第十三話「ネヴという子ども」
メチェナーデ家の巨大な入口の前で、ハニエルとミネルバはそろって屋敷を見上げた。
首を痛めないのか心配するほどの角度のまま、ハニエルは「はあ」と息を吐く。
扉の横で、右手に包帯をグルグル巻きにした男がネヴたち全員を睨んでくる。
包帯には血が滲み、ひとめでわかるほど顔色が悪い。冷や汗がダラダラだ。
「はーあ。こっちだって暴力なんか控えてえのになあ。イヤっていえばなんとかなるって思ってんのも、ある意味暴力だよなあ。道理を通さず無理で突き抜けるのが暴力なんだぜ」
「いいからハニエル。そのどこにしまっているのかわからん瓶から指を出せ」
「はいよ。耳と目玉は?」
「ついでに出せ」
缶からドロップスを出すように、瓶を雑多に振る。
ミネルバは片手を皿に部品を受けとった。おもむろに空いた手の親指を噛みちぎる。
血の垂れる指先を小器用に動かし、小さな文字を書き込んでいく。
「さ。無法者なりに給料分の仕事はしないとな」
ミネルバの手が、血文字を記した眼球を慎重に近づける。
すると彼女のてのひらのうえで、眼球がぐりぐりと瞳を動かした!
「うわっ」
思わずぎょっと声をあげるネヴに、ミネルバが悪戯っぽく白い歯を見せて笑う。
「加工する時間があれば、もっと色々させられるのに。でも今はこれでいいだろう」
ミネルバの言葉とともに、鍵の開く金属質な音が響いた。
ハニエルがミネルバの肩に触れる。
「ミネルバは喧嘩慣れしてないから、俺の後ろ」
「先頭はハニエル、君が切り開いてくれ。しんがりはオレがしよう。奥様とネヴちゃんはオレの前に」
ルリエは逡巡したが、やがてアルフの前に並ぶ。
手早く突入しようとする面々だったが、違う方面から叱咤が飛んできた。
右手の指と左目と左耳を切り落とされた執事だ。
「お待ちください! 地下はほぼ迷路です。炭鉱に通じる通路もあります」
乱暴を働いた狼藉者にもかかわらず、忠告を与えたのは貴族家に仕える使用人としての誇りか。
「限られた使用人以外、存在も知らぬメチェナーデ家の実質的な秘密の工房。当然、警備がおります。あらかじめインプットされたもの以外を見かけると、襲うようにできているのです!」
必死の形相に対し、ハニエルの顔色はそのままだった。
気怠そうに髪をぽりぽりとかく。
「だいじょぶだいじょぶ。心配なさんな。そのためのおれだから。ありがと」
果たして、ネヴ達一行は屋敷の地下へ侵入した。
家捜しの時間である。
メチェナーデ家は一般人に魔術が知れ渡る危険性を犯した。
ネヴ達は、夜な夜な作業を行う死者の行進を『都市伝説』、面白おかしい嘘の噂にする。
そのために必要なのは豪華な調度品の取り立てでもなければ、メチェナーデ家の血筋の根絶しでもない。
メチェナーデという魔術師の抹殺。
ついでに、「一般人ナメてミスったらこうなるぞ」という見せしめも兼ねる。
そのためにはまず、魔術師として活動するための拠点を破壊する。
その後の仕上げに、二度と再興できないようネヴの異能を利用して、魔術を使用するための素地を解体する。
解体に無事成功したあかつきには、めでたく組織の期待の新入社員の誕生だ。
最初の襲撃者は、地下に足を踏み入れてから数分後だった。
農民をいじくった、鎌と鍬を構えた死体達は、しかし武器を振り下ろす前に終わった。
ぼとり、と両腕がむきだしの地面に落ちる。
「首を落とせば死ぬってのがゾンビのお約束だよなあ。安全を優先したとこで、いっちょ検証してみっか」
いつの間にか抜かれた刀――あとから聞けば、抜刀術を嗜んでいるらしい――が振られた。
技術的に落とされた両腕の次は、首が理不尽な放物線を描いて転がった。
「ごめんなすって。どうせならいっぺんに来てくれや」
