第十二話「ネヴという後進」
ネヴが【獣憑き】になってしばらくして、初任務が実行された。
魔術を目撃されてしまったメチェナーデ家から、その秘伝の技を奪う一大仕事。
メンバーはネヴ以外に、先輩だというANFA職員数人が呼ばれていた。
他に付き添い役として、アルフと母が常にとなりにいてくれた。
ネヴは魔眼によって失わせる道具や『技能』の解体法を見抜き、指示する役だ。
術士本人から魔術を扱う能力を喪失させるのはネヴ自身の手に委ねられるが、あくまで主体は先輩達であるとのことだった。
それはそうだろう。
ネヴはまだようやく年齢が二桁になったばかりなのだ。
実質、難しい仕事にちょうどいい異能者が現れたので、ついででネヴの異能を実践で検査するのが目的であるらしい。
三日月の浮かぶ夜のなか、メチェナーデ邸の前に集合する。
ダヴィデ・メチェナーデの邸宅は、その頃はまだ埃をかぶらぬ荘厳さを保っていた。
ネヴを抱えた母ルリエが顔を覗き込む。
母はまなこをこする我が子の前髪をいじり、眉を八の字に下げていた。
「大丈夫? ネヴィー。断ってもいいのよ」
「ううん」
ネヴは日常の就寝時刻を大幅に過ぎた時間帯でぼうっとしていた。
半分夢の世界に飛びだちそうになるのをこらえる。
このとき、既にネヴには俗世に戻れぬ自覚があった。
普遍的な善性を信じるには、凡俗な悪辣を見過ぎてしまった。
優しい母やアルフをはじめ、看護師などの記憶のおかげで、全ての人間が厭うべき悪魔だと思わずに済んでいられているだけだ。
透明な水に垂れた墨のように、恨みは残る。
人類が善良で当たり前と思える幸せは、永遠に奪われた。
あんな薄ぼんやりと守られた悪意にさらされるより、ANFAのほうがずっと居心地がよかった。
「そう……」
娘の返事に、母は上の空にメチェナーデの家を見上げる。
ネヴの職員入りが決まって以来、母は考え事にふける日が増えた。
周りは「母親はそういうもの。だがしかたない」と見守っている。
アルフも、口元の微笑みを抑えて憂いを示すにとどめ、過ぎた言葉をかけるのを控えていた。
三人で屋敷の前に構えていると、先にメチェナーデ家を訪ねていた先輩職員達がやってきた。
なかにはいらせるよう、交渉――という名の強制的な立ち入り――に向かっていたメンバーだ。
ひとりは陰気そうな男で、もう一人は豪奢な金髪を切りそろえた女の二人組であった。
「ああ、どうも。おそろいで」
陰気な男は高い背を丸めてトロトロ歩いていたが、三人を認めると軽く手をあげる。
「お待たせしちまったようで、すんませんね。執事長さんに鍵をよこすよう頼んだんですが、これが意外と強情で。手こずっちゃいまして」
「うちの凡百がすまないな!」
マイペースな男と対照的に、ハキハキ喋る金髪の女。
ネヴは物珍しげに二人を見やる。
生まれた頃から職場を訪ねる機会はたびたびあったので職員と話したことは多々あるが、実際に仕事にあたる姿を見るのは初めてであった。
それも今まであったのは事務職や医療、検査、記録作成と内側の仕事がメインだった。
外に出て、体を動かして働く舞台――つまり、死と隣り合わせの危険な任務を担当する、捨て駒同然のエージェント。
それなりに凶暴性のある獣憑きとの初遭遇である。
好奇心がうずく。
少女の視線を受け止めた男が「あれま」と声をあげた。
「聞いちゃいましたが、マジでガキか。あれ、規定だと十六歳以上は勤務禁止じゃなかった?」
男の質問に、アルフが心底嫌そうな顔で答える。
「いうなよ、ハニエル。今の管理部のリーダー、彼だからね。モノになりゃいくらでも例外を通すんだから。酷い奴だ」
「利益主義も大概だねえ。おかげで高い飯食わせてもらっちゃいますが。世知辛いなあ」
二人揃って肩をすくめる。
「気にくわないとはいえ上司だから、これ以上はやめておくか。で、仕事のほうは?」
「はあ。それがね。どうにも特殊な鍵らしく」
邸宅中を荒らして探し回るためには、自由に行き来するための鍵が必須だ。
魔術師の家など、強引に力尽くで壊したら、どんな呪いにかけられるかわからない。
そのためにも、先輩職員を向かわせていたのに、だるい返事にアルフの顔がしかめられる。
「ほら、あるでしょ。あれ。生体認証ってやつ。魔術って凄えわな、一部ではまだ科学を追い越してて」
