第一話「過去の襲来」
トリスの住まう島は小島であった。
小さな家が何軒か建てば、いっぱいになってしまう程度の面積しかない。
三人は船から下り、砂浜に足を降ろす。
イデの靴のつま先に打ち付ける波がかかった。
象牙色の砂浜に泡が網模様を描いては消えていく。
「小綺麗な島だな」
現代社会から切り離された夢の場所か。
だが文明の手が入っているのは明らかだ。
西洋には「自然は乗り越え、手に入れるべきもの」ととらえる考えがある。
島の木々は一本一本にじゅうぶんなスペースが与えられている。
ナチュラル風味にきっちり整備されていた。
ひらけた光景にある建造物は、家が一軒。
入口は緑のアーチで彩られ、家自体を色とりどりの花が植えられた鉢が囲んでいる。
カントリー風の可愛らしい一軒家だった。
三人が近づくと、玄関から青年が出てきた。
青を基調としたクラシックな服装に身を包んだ、お堅そうな優男である。
「あの人がトリスです。いい人なんですが、事情があって話し方に癖があるので、まずは冷静に話をきいてあげてください」
いつもは遠慮なしに話すネヴが、こっそり耳打ちした。
トリスは風にあおられるコートを胸元をひっぱって正しながらやってきた。
彼はアルフ、ネヴの順に軽い会釈をし、最後にイデを見た。
そして開口一番、
「まともに直視できないような顔してるね」
そういった。
「あ?」
「勘違いしないでくれ。君に喧嘩を売る必要なんてない。敵対する価値がないからね」
ネヴ達と出会ってからしばらく、感情の猛火は遠くなっていた。
無力感に追い立てられ、喧嘩に明け暮れる日々から数ヶ月は経つ。忘れかけていた激情がかっと灯りかける。
あがりかけたイデの肩をアルフが強く掴む。
「落ち着け、イデくん。トリスも自分の異能はわかってるだろう、不用意に喋ってびっくりしたよ」
「遅かれ早かれ、把握してもらわねば困る」
アルフとトリスが会話を交わすまにイデの荒波も凪いできた。
アルフはイデとトリス、両名の肩を軽く二回叩く。
「トリスは認識に異常をもたらす異能者だ。強力な異能には違いないんだけれど、常時発動……呪いみたいな性質があってね。必ず誰かが対象にならねばならない。トリスくんは通常時、対象を自身の言動に設定してるんだよ」
イデはいぶかしんだ目でトリスを見やる。
空色の瞳の優男は、否定せずに口を閉じていた。
ネヴもおろおろ説明を追加する。
「ええっと。最初のは恐らく『正面から向き合うのに照れるぐらいのイケメン』っていいたかったんじゃないかな、と」
「イケメンというより男前かな?」
「…………」
予想外に飛び出てきた褒め言葉に、どう反応すればいいのかわからず、黙る。
ネヴとアルフからは、ぶしつけな暴言を投げつけられ、不機嫌なままであるように見えたのだろう。
「ほんとにトリスさんは悪口をいうタイプじゃないんですよ! 『敵対する価値はない』は『僕は君と友好を結びたい』です」
ネヴの解説に、トリスは大きく頷いた。
「こんなじゃじゃ馬に、ろくな面識もなく付き合い続けるとは余程暇らしいと思ってた。評判はきいているよ。仲睦まじくて結構。暴れ方も以前より凄まじいか。全く感心するよ。前から一度つらを拝んでみたかった」
「これは『元気いっぱいで個性が強いこの子と、特別な縁があるわけでもないのに付きあえるなんていい出会いだね。今日まで素晴らしい時間があったんだろうと思う。活躍に関しても評判は聞いているよ。よき仲間、よき成長だね。感動の気持ちでいっぱいだ。是非一度会ってみたいと思ってたんだ』です」
この長台詞には顔をしかめた。
二人の熱心さに、イデにもトリスが人のいい性格なのは理解できた。
そんな善良な人間がどうしてこんな異能をもっているのかは不明だが、同情もする。
だがこの調子では話が進まない。
「あんたの能力、マジで解除できねえのか? いちいち説明いれる気かよ」
「トリスさん。褒めたい気持ちは重々理解できるんですが、堪えて下さい。影響があるのは人格への印象でしょう。事務的に話せませんか」
再び頷く。異能の対象は言動に限られるようだ。
トリスは口数少なく三人を家に招き入れ、紅茶を煎れた。
アールグレイの芳しい香りが湯気とともにたつ。
陶器のポットにミルクピッチャーをそえ、椅子に座って指を組む。
「気を取り直して、話をしよう」
トリスの段取りにこたえ、ネヴが片手をあげた。
「まず私から話し始めてよろしいですか?」
「どうぞ」
「気になっていたのですが、トリスさん。どうして管理センター本部で話さないのです?」
「僕、今日休みなんだよね」
「はい?」
「これから話すのは、本来の僕の職務において不要な推測を含む。管理部のリーダーとしては個人の憶測を述べるべきではないので。就業時間外に話さなきゃと思ったんだ」
よくいうと生真面目な返答に、隣同士に座ったネヴとイデは目を見合わせる。
「こいつ馬鹿か?」
