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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
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第十八話「時代遅れの救済」


 母ナタリアと再会を果たしたイデは、はっと後ろを振り向く。

 激しい頭痛がする。衝撃がガラスの灰皿で殴られたかのようにガツンと響く。


「今、地震が起きなかったか?」

「多分エマさんとビクトリアちゃんだわ」

「ビクトリア? あいつ、こういうことするタイプかよ」


 もやがかる頭を人差し指でこづいていると、母とネヴ(の虚像)が振り返り、イデを心配そうに見やっていた。

 二人は台所で並んで料理をしていた――らしい。


 これもナタリアの叶わなかった理想のうちなのだろう。

 そのわりに家の間取りには見覚えがある。母とイデ、そして父の三人で育った生家である。

 窓はくすみのないピカピカの新品で、いくら掃いても消えない埃は綺麗さっぱり消え失せていたが。


「あのチビ、どっちかっていうとネヴ寄りの猪突猛進タイプに見えたのに」

「ふふ。ま、一生懸命な子よね」


 仲睦まじく過ごしていた母が、タオルで手をふいてテーブルについた。ネヴも母の横に座る。


「この場所のことに関しては、エマさんが責任者なの。エマさんというのはビクトリアちゃんの雇い主。わたしにはさっぱりわからないんだけれど、専門的な勉強をしていて、この施設も作ったらしいわ」

「人生に詰まった奴らを集めて、一度入ったら二度と出さない施設か」

「少し誤解があるみたいね。確かにわたしたちはもうここから出られない。でもこうなる前にきちんと説明と許諾はあったのよ」


 ナタリアの瞳が冷淡に細められた。彼女はもう『現実ではもう不幸だけ』と思い込んでいる。

 『エマ』という人物に、ナタリアは深い信頼を覗かせる。


「いい人よ。いっつも皆のことを考えてる」

「これが『皆のため』か。オマエは幸せにはならないってつきつけるのが」

「事実だもの。現実を変えるより、わたしたちが現実から切り離されるほうがずっと簡単よ」

「それは本当に世界を、社会を変えられたはずのやつらが、俺らを見捨てたってことだろ。政治家とか金持ちとか、隣人とか。そういうやつらがよ」


――――母は、幸せにされるべき人間だったのに。

 憤懣に打ち震え、奥歯をかみしめる。

 本音をいえば、イデがちからある人間にのしあがって、散々煮え湯をのまされた理不尽を蹴飛ばしてやりたかったのだ。

 しかし、貧しい家で威圧的な見目に生まれたイデは、無力なままで。外からの救いなんてあてにできないのに、せざるをえない。

 

 軽蔑していた父を落ちぶれさせたものは、イデの心も折った。母の希望も、なにもかも。

 イデと同じ痛みを背負う母は、慈悲深くイデの手をとった。


「頑張ったって、なんにもできないじゃない。私達は。ゴミ扱いで馬鹿にされるのがオチ。だからイーデン。あなたにもこっちに来て欲しいのよ。何もつらくないでしょう、ここは」

「……あんたが出て行った後の……あの街に居た頃の俺だったら、頷いてたかもな」


 ネヴがいなければ。

 あのよく笑う女に好かれなければ、イデは今も先の見えない人生に荒れていた。

 血みどろの現実に、何度手痛い目にあおうが噛みつく馬鹿がいなければ。

 いくつもの複雑な感情が去来する。


 母に抱くのは悲しみと怒り。そして嘆きだ。

 厄介なことに、ここに辿り着いたのは母が消えたおかげでもある。

 母が失踪はプラスだったか、マイナスだったか。

 母の顛末を知っておきながら、自分の仄暗い喜びに、『悪いことばかりでなかった』と思えてしまう。

自嘲するしかない。


「そうね。あんたには悪いことしたわ」

「なんで出てったんだよ」

「薬の実験台ってね、結構お金が出るの。治験ってやつ。あなたがすごく頑張るから、報われない結果になって欲しくなくて。奨学金がとれなくても短大くらいなら行かせてあげたかった」

「そうか」


 母はどこまでも息子を助けようとしていた。


「あー。まあ、お袋もなんだかんだいい方向にいってるみてえで、よかったぜ」


 皮肉がもれる。無意味な笑いで喉が鳴る。イデには予感があった。―――これはろくな仕舞いにならない。

 ネヴは笑っているし、ナタリアは見たこともない安心しきった空気をまとっていた。

 煙草の臭いはない。酒も。父の姿は見当たらない。

 ここは安全だ。苦しみひとつない理想郷だろう。

 

(だが、ネヴの奴は嫌いだろうなあ。ここ)


 家畜小屋とかいいそうだ。

 思いっきり顔をしかめるのが想像できる。他人が入るぶんには構うまいが、自分が飼われるのはまっぴらごめん。無理矢理入らされそうになれば殺し返す。そういう人間だ。

 ナタリアの隣で可愛らしく笑うネヴから目をそらす。幻想のネヴは手袋をしていなかった。

 傷ひとつないまっさらで真っ白な手は、虚しいぐらい嘘くさい。


「なあ、お袋。お袋は夢の世界にいるっつってたが、それってどこで――」


 意を決して呼びかけた時。

 ふたたび世界を地震が襲った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おお……! そうだよね、ほんとはイデくんが助けてあげたかったんだよね、お母さんを……。 ここのとこのイデくんの心境、とても共感します。傷も含めてのネヴちゃんなのだ! 地震は良い前兆かそれと…
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