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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
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第十七話「存在の是非」


 頭がくらくらする。

 ネヴは唐突に、自分が【現在】に戻っているのに気がついた。

 手足はすっかりのびて、体じゅうに血が巡っているのがわかる。


 体を思う存分動かすのにじゅうぶんな筋肉がなんだか懐かしい。

 動き回るのに必要なエネルギーとして身につけた、適度な脂肪にほっとする。

 職員になってから今日という日まで、戦うためにつくった自分の体だ。

 片膝をつき、貧血のようにふらつく額をおさえる。

 カーペットの敷かれた床をうろつく視野のすみで、長いエプロンの裾が踊った。


「思い出した?」

「それが、なんだと?」


 気分が悪い。脳を直接かき混ぜられたかのような猛烈な吐き気がする。


「確かに、あの事件は私の人生観に深く関わっています。認めましょう。ドラード先生が話したんでしょうね。ですが私は今ここにいます。ああするしかなかった」

「知ってる。カウンセリングで、ドラードにだけは本心を話したものね。あなたは後悔していない。けれど、罪悪感はあるわ」


 脱力した膝を叩き、気合いで立ち上がる。

 ビクトリアはまだネヴに背を向けていた。片眉を跳ね上げ、小さい背を睨む。


「そりゃあ、ありますよ。親殺しですから」

「さっくりいえるレベルじゃあないでしょう。殺ったのはそういう生き物だからそうした(・・・・)から。もしあなたが母の心を癒やせるほど賢く、もっと待てるほど忍耐強く、母の恐怖を押さえつけられるほど強かったら、殺さず救えたかも知れない。生きたいのと同じくらい、無力な自分が憎いのよ。だからそんなに生き急ぐ。早く死にたいから」


 ネヴは舌打つ。

 心の奥底でにこごった一番ヘドロくさい部分をかきだされている気分だ。


「生きづらいわよね。あなたにとってこの世は、地獄のよう」

 ビクトリアがうっそり微笑む。背中しか見えないが、言葉端で上品に語ってみせる。

 ネヴは洗練された優美な仕草に、ひとつ確信を得る。


「あなた、ビクトリアではありませんね」

「ビクトリアよ。単に、貴女の知るビクトリアとは違うのよ」


 決して顔を見せぬ女は曖昧にはぐらかした。

 見目こそ、あの幼女の如く小柄な金髪のメイドだ。

 ネヴの魔眼と、血が知らせる直感がなければわかるまい。

 ネヴに過去の白昼夢を味わわせた彼女のひとつの肉体には、二つの精神が混ざりあっていた。


「ビクトリアの主人ですか」

「ほんとうにいい眼ね。質問に答えないのには感心しないけれど。楽しい獣狩り生活で忘れていた絶望を思い出したでしょう? もう、休みなさい。怪物になる前に」


 隠す必要がなくなったビクトリアの口調が露骨に変化する。


「カミッロを思い出してご覧なさい。人の世を醜くおかす怪物になりたい? 私はちからあるものとして、民を守るために看過できないと思っているわ。もういいでしょう、休むのよ。永遠はお仕舞い」


 部屋の色彩がパステルカラーににじむ。

 踏みしめた足がバランスを崩した。見下ろすと、踵がカーペットのなかにとぷんと沈みかけている。沼に似た感触が靴底を食む。

 ここはまだ夢のなかだ!


「自覚もあるはず。己の精神を写し取っていたダヴィデを壊したせいで、ぎりぎり保たれていた精神はひずみ、以前より暴走した状態になっている。それは貴女の本質ではある。とはいえ、荒れ狂う獣が人とともに生きられるものかしら。ネヴィー・ゾルズィはかつてのネヴではいられなくなる。その前に、なのよ」


 繰り返し、「その前に」と迫る。決断を促してくる。

 ネヴは足をあげ、カーディナルレッドのカーペットの沼から足を引き抜く。

 次に床を踏み直すと、ちゃんと、布の下にある硬いフローリングに足がついた。


「怪物になる、怪物になったらもうだめだ、ってやたらいいますね」


 過去に母にかけられた忠告と、ビクトリアの警告を並べてみた。

 襲い来る変容への恐怖に、ぶるりと震える。


 壊れるのは嫌だ。

 不幸は嫌だ。不幸のまま朽ちるのは。

 

 かといって、ネヴはネヴだった。

 彼女をつきうごかすのは、今も昔も、幸せへの希求。

 不当に他者を踏みにじり、邪魔するものへの憤怒だった。

 口元は、獰猛に吊り上がる。


「なんだ。つまり、なにも変わらないんじゃあないですか」


 すとん。急に腑に落ちた。

―――なんだ。なんだ。そうだ。(ネヴ)は昔から、我が身の幸福のために生きる化物だったではないか!


「よく考えたら、仮に化け物だったとしてなんなんです?」

「何ですって?」


 神降ろしだろうが、人だろうが、同じだと豪語するネヴの発言に、初めてビクトリアが曇る。

 実際に人心を蹂躙する怪物(カミッロ)を目撃したものの言葉とは思えなかったのだろう。

 出来の悪い生徒を諭す教師の面持ちで口を開きかけたビクトリアを遮る。


「ついてる頭が変わらないんだから、存在が多少違えど同じようなもんでしょうがよ。例えば男や白人や黒人やらなんやらに生まれた程度で変わるようなうっすい根性と性格に見えるのですか、私が?」


 笑う。牙を剥き、腹から吠える。

 この有様だ。屋敷に入る前から、ビクトリア達のもくろみは失敗していた。ネヴはとっくに戻れない。


「――――偉そうに人のいくすえにずけずけ口出ししやがって。そうだ、オマエ、私を殺そうとしましたね。いえ、現在進行形、ナウでも。よし。ぶっ殺してやる!!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] よっしゃよっしゃ! いや、ストーリーの中でしっかり伝わってますよ、ネヴちゃんの強さ! 魅力的ですよね……。 最初から最後まで、幸せになるための、他人の幸せを妨害する者を排除するための精神。…
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