「若干社畜入ってるんです」
「なるほど」
それまで無表情を保っていたトリスが、初めて眉間を寄せた。
軽く目を伏せ、数回まばたき。不快感を覚えているというより、恥ずかしがる様子だ。
「いいから本題入るよ! 話題は前もって行ったとおり、ライオネル・ドラード博士の居所が判明したからだ」
緩みかけた空気があらたまる。
トリスはどこからともなく複数のファイルを取り出し、机に並べた。
「本題に入る前に、イーデンくん……イデくんにはいってないかな。大前提として知っておいて欲しい点がある」
「なんだ?」
ファイルの見た目は同じだが、中身は違うらしい。
丁寧に中身を確かめ、なにやら並べ直す。
「書類上、現在はドラード博士は誘拐された扱いになっている」
「誘拐?! 失踪でなく?」
「そうだ。実をいうと、失踪扱いだと組織にとって都合が悪い。ドラード博士の研究はANFAでは重要視されていない。メンタルケア用の薬物としては実験段階で大失敗した。実働部から実用を訴える声は来ていないし、医療チームも効能には懐疑的だ」
実験の失敗についてはイデも予想がついていた。
Balamの悪質さから必死で追っているのかと思いきや、的外れだったのには意表をつかれたが。
思えば、ネヴたちが担当を一手に引き受けられている時点で、優先度が低かったのだろう。
「誘拐ならば、組織への忠誠があるから、死んでも構わないと放置する。失踪ならば情報漏洩の観点から追わねばならない、ってことか?」
「概ね正しい。拷問の危険があるから誘拐でも救助は出すけれど。ただ、失踪のほうだと身内を担当にするわけにはいかないからさ。ネヴくんたちに担当させるために失踪扱いにした。他の職員をまわすより自分で始末つけてね、ってとこ」
「そこまでは背景事情で、事実だよな。推測ってのは?」
「なかなか察しがよいね、君」
トリスは一番最初に並べ直した書類を差し出した。
中身はネヴの異能に関する調査書と、二つの事件で負った傷の報告書だった。
腹部の生々しい赤い傷と、全身に浮かんだ青紫の斑の写真が痛々しい。
「推測っていうのは、この連日の事件の目的。博士の目的は薬物の開発が主題ではないかもしれない」
アルフが重苦しく唸る。ネヴのお目付役である彼には頭の痛い仮定だ。
紅茶を一気にあおる。伊達男な彼らしくない動作だ。
「あー……あの先生がまさかとは思ったが、やはりそう思うか」
「ネヴくんは気がついたかな。先生に関連する事件で、ネヴくんは毎回深刻な被害を受けている。同じ形でだ。一度目は結果的、二度目は手段。要するに、自爆に誘導されている」
イデはこっそりネヴを盗みみた。
ドラードはネヴの主治医だった。信頼関係があって当然の立ち位置だ。
かつて治すものであった人物が、害をなそうとしている。
彼女からすれば、背中から切りつけられたようなものだ。
イデの心配とうらはらに、ネヴは毅然とした表情で資料を読み込んでいた。
「先生は私を自殺させたいということですか?」
「ドラード先生がそう考えるとは考えにくいが、君を殺す手段として有効であることは証明された。ネヴくんには武術の心得がある。物理攻撃ならある程度受け流しが可能だ。しかし自傷は、文字通り自分で加える傷だ。避けようがない」
理由はわからない。可能性はある。
わからないから、ネヴを殺したいわけではないと思える状況ではなくなっている。
明るい色調の部屋に、一斉にしじまが降りる。
最初に沈黙を破ったのはトリスだった。
やたらのろまに声を発する。舌が動く早さが亀の歩み並だ。
異能に妨害されるなりに、精一杯、慎重に言葉を選ぶ。
「友人としては三度目の調査には、君はいくなと忠告したい。明らかにネヴくんを狙った犯行だ。一方で、性格上、他人任せなどできないのも重々承知している」
イデはきいていられず、こっそり片耳を抑えた。
出会い頭の発言からして、異能はトリスを酷く歪める。たったいまの言葉は、比較的柔らかだった。
かなりの労力を要した気遣いだったはずだ。
それほどトリスはネヴを案じているし、事態を深刻視している。
そして組織はトリスほどネヴを大切にはしていないのだ。わざわざ仕事の外で、個人的に呼び立てるしかないのは、そういうことだ。
ネヴは一度唇を引き結ぶと、ニッと強気に笑う。
「心配、ありがとうございます。ですがお気遣いなく。なにもせずあとからやっとけばよかったと思うより、やって後悔したほうが気持ち的にスッキリするので。で、肝心の、先生の居所に関しては?」
「先日のヴェルデラッテ村の件を思い出して欲しい。何故そんなところへいったのか。おかしいと思っただろう。Balamに関しても、姉弟の聴取から使用は事故だったと判明してる。過去を遡っても一切の関連が見つからなかった」
トリスの手が二つ目の資料をとり、全員に見えるように広げた。
次にあらわれたのも懐かしい光景だった。
