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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
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第十一話「ネヴという帰還者」


 暴力は悪だ。

 ネヴを助けたのは間違いなく悪だった。


 ボールペンで逆襲して以来、院長の息子はおろか、嫌がらせが極端に減った。

 別に、彼は生きている。

 狙いやすさで選んだこめかみは、想定以上の激痛を彼に与えたようだったが。

 こめかみで出来たのは痛みのみだ。

 忘れれば、かえって(さいな)みの熱烈さは増す。


 犬の耳を噛むように、「私に手をだすな」と教える必要があった。

 ネヴは、クソ野郎が幼女にはあり得ない衝撃におののいた隙に、ペンを耳の穴につっこんで鼓膜を破った。


 響き渡る太い絶叫。

 即座に押したナースコール。

 駆けつける看護師の、あっけにとられた顔といったら。

 そのなかになじみの顔をみつけて、ネヴの胸がちくりと痛んだ。


 ネヴはまた騒ぎになるのではと己の浅慮を恥じた。

 しかし、事態はそうはならなかった。

 まだ(よわい)二桁にも足らぬ子どもが、十以上年上の男を一方的にたたきのめすとは、誰も信じなかったのだ。


 状況はどうしようもなくネヴを犯人だと示しているのに。

 クソ野郎に障害が残らなかったのが、更にネヴを断罪から遠ざけた。

 鼓膜の再生は早い。クソ野郎の耳も二週間程度、長くても一ヶ月で治るという。


 院長は息子がひとりで、女児の個室を訪れるという醜聞を恐れ、事実をねつ造した。

 夜間に、病院へ家無し(ホームレス)の下層民が侵入してしまい、息子と乱闘になった。息子は勇敢に戦った――と。


 ネヴは、面通しに連れてこられた男を前に、冤罪だと訴えた。同じ下層民の同情だとなあなあにされた。

 顔も見たことの無い犠牲者がどうなったかは想像にかたくない。

 憮然とふくれっ面のネヴに、院長が「君にとってもこの方が安心だろう?」といわれたのが、また腹が立つ。

 

 裁かれないことに安堵を覚えたことが、今でも小魚の骨が喉につっかかったように残っている。


 ネヴが院長の息子を入院させてから三日だ。

 アルフがやってきたのは。


 その日の朝は日が昇る前から、鼻の頭が鈍くなるような雨の匂いが満ちていた。

 

 彼はネヴの記憶と違わぬ、典型的な伊達男の格好で現れた。

 病院前で車を止めたのだろう。

 傘も差さずにエントランスにやってきた彼の服は、表面だけ濡れていた。

 

 あまやかな生地のスーツに身を包んだ美丈夫に、患者も医者も問わず女性達が色めき立った。

 目立つ赤毛の訪問者の前に、院長がおずおずネヴを差し出す。


「まさか本当にいらっしゃるとは」

「こんな悪趣味な嘘はつきませんよ」


 帽子を脱いで爽やかに笑う。

 細められた目の奥は冷たく凪いでいた。

 しかし、膝を折ってネヴに目を合わせると、凍った瞳が融ける。


「アルフ!」


 もう何年も会っていなかったような気がする。

 かたい胸に飛び込めば、アルフも涙ぐむ。あのアルフが!


「ああ、よかった。お迎えが遅くなってすみません、お嬢。本当に……」


 大きな手が何度も頭を撫でてくれて、じわじわ、『帰れる』という実感がわいてくる。

 涙がぶわりと溢れてくる。止めようとしても止まらない。

 アルフはネヴをひょいとだっこした。

 せきをきったように泣きじゃくるネヴの背をさすり、院長に声をかける。


「なるべく早く家に連れて行きたいのですが。書類も用意してあります。手続きをお願いできますか」

「ええ。はい。すみません。昨日の昼にお電話を頂いたので、まさかこんなに早いとは思わず」

「用意ができていないと? いいですよ。こちらもいきなりだというのはわかっていますから。俺はずっとここにいます。他に必要なものがあれば、他のものにとってこさせましょう」


 アルフの言い方は淀みなかった。

 偽りなく、本当にネヴにずっとはりつくつもりだと伝わってくる。

 院長は頭をかいて「病院の規則が」と口ごもったが、アルフがなにか手紙を渡すと、顔色を変えた。


 安心と脱力で、猛烈な睡魔に襲われたネヴは、そのやりとりにわずかに眉をあげた。

――最後の最後まで、嘘つきめ。


 手紙に何が書かれていたかは知らない。

 わかるのは、アルフはその日病院に泊まり、翌日には退院していたという事実だ。

 ネヴは二度とこの忌まわしい病院をたずねることはなかった。


 これでめでたし、めでたし――とはいかない。

 何故なら、この病院での事件がきっかけで、ネヴに新たな問題が起きていると発覚したからだ。


 瞳の異能――【獣憑き】の判明である。


 ネヴはANFAでは愛された子だった。

 されど、【獣憑き】となれば、見過ごされない。

 世の奇怪なるもの、異のものを調べ、接触し、対処することが彼らの役目だったのだから。


 安全な環境にあって、ネヴの精神状態が悪化したのも、組織からの診断を苦くした。

 心をゆるめられる場所に戻り、散々ため込んできたがストレスが一気に爆発してしまったのだ。

 ストレスの引き起こす感情の爆発は、異能の過剰な暴走に繋がった。

 

 他人がどう「できている」のか、ものの構造がどうなっているのか。

 そういった組み立てが常に見え、情報の洪水がネヴを荒らした。

 ライオネル・ドラードという主治医を得たのは、こうした時である。


 時間を経て安定をとりもどしはじめたネヴであったが、その頃にはもはや異能は定着してしまっていた。

 ANFAはやむをえず、まだ思春期にも入っていない少女をエージェント見習いとして雇用した。


 これは、実質的には、ネヴが爆弾と見なされたようなものだった。

 獣憑きは総じて問題がある。異能ゆえ有用とみなされ、きちんと組織がまわっているあいだはいいが、問題が深刻ならば『処罰』を加えねばならない対象になる場合も多々ある。


 収容したアーティファクトや異常存在(モンスター)のように、永遠に檻のなかにしまわれた獣憑きもいる。

 アルフはニコニコとして「悪いことばかりじゃあありませんよ」と慰めてくれたが、そのネヴには微笑みのうらにあるかげりを見過ごせなかった。

 

 そして、働く以上、まずネヴは経験をつみ、その異能の有用性を示さねばならなかった。

 機会の偶然が重なり、ネヴの初仕事は、かつての友人に関わるものに決まった。

 ダヴィデの生まれた魔術師の家系、メチェナーデ家の解体である。 

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― 新着の感想 ―
[良い点] やったー!帽子だ!帽子だ! ネヴちゃん、異能があらわれたことによるANFAの反応も、今までとの差を感じて人間不信の芽が生えたかもしれないなぁ。 ただ、芸術家氏も院長のクソ息子も院長もANF…
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