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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
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第五話「ネヴという女」


 ネヴがイデの消失に気がついたのは、入口から再出発した直後だった。

 ネヴは生来、五感が鋭い。

 聴覚は流石にシグマに及ばないが、霊感的な直感は優れている。

 イデの気配は特にわかりやすい類いだ。


 後ろにいたはずの、がっしりした生き物の気配が消えたのを察して、振り向く。

 利き手は刀に。

 敵が居れば即座に切り捨てようとしていた目を、咄嗟に閉じてしまう。

 光が目を焼いた。

 鏡の反射光である。


 否。そんな生やさしいものではない。

 フラッシュをたかねば出ないような猛烈な白い光だ。白が視界をくまなく埋める。

 生理的な涙のにじむまなじりを強引にこすり、目を開ける。

 

「ああ、うん。やはり空間に対する魔術の使い手ですか」


 ネヴはミラーハウスから出ていた。

 ブーツの踵が赤いカーペットを踏みつける。完璧な円と毛並みをもつ敷き布は、いかにも高級品だ。

 ネヴがいつのまにか立っていたのは、そういう『豪邸の一室』であった。

 ベッドに出来る大きなソファに、ぴかぴかのテーブル。

 比較的プライベートな部屋らしい。


 クールなグレーのソファに人が座っている。――ビクトリアだ。

 ビクトリアは、きっちり結んだ後頭部と背中をネヴに向けたまま口火を切る。


「来たのね。あいにく、急なおこしで準備もできず、お茶のひとつもお出しできなくてごめんなさい」

「あら。『おもてなし』は既に、かなり手の込んだものを受けている気がするのですが。気のせいですか?」


 性格のあわない少女を前に、ネヴはツンケンととがった物言いをする。

 前は売り言葉に買い言葉で、刺々しい反応を投げ返してきたものだが、今日は違った。

 ビクトリアは背を向けたまま、くっくと低く笑った。

 陰湿で、それでいて、しゃっくりめいた変な声だった。


「いずれ呼ぼうとは思っていたのよ。必ず必要なものから先に仕上げたのよ」

「ビクトリア。あなた、様子が変ですよ」


 目をこらしてみるが、よく見えない。

 鏡でくらまされたせいか。彼女の体表が機械と取り替えられているからか。

 ネヴの目は自然由来のモノや生物ならばよく見えるが、機械のような、文明の果てにできた金属製品だけは妙にニガテなのである。


「成程。先生が言った通りなのね。貴女の魔眼って」


 ネヴが、手をのばせば肩に触れられるほど近づいても、ビクトリアは振り向かなかった。


「視界に入れたくないほど嫌いなら近づかなければよいものを」

「できたら苦労しないわよッ!」


 ないがしろに扱われているような不快感に苛立つと、ビクトリアが初めて怒鳴った。

 情緒が不安定なのがひっかかり、眉をひそめる。


「どうしてできないんですか。何故どうしても私を殺そうとするんです? 先生がそう望んでるんですか?」

「……本当の本当に、自覚がないの? これまでの事件を振り返って、今まで何年も怪異を扱う仕事をしてきて、ただの一度も気づかなかった?」

「はい?」

「どう考えたっておかしいでしょうが!」


 激しい感情を発散して、ビクトリアの小さな体躯が震えた。

 それでも彼女は振り返らない。

 ネヴもようやく、意地悪で「ネヴを見ない」のではないとわかった。きっと「見れない」のだ。


「ここの患者さん達でさえ、きちんと準備したうえで精神と肉体を切り離して、初めて異界を訪ねられる。そも、《無意識の海》と物質に囚われた現世では生物の都合が違う」


 ビクトリアの説明は、ANFAで働いてきたネヴならば当然知っている話だ。

 先日のカミッロのような存在は、少ないとはいえ、ゼロではない。


「どうして神降ろしの話を? わたしのいったいぜんたいどこがおかしいって――」

「だったら! 幼い頃(、、、)生身の(、、、)まま(、、)神隠し(、、、)に遭い(、、、)、帰ってきたオマエはなんだ!?」


 ネヴのまばたきが止まる。

 幼い頃の神隠し。ANFAの管理地域内の海で遊んでいて、前触れもなく姿を消し、再び現れた女の子。

 ネヴィー・ゾルズィの過去は、もうとっくに昔のことで、ほとんどの人間が知らないことのはずだった。


 可哀想な少女は無事に生きて帰ってきたのだと。

 ネヴ自身そう思っている。

 主治医のドラードはどう思っていたのか?

