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アンダーハウル  作者: 室木 柴
幕間記録
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博士のある日の出来事・3


 二週間後、ネヴちゃんが『初仕事』を行うことになった。

 ボスの娘であり、強い異能を発現した彼女は強制的にANFAのメンバーに取り入れられるだろう。

 意外にも、ネヴちゃん本人が乗り気だ。


 ANFAの実働チームは総じて荒事を担う。

 幼い頃から組織メンバーに囲まれて育った彼女は、その血腥さをよくよく知っているだろうに。


 しかし、それにしたってきつい仕事だ。

 内容は、ネヴちゃんの幼馴染みであるダヴィデくんの実家、メチェナーデ家から魔術を奪う作業を行うというもの。

 少女どころか大人でもためらう。


 彼女の主治医である私もまた、きたる日に向けて、一層気を引き締めてケアにあたる必要がある。

 気は進まない。

 一度は初仕事を別のものに変えられないか問い合わせてみた。

 

 案の定すげなく却下。

 彼女の従順さと異能の試験も兼ねているから、と。

 悲しいかな、私も雇われの身。

 私に出来るのはネヴちゃんの心身に最新の注意を払い、最良の状態を保つ努力のみだ。


 改めてこの職場の異様さを目の当たりにし、寝付きの悪い夜が増えた。

 私を悩ませたのは、ネヴちゃんだけではなかった。

 初仕事の提案が来た日をさかいに、ルリエさんが塞ぎ込むようになったのだ。



 初仕事にあたり、ネヴちゃんは改めていくつかの検査を行った。

 なかには、異能や異常存在の研究資料が豊富な収容施設に向かうこともあった。

 施設内に設けられたカフェテリアでルリエさんを見かけたのも、何度目かの検査の日だった。


 ルリエさんは首をすっぽりおおう黒いタートルネックに身を包み、しずしずとカフェラテに口をつけていた。

 細身のパンツをはいた足は揃えられ、カモシカのような足のふくらはぎが流麗なシルエットを描いている。


 全体的に黒い色合いは、女性の素の美しさを凜々しくひきたてていた。

 だがルリエさんの白斑の椿を思わせる横顔に、朗らかさはない。

 真っ黒な瞳は何も見ず、虚ろに澄む。

 俯きがちな座り姿は、見るものに寒々しい感情を抱かせる。

 室内だというのに、そこだけ雪がつもっているかのようだ。


「ルリエさん? こんにちは。ネヴちゃんのお迎えですか」


 私は意図して明るく声をかけた。

 彼女の悲しみに暮れた表情は、何度も見かけているものだ。

 肉体的な不調でなく、精神的なストレスが原因だと予想がつく。

 あとはどうすれば、ルリエさんの負担を軽く出来るのか。

 こういうとき、あまりしつこくきくのは逆効果だ。なるべく普通に接して、日常を過ごさせるのがよい。


 もっとも、母親であるルリエさんにとって、現状は何もかもがうんざりする非日常であろう。

 もしかしたら娘が危険な道に進むかもしれないのだから。難題だ。


「ドラード先生。そうなんです。といっても、まだ随分かかるらしくて。カフェテリアで読書がてら待とうかと」

「このカフェテリアは職員の憩いの場でもありますからね。メニューも豊富だ。何時間いたって誰も文句言わない。休みの日にわざわざきて丸一日いたやつがいたくらいです」


 冗談を言うのはニガテだ。

 しかしルリエさんは微笑んでくれた。彼女の唇はなにもつけていなくても、若い桃のように色づいている。

 不思議なひとだ。

 まるで全身がこの世の美しい花々で出来ているようだ。


「あの子、どうですか。笑顔でいる?」

「えっ、ああ、ええ。元気なものですよ。作業は夜になるので体力が心配ですが。いまは無理のない範囲を調整しているところです」


 気のいい医師のように笑えただろうか。

 実のところ、現在の管理チームのリーダー、ミルウェーデンさんは成果重視だ。

 少女に無理強いをさせかねない。いま、大人たちがギリギリのラインを喧々囂々に言い争っている。

 アルフさんが矢面にたって説得しているので、ひどいことにはならないと信じたい。


「検査時間は、そうですね。ひとまず今日は筆記、面談。プネウマ到達度検査はまた今度ですね。あと二時間といったところでしょう」

「わかりました。ああ、そうだわ。お聞きしたいことがあって」


 ルリエさんは椅子を整え、わたしに向き直る。

 彼女のこじんまりとした膝が目に入った。

 はりのあるパンツの上には、二通の封筒が置かれていた。

 一通はシミ一つない新品で、もう一通は繰り返し読まれたのか黄ばみが強い。


「これ、父からの手紙です」

「ルリエさんのお父様から?」

「そうです。昨日届いて。夫は相談するといいといったんですが、アルフさんに渡しそびれてしまって。管理チームのリーダーさんにいうとこじれるとか、なんとか」


 堪えきれずに苦笑した。

 上司の身内とはいえ、なんのちからもない夫人のちからになるような人ではない。管理チームへの相談はやめるべきだ。


「それで私にですか? どんなご用件でしょう」

「ネヴを引き取りたいというんです」

「……はい?」


 なにをいっているのだ?

