる。
「もっとも、ビクトリアはしがない没落家系で、ろくに使い物にならない程度の魔術師。ここまでする準備に一年以上かかってしまったわ」
ビクトリアだ。
ネヴはビクトリアが獣憑きではないとは薄々気づいていた。魔眼で見てきたが、あまり獣憑きらしき痕跡が見られなかったのだ。
もし獣憑きなら、そも、あんな機械の体は不要だったろう。
疑問は残る。
(何故わざわざそんな)
手間暇をかけ、わざわざ他人の意識を自らの肉体に移植する。
百歩譲って、外敵を排除するちからのために肉体改造を施すのはわかるが、意識の移植はネヴ殺しと関係ない。元のからだでも異能は扱えただろうから。
そこまで考えて、急にぴんとくる。
機械の体。他の体を得る必要性。理由は違えど、似たような『補助』が必要だった仲間を思い出したのだ。
「もしや。シグマの姉と同じ? 後々のため? あなた、動けないのですか?」
「この世の多くの不自由は、貧しさから起こる。だが豊かだからといって、満たされるとは限らない」
端的な肯定だ。ネヴは喉の奥を鳴らす。
ビクトリアはやたら攻撃的なぶん、まだやりやすかった。
主人のほうは、逆にネヴの思考と近しいことをいう。
「ところで質問なのだが。君は相手のことを知ったうえで殺し合いたいタイプかな?」
「は? あー、ええ。勘違いされるんですが、気に入らないから殺したいんじゃなくて、生きるのを邪魔されるからやり返したいタイプなので。自分の意見がある人はむしろ好きですね」
「そう。気があうわね。なら今更だけれど、自己紹介しましょう。時間が押しているから、殺し合いつつ」
ビクトリアが一歩前に出る。
踏み出された靴のつま先に殺気を感じ、鞘を前にかざす。
時間をかけずに、ビクトリアの鉄の拳が突っ込んでくる。
踵に仕込んだ加速装置で慣性を増した一撃は重たい。
「――――そうですねッ!」
ビクトリア側には異能が解除されて、不都合があるらしい。
表面上は綺麗に隠れているものの、魔眼を通して視たメンタルには焦りがみてとれた。
そちらを優先しつつ、ネヴの排除もできるだけ筋を通してやろうとしている。
おかしな話だが、ちょっぴり嬉しかった。人扱いされている気がする。
気持ちのよい殺し合いってあるんだなあ、とずれた感慨を抱く。
「私は生まれつきからだが不自由でね。ハンデを上回る恵みを与えられたが、埋められない空虚はあった」
「わかるッ!」
胸元を狙った拳を受け流そうとして、やめた。
力尽くで相手の手首を巻き込むように跳ね上げる。
ネヴの心臓の上に向いていた握り拳から、ガションと太い釘が飛び出した。
「ありますよねえ、お金じゃ埋められないものッ」
「今となっては、おかげでろくに顔も知られず、これだけ動けたわけだから何がどう転ぶかわからないね。山ほどの知識と経験が私を支えたけれど、それすら得られない人々は、どれほど過酷だろうね」
「確かにッ!」
呼気とともに相手の腕の下に刃をすりこませる。
金属の肌にあたる刃は、なぞるように肌の上を滑り、勢いをつけて右の肘で止まった。
魔眼で捕らえた小さな『ひずみ』。
人工皮膚の下に隠された球体関節のスキマに、丸みのある切っ先を入れようとする。
蝶番を壊すように関節を切り落とすつもりだった。
ビクトリアはネヴの刃が二センチほど沈むやいなや、もう片手で自ら肘を取り外す。
バルブを緩めるようにあっさりハズされた関節から、閃光のはしりが覗く。
(うわ、『囮』ですか)
あえてネヴが狙うように作られたスキマから溢れた明るすぎる光にまぶたを閉じる。
すかさずとんでくる攻撃の余波を肌で感じ取り、動物的な勘で避ける。
「対話は素晴らしい。お互い納得したうえで結論を導き出せる。そういう意味では君のことも満更嫌いではないんだ」
右手の拳に秘されたパイルバンカーが迫る。
ネヴの眼はまだまばゆさに暗く潰されている。だが魔眼は違う。脳が動けば魔眼は『存在しない光』も映像として感じ取れる。
ネヴは一撃目を刀で受け止めた。
鋭いが脆い刀の刃が折れる、嫌な音がした。
ネヴは「使えなくなった」と判断した時点で、刀を落とした。
空いた手を突き出し、二撃目の拳をつかみ取る。より脳と直結した動きができる手は、刀を操るより正確に動いた。
ビクトリアの手をとり次第、もう片手も使って相手の手首をつかみ取る。
指先さえ使えれば、『部品を解体』するのは不可能ではなかった。
ぼとりとビクトリアの手が外れる。
「やるじゃないか!」
感嘆の声にネヴはニヤリと笑ってしまった。
「だが悲しいかな。平行線は交わらない。私は、無責任に実るとも限らない努力にあえがせるぐらいなら、その人の生を引き受けてやろうと思っている。君は……逆だな」
「そうですね。結局それは、苦しめた側が意気揚々と生きて、苦しめられた側が追いやられた形になりますから。悔しいじゃないですか」
「何を後悔とするかの違い、だな」
目が回復する。
まぶたを開けば、目の前にはビクトリア。左の手首がない。
(――さっきまで使っていた手は?)
ビクトリアは腰の後ろにひいていた右の手を構えていた。