山をもった寂れた街に、オリーブの木が眩しい農村である。
「で、だ。ダヴィデ・メチェナーデとヴェルデラッテ村で関連がないか調べてみた」
「北寄りの廃業寸前の炭鉱の街と、南の豊かな農村との共通項? そんなのあるのか?」
「あった」
「いったいなんです?」
「結論から言おう。共通点とは複製。クローンだ」
ネヴの啖呵に区切りをつけ、淡々と進めるトリスにイデもならう。
きちんと話をきいている証明のためにも口を挟んだ。
「クローンか。メチェナーデ家はネクロマンサーの家系。擬似的な肉体の蘇りを扱う家だった。ダヴィデも複数の遺体を用いたパッチワーク。そして酪農家ではクローンの家畜を扱うのがポピュラーになっているな」
「そうだ。食料不足を嘆いた科学者と魔術師の一部がサークルを組み、数々のオーバーテクノロジーを開発した。クローン技術もそのひとつ」
伝説の科学者サークル。寝ずに義務教育を受ければ、誰もが知っている存在だ。
『食の変態達』という奇妙な名前に反して、彼らは孤立したバラール国に数々の救済を施した。
「ヴェルデラッテ村を通過した先に存在する、クローンと繋がりがあるあらゆる場所を調べてみた。そのなかに民家から遠く離れた別荘があったんだ」
三つ目の資料で、住所と別荘の外観が表示される。
豪邸だ。
古いのか、白かったのだろう壁は黄ばみだしている。
みすぼらしくはみえないのは、屋根にも壁にも一切の損傷がなく、庭に雑草ひとつないためか。
最低限以上に施された手入れは、島とおなじく、人の手が入っていることを示す。
ハウスキーパーを雇っているのだ。
「とある貴族の私有地であるため、職員もうかつに調べられなかったんだが、ま、そこはね。侵入はリスクが大きかったので、はりこみをさせたところ、人の出入りが確認された」
「出入りしていたのは、まさかビクトリアですか?」
「またまた正解。別荘の持主――即ち犯人は『食の変態達』のひとり。クローン技術開発に一役かった一族のものだ。これがかなり怪しい」
生涯かかわらないと思っていた伝説の登場に、イデは唾を飲む。
「大物か」
「なんともいえない。子孫のなかには重役におさまれず、金と血筋を持て余した末端もいるさ」
トリスはからになったカップに紅茶をつぐ。アルフとイデのぶんもだ。
ネヴのカップの中身は少しも減っていなかった。
「技術開発に携わる一族なら、画期的な薬物の開発にも興味があるってことかな? クローンとは分野が遠過ぎるのに」
「直接的に技術を提供したんじゃあないんだ。金銭的の提供がメイン。一族としては製薬会社を経営している。昔から再生医療や更生施設へのボランティアにご執心らしい」
「Balamも元は不安定な獣憑きのメンタルを向上させるためのものだったな。だから協力を?」
「可能性はある。ビクトリアが目撃された時点で、はちゃめちゃに頑張って、ここ一年の交通記録を根こそぎ掘り出してみた。すると一ヶ月くらい前まではもっと頻繁に人が来てたみたいなんだ。来る人たち皆問題を抱えて、大きなストレスを受けている人ばっかり。おまけに、やってきた人の数の割合に対し、帰った人間はゼロに限りなく近い」
没落貴族のメチェナーデ、一般人のヴェルデラッテと違い、ずけずけ踏み込めない相手だ。
本部でもちだせなかったのも無理はない。
ネヴにいたっては糸口が見えず、降参とばかりに大きく背伸びした。
「怪しさ満点。かといって、証拠はないんだろう? 確かに、推測の範囲を出ないな」
「ああ。組織として面と向かって、なかにいれろというのは厳しいかも。ただ……」
「ただ?」
資料を睨んでいたトリスが顔を上げた。抜けるような蒼い目が直線でイデを射貫く。
「イデくんがいれば、話は違う」
イデは自分の顔を指さした。
「は? 俺?」
貴族様の敷地に入るために、何故イデがプラスに働くのか。
金も、名声も、血筋もない。栄光を背負うあちら側と真逆の存在だ。名乗らなければ認識されず、名乗ったところで容易く忘れられる。
大きな道路を這う蟻のようなものだ。
青緑の目を白黒させるイデと真剣な面持ちのトリスを、ネヴとアルフも意味がわからないとばかりに見比べる。
「俺がいりゃあ組織の援助なしに入れるって? 誰かと勘違いしてねえか。俺はどこにでもいるクズの下層出身者だぞ。権力で言えばネヴのほうがあるだろ」
「ああ。いや。そうじゃあない。彼らは何人もの人々を別荘に招き、解放していない。多分治療目的。個人による医療施設として使っていると思われる。だから――家族の面会という形でなら、むげにはできないだろう」
「か、ぞく?」
イデにとってこの世で最も薄っぺらい名称だ。
困惑するイデに、トリスは最後の資料を握らせる。
長々と文字列が並ぶ紙は、別荘に入っていった人々の名前のリストだった。
「別荘に入った人々のなかに、ナタリア・カリストラトヴァ。イデくん。君のご母堂の名前がある」