 彼女はあくまでいつも通り。どこか浮世離れした――もっといえば、心ここにあらずな印象を抱かせる凪いだ瞳のまま言ってきた。

 娘をよこせといわれた母親の様子とは思えない。


「ひ、ひきとりたい? ルリエさん、意味がわかってるんですか? ネヴちゃんがてもとを離れてその人のもとにいくということですよ。いいんですか、あなたは」

「よく、わかりません。欲しいというのなら渡すべきなのかと思ったんですが、あまりいい気はしませんね」


 咄嗟に言葉が出てこない。

 私の見てきたルリエさんは、控えめで献身的な大和撫子だ。

 おぼろ月夜の闇のように全てを包み込む、神秘と美の人。

 そんな完璧な印象と、たったいまおこなわれた言動との乖離にくらくらした。


 献身的――美点だったはずだ。それは悪くとったとき、こんなにも受け身で流されやすいものだったのか?

 額を抑え、問いを重ねる。


 ANFAはハズレモノや異能者には優しい環境に見えるが、異常な場所だ。

 彼らにとっては世俗の地獄か、異形の地獄かというていどの違だ。

 迫害を受ける彼らにとっては後者がマシだっただけの話。

 ANFAにおくよりは外部に託した方が幸せだと考えたのかも知れない。


「どんな人なんですか?」

「そうですね。ひとに話すと、たいていはひどいひとだといいます」


 ルリエさんは簡潔に断言した。

 さっとあたりに人がまばらなのを確認して、古い手紙と新しい手紙の二通を差し出してくる。


「父はもとは非常に家柄ある魔術師の家系だったそうです。ですが地震のせいで金も身分も失ってしまいました。そこで私を高級娼婦として働かせ、生活のための金銭を得ることにしたのです。そのうち、春を売ったお金をもとでに仕事を始め、再び地位と豊かさを得たのです」


 この短い時間に、何度絶句すればよいのか。

 異邦出身者、なかでも割合が低い東洋人はひときわ残酷だ。

 容貌の特徴も大きく違う。異物としてはっきり目立つ。

 日銭を稼ぐために世界最古の職に就くものは多い。いや、しかし……。


「父は仕事が軌道にのったとたん、私を着の身着のまま家から追い出しました。薄汚い売春婦なぞ面汚しだ、いなかったことにすると。私が稼いだお金は父と兄の会社の成果とされていて」

「な……あ、あんまりだ……」


 人として守るべき矜持というものがある。

 聞く限り、ルリエさんの父親に、誇りと仁義はなかった。


「そういう流れで別れたので、ずっと音信不通でした。最初に手紙がきたのは私があの人と結ばれたことを知った時です。わたしはよく知らないですけれど、あの人、魔術師としては非常によい血筋らしくて」

「勝手すぎるでしょう」

「そういうひとなんです。昔からそうでした。いったいどこから知ったのか、ネヴの異能に強い興味があるようです。魔術師として育てる気のようですが……なんとなく、あの子はそういうのはむいていない気がします」

「ゾルズィさんは?」


 どうしてルリエさんがぼうっとした表情で語れるのか、わからなかった。

 頭痛をこらえ、ネヴちゃんの父親の名をだす。

 するとルリエさんは、ここにきて初めて眉を八の字に変えた。


「あの人……手紙が来たといったら、捨てていいといってくれました。どうしても怖いなら、来月には遠くへ旅立たせるとも。いつもみたいに、天使みたいな柔らかい笑顔で」


 今日はじめて見た、ルリエさんの人間らしい表情の変化。

 彼女が唯一心を動かしたのが、彼女の伴侶たる人であることに、ちくりと胸が痛む。

 筋違いな感情に首を横にふって、私は手紙を受け取った。


「わかりました。私とアルフさんで打ち合わせて、解決にとりくみます。あとはぜんぶやりますから、安心してください。絶対、お父さんにネヴちゃんを渡してはいけませんよ」


 目と目をあわせていいきかせる。

 ルリエさんは浅く頷いた。毒気のない笑みは愛想笑いだとわかっているのに、沈んだ心があっさり舞い上がってしまう。

 彼女も愚かな人らしいが、私はもっと馬鹿だ。


「ねえ、先生」


 悩む私の心など知りもせず、ルリエさんは小さな小さな声で質問してきた。

 耳朶をくすぐる小鳥の謳うような声がこそばゆい。


「それがネヴにとって幸せな選択なんですよね」

「え、ええ。きっと」

「ねえ……先生。幸せってご存じですか?」

「幸せですか? それは、例えばどういう意味で。辞書的な意味ですか、あるいは個人的な?」

「そうですわね。どちらかといえば後者かしら。先生は幸せだなって思われたこと、あります?」


 伏せがちで、いつも影の落ちている黒い目は、何を考えているのかわからない。

 瞳の表面が揺らめく。宇宙を写す湖面のようだ。

 どこまでも暗く、深い。底なしに真っ暗だ。


「先生、わたし、幸せを感じるのにも適性が必要なんだと思うんです。世の中、幸福の受容体というものがないものもいるのかも。そういった欠陥品は、果たして生きている意味があるのかしら」


 吐息とともにぽつぽつと落ちた言葉は、抑揚がなく、冷え切っていた。

 彼女の話し方、瞳に宿るものに気づき、ぞっと顔をあげれば、彼女はまた桃の唇で微笑む。


 この人は。

 この人は、きっと。そう。『絶望』しているのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ずっと、先生が変な人なのだ、悪いことを企もうとしているのだ、と思ってきてましたが、幕間で徐々に見えてきた顔はあまりに普通で……。 麗人への仄かな恋心を自覚して、大人の対応を貫けるのは、平凡…
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