 それは、知らないことだった。彼は「忘れるべき過去」としか言い聞かせなかったから。


 いくら忘れようとしても忘れられなかった過去と、ネヴの存在を疑う質問に、ネヴの顔から表情が抜け落ちた。

 サイコロの面のように移り変わる表情がなくなると、親譲りの美しい貌が際立つ。整いようが、逆に能面めいていた。


「オマエがヒトの形をした災害ではないと、マトモな人類だと、どう保証できる?」


 遠回しな「オマエは存在してはいけないものなのだ」という宣告に、ネヴの喉から、我ながら驚くような冷え切った声がまろびでる。


「―――私が、神降ろしだといいたいのですか?」


 ビクトリアは否定する。


「いいや、もっと悪いものだ」


 ビクトリア――あるいはビクトリアと同じすがたかたちをもつもの――は続けた。


「《無意識の海》から来た神は、カラッポになった、カラッポにした殻に入る。針の穴を通すように、その身を小さく小さく縮めて。本体はあくまであちらにあり、一部が化身したにすぎない」

「…………」

「もとよりこちらの世界で生まれたものならば? 通る針穴は最初からない。広い庭のうえで、どこまでも成長できる。神秘と可能性がいまだに生存し、満ち満ちたこの世界で最も恐ろしいのは、成長する怪物だわ」


 ネヴが「私はヒトだ」というのは簡単だ。

 されど彼女は正直者でもある。

 近頃エスカレートしてきた己の気性に、心当たりがないとは言えなかった。

 結果的に、言葉がかすれた。


「酷いことをいいますね」


 刀の柄を握りしめる。

 ドラードはずっと前からネヴをバケモノになると思っていて、その駆除のためにビクトリア達のちからを借りた?

 ビクトリア達もまた、ネヴがバケモノになると納得した?


 酷い。ひどい、ひどい。

 あまりにも酷い話だ。ネヴはこんなにも必死に生きている。バケモノがそんな必死に生きるものか。

 激怒と悲しみでちからがこもる。


「私が怪物になる可能性がそんなにも脅威ですか。芽が出る前に摘み取らねばならないと急ぐほど? 審判者にでもなったつもりか」

「ええ。確信しています。それにね、人間だったとしても、これが貴女にとっていいことなのよ。何を今更、と思うかもしれないけれど。貴女が悪いのではないのだから」

「……?」


 頭に血が上って頭痛がする。

 くすんだ視界で、ビクトリアを注視する。

 今、何か。ビクトリアのなかで、気配が混ざった(・・・・・・・)ような?


「この世界で生きることに、貴女が向いていない。貴女がいると、皆が危なくなる。だから、ここで永遠に眠ってちょうだい。今のここでなら、幸せな夢を見せてあげられるのよ、私達」


 あくまで全体主義な主張に、もの申そうと唇を開く。

 だが、麻痺したような甘い痺れで舌がもつれた。


「思い出しなさい。ネヴィー・ゾルズィという人間が、この世でどれだけ生きづらい存在なのかを。今の貴女を作った忌まわしい過去を」


 戦意はあるというのに、もやがかかる。

 首がガクンと落ちて、信じられない思いが去来した。

 アルフが車を長時間運転する時、後部座席でよく起こる現象だ。睡魔である。


「馬鹿な。あなた、あなたあなたあなた、ね……覚えてろ!」

「ええ。いってらっしゃい」


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― 新着の感想 ―
[良い点] うおおおぉー!?こわい!! たったひと言で、自分の存在が全く信じられなくなる! よくぞ衝撃から立ち直ったと思います。僕だったらきっと無理だ……イデさんに対するお母さんの誘惑よりある意味、怖…
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