腕相撲でわらべを相手どるかのような温厚さで、ハニエルは次々死体達を屠っていった。
ハニエルが有する異能は【クロンダイク】。
独りで出来るトランプ遊びの名を冠す異能は、名の通り独りでも完結する異能である。
周囲にある物質から、任意で「なにか」を引き、足す。
対象物は、たし引きの許可を得た生物と、石など許可を出せない存在に限られる。
この異能の特性は、重ねがけができる点にある。
一度異能を行使した対象から、しりとりのように、同じ共通項を持つ別の物品から引き、足せる。
時間が経つほど強く、鋭くなる能力は、本人のダウナーさに反し、活発だ。
同時に抱える問題もある。
『重ねがけ』の有効期限が恐ろしく短いのだ。
その猶予時間、実に三秒。連続すればするほど強くなる異能を生かすには、またたきの間に「次」へ繋げねば、重ねた効果は一気に失われる。
なにを引き、なにを足すか。
それこそ、上の人間が、ネヴの教師訳としてあてがって理由だった。
素早い判断力だ。少女の不思議な眼に、鋭い観察眼を加えたがったのだ。
彼のえものが解体むきの物品なのもそうだ。
彼は『攻撃』というメインテーマを背負わせるために、刀を使う。
足し引きの経過さえ重ねればいい異能にとって、武器は足し算の一番最初にあたる要だ。
足し算の加速がじゅうぶんでないあいだは、異能抜きの武術に頼る。
ゆえに、ハニエルの剣技は熟達して見えた。
優れた武力は芸術に迫る。
ハニエルの洗練された強さに、ネヴは黒い目を輝かせた。
ちからづくでネヴ達を黙らせようと襲いかかる死者達をあっさり屠る大きな背中に、ネヴは憧れを抱いた。
「かっこいい……!」
血しぶきの飛び散る凄惨な現場で、そんな感想を漏らすネヴにハニエルは
「キミもすぐ強くなるよ」
と励ましてくれた。
前を向き、死者を肉片に変えていくあいまに。
アルフはハンカチで自分とネヴの血を拭う。
「派手にやるなあ。さておき、この人達も仕事が終わったらちゃんと埋葬し直さなければね」
「……あの、アルフさん。ごめんなさい。わたし、ちょっと気分が」
呆れと哀れみを半々に死体達を一瞥したアルフの服の裾を、ルリエが引っ張った。
口元をおさえたそうなルリエに、アルフは頭を下げる。
「申し訳ありません、オレとしたことが。ルリエさんはこういった場に来ませんものね」
「いえ。少し吐き気がするので、どこかの影で休みたいわ」
「じゃあついていきま……」
「本当にごめんなさい。できれば、見えない場所で待っててくれないかしら。見られると恥ずかしいわ」
珍しく人を遮ってまでお願いをした母の顔色は青ざめて、今にも吐きそうだった。
アルフは無言で背中をさすった。
即座に他の二人に一声かけ、ルリエを物陰に座らせる。
「お嬢を預かりましょう」
「心配だから離れたくないの」
「……わかりました。終わったら声をかけてください」
あたりいっぺんは臓物が床にまかれているというおぞましい状態だ。
アルフはルリエの心細さを察したのだろう。
ネヴは明るかったが、母として娘を案じる気持ちをくんだ。
「何かあったらすぐ叫んで下さいね!」
アルフが小さい音は微妙に聞きつけづらい程度に離れる。
それがすぐ駆けつけられるギリギリの距離だった。
ルリエはしゃがみこみ、額を抑える。
「――気が引ける」
そういって。母は座り込んだ近くの壁に触れた。
「ネヴ。お願いだから大人しくしてね」
母の柔らかい指がネヴにマスクを作る。
素直に黙ったまま、壁をなで回す母を「何をしているんだろう」と無邪気に見守る。
するといきなり、壁の一部が、小さな正方形の形でべこんと凹んだ。
「あった、スイッチ!」
小声の歓声とともに、アルフから見えない物陰の後ろに、ぽっかり暗闇が口を開けた。
隠し通路だ。