表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
85/168

第七話「ネヴという被害者」


 若い男の名を、未来のネヴは覚えていない。

 覚えているのは手と――絵の具だ。


 幼いネヴが男に導かれた先は、下層の片隅にある大きな建物だった。

 幾つもの錆色の箱が積み重なったような外観で、箱の一つが彼の家らしい。


 彼は自らの上着をネヴの頭に被せて移動した。

 隠されたことに不安感を覚える。だが他の大人はもっと怪しかった。


 なかに通されたネヴは、室内のちらかりように目を疑ってしまった。

 広さがネヴの別荘の半分もない。足の踏み場を選ばねばならないほど床に物が積まれていた。

 資料と思われる書籍に、筆、よくわからないカスと山のようだ。


 壁には紙が貼り付けられて、素の壁紙が見えない。

 紙はどうやら沢山の新聞の切り抜きに、絵のコピー、無数のデッサンと下書きらしい。

 あまりの散らかりかたに、本当に家なのか疑ってしまう。


「ここがお兄さんの家なの?」

「そうだよ。これでも芸術家(アーティスト)志望なんだ」

「画家?」

「そうともいえるね。絵も描くが、表現したいことによっては彫る。捏ねる日もある。作れるものならなんでも作るよ」


 初めてみるクリエイターの卵にネヴは目を輝かせる。


「へえ。すごいのね! わたしなんて、ぶきようだからっていちいちアルフがチェックするのよ」

「アルフってひとが君の保護者なのかな? まあ、子どもの頃はそんなものさ。気にすることじゃあない、そんなことは」


 男は「くっ」と唇を歪にひきあげて笑った。

 自らを嘲るような笑みに、ネヴの爛漫だった表情が曇る。


「あの、お兄さん。そうよ、アルフがわたしのおせわをしてくれるの。けいさつさんに行きたいわ。場所がわからないから、教えて欲しい、のだけれど……」

「わかってる、わかってる。警察には必ず届けてあげるよ。少しの辛抱だ」


 浮ついた返事だった。

 風邪をひいた人間を思わせる。熱っぽく不安定だ。


「いつ連れてってくれるの?」

「そうだ、飲み物をとってくるよ。適当なところに座ってくつろいで」


 熱に浮かされた男は、慣れた足さばきで別室にいってしまう。


「ねえ、いつー……?」


 控えめに、しかししっかり確認しようとした。

 だが小鳥のような高い声が虚しく響いただけだった。

 

 かといってネヴは動き回るのが好きだ。

 活発な子どもの例に漏れず、好奇心も強い。

 

 ましてや、そこは一般人からみればガラクタの渦だ。子どもにとっては宝の山と同義である。

 壊さないよう気を配りつつ、探索を開始した。


 本を少しずらしてタイトルを確かめ。

 紙の束を寄せ集め、一枚ずつ見聞する。

 絵の具の色に目をこらし、彫られた像を眺めやる。

 そうするうちに、部屋の奥に辿り着いた。


 最奥だけは床に物が置かれておらず、部屋のなかで、更にくっきりとした境界線ができあがっていた。

 結果でもはられているかのようだ。


「おっきな(チェスト)だ」


 結界のなかに、四つ足のついた飴色に塗装されたチェストが鎮座していた。

 足は短いながら、貴婦人の尻の如き悩ましく大胆な曲線を描いている。

 ともすれば、丸まった足先は、(うやうや)しく女王にかしづく奴隷の後ろ姿のように見えてこなくもない。


「今にも動き出しそう、なんてね」


 生々しい魅力を放つデザインに若干引く。

 なお、好奇心は衰えなかった。恐る恐る近づいてみる。

 改めて大きなチェストである。

 ネヴができる限り四肢を折りたたんでみれば、ギリギリ横たわれそうだ。


(うわあ、すごい。近くで見ると、きれいなもようがはいってるのね)


 側面にはびっしりと彫刻が施されている。

 色合いは洋風なのに、彫刻はアラビアンテイストだ。

 モチーフは植物か。図形には一定の法則性がみられる。

 恐ろしいほど細密な図形が延々只管(ひたすら)、びっしりと。

 いっそ狂気的な念のいれようだ。


(どれだけ集中すれば、こんな小さな図を描くように、木を掘りだせるのかしら! 気が遠くなっちゃう。あれ、でもこんなところに傷が)


 彫り込む際にちからがこもりすぎたか、一部、木が欠けてしまっている箇所もあった。

 本当にわずかなたまきずではある。

 それを二つ、三つ見つけたところで、彫った溝に黒ずんだ血がしみこんでしまっている箇所を見つけた。

どうやらこれはあの若い男の作品らしい。


(こういうの、『力作』っていうのよね。お兄さんにとって宝物よね。何が入ってるのかな)


 チェストには無骨な南京錠がぶらさがっている。

 だが、見た目が仰々しいだけで、安物だ。

 肝心の鍵穴が茶色く錆び付いてしまっている。そのせいで壊れたのだろう、鍵は開けっぱなしのままにブラブラ揺れていた。


「……み、見るだけなら?」


――ああ、いけない。いけないことなのだけれど。

 頭のなかで「踏み入るな」と警告が鳴った。

 一方、「知りたい」という気持ちがうずく。


 隠された宝物はなんなのか?

 この素敵なものを作れるあの人はきっと素敵な人だ。素敵な人の大切なものは、どんな素晴らしいものなのだろう。


 悪童の悪戯心のまま、ネヴはチェストの蓋を持ち上げた。


 (コフィン)には犬が入っていた。

 大きな犬だ。犬種はドーベルマンだろうか?

 凜々しい黒い太ももを惜しげもなく晒して、どっしり横たわっている。


 美しく整った毛並みの一部は、綺麗に取り払われていた。

 危うげな男のそり込みようなデザイン性のある彫り込みだ。

 引き締まった筋肉と気の強そうな横顔は、ギリシャ神話のなかの英雄の如くだ。

 生命を生み出した神の手による奇跡だ。完璧な造形といっていい。

 そり込みは、その完全性をあえて崩し、なおかつ新たな調和を与えようとするかのような行為だった。


 挑戦的な美に、恐れ半分、好奇心半分で顔を近づける。

 そして気がついた。


 毛は剃られていない。

 肉ごと削がれている。

 

 これは犬の死骸だ。強い薬品の刺激臭に退(しりぞく)く。

 大切に防腐処理の施された、死後も陵辱されているなきがらに生理的な嫌悪を覚えた。

 未知の衝撃におののく幼女の背が、暖かな壁にぶつかる。血の通う、男の足の肉に。


「――見てしまったね?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 『青ひげ』的な「見たな」のすっごく怖いシーンなんですが、柩と死骸の美しさに、恐怖よりも官能がまさりました。 ネヴちゃんの子どもらしい好奇心が部屋の違和感に気付くところから、一つひとつ恭しい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