「住人の協力が必要不可欠だね。ご主人は? あの人はプライドが高いから、操作拒否しないでしょう」
「それがおかしなことに、留守だとか。こっちにゃ関係ねえからなだめておどしてすかしてやってみたのに、えらい立派な使用人ですよ。主人の許可がなければダメだの一点ばりですわ」
アルフは綺麗な目をわずかにあげ、渋い表情をする。
向かい合った男ことハニエルは、親指で相方の女をさした。
「最初は指紋で開くのかなあと思ったら、ミネルバが『違うかも』とかいいよるんです」
「近年の研究では、耳の形の方が指より正確らしいぞ。あとは目玉も王道だよな」
「ほら。だからようわからんなったんでー」
ハニエルは懐に手をいれ、瓶を取り出す。
レモネードをいれるような大きな瓶だ。中身はたるんだ白と粘性のある赤がみっちり詰まっている。
「とりあえず全部持ってきた」
「全部」
「指。目玉。耳。削ぎました。これだけありゃあ、執事長ってんだから、ひとつぐらいあたるでしょ。他にも、アタリになりそうな何人か」
ネヴの耳に、母が「ひゅ」と息をのむのが聞こえた。
ハニエルはなんでもないような顔で、瓶に詰まった肉片を揺らしている。
アルフはやれやれと額に手をあてた。
「生体っていうんだから生きてなきゃだめなんじゃないの?」
「えっ……ネクロマンサーの家なんでしょ? どうにかなりゃせんですか」
「オレに言われても」
「勘弁してくださいよ。意味なくとっちゃったら可哀想だ。痛そうだったんすよ」
心底申し訳なさそうに唸るハニエルの肩を、女がはたく。
思い切りやったらしい。パンと綺麗な音がなった。
「全くこの凡百。私がなんとかするから、大丈夫だ」
「本当にィ?」
「相棒だろー、信じろ信じろ」
どんと己の胸を叩くミネルバに、ハニエルは「それもそうかー」とにへらと笑う。
独特のやりとりは、しかし、会話に似合わず深い絆をうかがわせるものだった。
「不思議。仲がいいのに、悪口をいうのね」
睡魔も手伝って、素直に感想をこぼしたネヴに、ミネルバが目を見開いた。
そして白い歯を見せてカラカラと大笑した。
「凡百は悪口じゃないぞ。いい凡百と悪い凡百があるんだ。こいつはいい凡百」
またも相棒ハニエルの肩をパンパンと叩く。
「ようし。先輩がてら教えてやる。わざわざ私達ふたりをあてたってことは、これからも関わるってことだろうしな。特にオマエの異能はハニエルと相性がよさそうだ」
「え、そうなん?」
己の顔を指さすハニエルに「そうだぞ。もしかしてオマエが先生役になるかもな」と三度叩いた。今度は殴るかのような勢いだった。
ハニエルの腰に下がった大小二振りの刀が小刻みに揺れる。
「こういうやつでもこうやって生きてられるんだ。心配することはない。オマエもしばらくはハズレモノの気分を味わうかもしれないがな。善人がいたおかげで世の中が今まで続いたならば、殺人鬼だって太古の昔からいるんだ」
「うんうん。そうそう。俺だって生きてられるんだから、世の中の底ってのは存外深いのよ」
小さな姪っ子を励ますようないたわりの微笑みで、二人は助言を繰り返す。
相棒の凶行をいさめはしなかったのだろうミネルバは、眩しい快活な笑みで、ネヴの額をこづいた。
「長い目でみりゃこの世に凡百でない人間はいやしないさ! 私たちですら、人間という大きな枠におさまる一人でしかない。他の人達と何も変わらないよ。異物だと指さされても気にせずにね」
ミネルバはよく笑う女だった。
両手を腰に当ててそりかえる女に、アルフが頬をかく。
「いや。君達はもう少し気をつけた方がいいんじゃあないか?」
「多少の恥は勿論あるとも! しかし死ぬよりマシさね」
いうほど恥を見せない姿は、一周回って清々しい。
アルフは呆れたように小さく溜息をつく。
母の腕に抱かれたネヴには、アルフの気持ちも理解できた。だがそれ以上に、やはり自分がANFA向きであるという確信を深めていた。
一方、目を輝かせるネヴをかかえる手が、一層強くしめつけられる。
おかしな和やかさに包まれた前座もそこまで。
気楽に言葉を交わし合っていたミネルバが、話はこれで一区切りというふうに手を牛ならした。
「では! 張り切って働くとしよう!」
長い夜が始まった。