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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第三十七話「ありしひの懸想」


 カミッロはずっと前から知っていた。

 (ベル)の頭はヘンだ。


 病弱だったカミッロは人生のほとんどをベッドの上で過ごしていて、姉はいつでも嫌な顔ひとつせず介抱してくれたけれど。

 カミッロは確信していた。


 姉というひとは、倫理観はあるくせに、慈愛に欠けている。

 ひきとってくれたおじも、きっかけがあれば簡単に切り捨てるだろう。

 一見明るく人なつっこくても、自分のことしか考えていない。

 姉をかわいがっているおじも、その本性を知れば「恐ろしい子」と蔑むに違いない。


 カミッロは違う。

 誰かが嫌がることをするのは良心が咎める。

 一線を超える度胸も悪意もない。

 ほとんど全く善良な凡人なのだ。まるで姉に似ていない。理解できない。


(どうして、ベルが僕の姉なんだろう?)


 毎日のように悩んだ。

 何度も両親に呼び出される妄想をした。

 重々しい顔で「実はお前とベルは血の繋がらない姉弟なんだ」と言われる時を期待した。

 眠りのなかで夢見ては、そうはならない現実を蹴飛ばしたい気持ちになった。


(どうして、どうして)


 誰にいうでもなく「どうして」を繰り返す。

 ベルナデッタさえ姉でなかったら、カミッロはもっと清々しい気持ちで日々を過ごせた。

 のうてんきに丘に寝転ぶ子ども時代を過ごせたし、自分は幸せな人間だと思いながら健やかに成長できたはずだ。


(どうして、ベルはおかしいんだろう)


 ベルは常にカミッロを横に置き、保護していた。

 どんなときでもだ。


 たとえばベルが、おなさなじみが親にもらったおもちゃに夢中でいるのに腹を立て、こっそりおもちゃを盗んで肥だめに捨てたとき。

 一緒に花冠を編んだ友人に、平気で悪戯の罪をかぶせたときも。

 おじを誘惑し早々に貞節を捨てておいて、無邪気な幼子の顔で母を慕ってみせるしゅんかんも。


 村人はベルを「変わり者だがイイコ」とひょうした。

 ベルの「いいこさ」はカミッロと家族に関する点のみだと、カミッロは知っている。


 病弱を理由にいじめられる弟を助ける姉。

 弟が熱をだすたび、寝ずに看病をする姉。

 弟が自虐するたび全力で励まし、他者からの侮辱には怒り狂う姉。

 弟にだけは、本当に優しい姉。


(どうして――あんなにおかしいベルは、僕を弟として大切にすることだけは、まともなんだろう?)


 それだけがつらかった。

 あれだけ異常で、あらゆる良識的な人間関係を無視する姉が、「弟」に関してだけは素晴らしい兄弟愛の持主だということが。


 (カミッロ)はそれ以外の姉の全てを許している。

 おかしな頭は、自分がいなければだめになってしまうようで可愛らしい。

 倫理と良心の歪さは彼女の個性だ。くせになる。

 平気で美徳を踏みにじるさまは爽快だ。

 表向きはイイコなのに、裏ではいけないことばかりしている人格の破綻にはゾクゾクさせられる。


 (カミッロ)(ベル)の全てを愛している。

 とても血のつながりだけでは満足できないほどに。

 彼女はカミッロにとっての光であり空気だ。世界そのものだ。いなくなったら生きていけない。


(なのにどうして、どうして。こんなに愛してるのに。弟として守られるだけでは足りない。でもベルは弟以上の愛をくれない)


 姉がこの世で愛しているのが弟だけであるのはわかっている。

 だが、そうではなくて。

 もっと特別な愛が欲しいのだ。


 決して別たれない絶対の関係になりたい。

 欠片だって離れているのが我慢ならない。

 叶うならば、溶け合って永遠に一つの生き物として生きていきたい。


 カミッロは姉と結ばれたかった。

 女神でも断ち切れない糸で永遠に繋がれていたい。死でも別たれぬ愛を育みたかった。ひとつになりたかった。

 なのに、姉は絶対に弟を恋人や夫にはしない。弟だからだ。

 ベルがおじを犬に選んだ時は、手伝うあいだ、ずっと嫉妬で狂いそうだった。


 他人に生まれれば、その可能性もあったかもしれない。

 それが無理なら双子がよかった。

 キメラという存在を知った時は昂ぶった。

 生まれる前に双子の片割れが吸収されることで一人の人間として生まれた存在。もしも母の胎でひとかたまりの肉になれていれば、至上の人生だっただろうに!


 しかし、現実はそうではない。

 もう生まれてしまったからには、他人かキメラになるのは無理だ。

 カミッロは常識的な人間だ。それがどうにもならない厳然とした事実なのを受け入れざるを得ない。


 それは姉が偶然に得た薬物によって、隠し抱える欲望が増大されても変わらなかった。

 カミッロはベルと違う。普通の思考回路に縛られる。

 結局、姉の弟であることが変わるかもしれないとは思えなかった。

 過去は絶対に変えられない。変えられるのは未来だけ。

 壊れる心のなか、カミッロが抱けた展望は単純で、現実的で、純粋だった。


(この恋が叶わないなら、せめて、姉の全てが欲しい。姉の人生にずっと存在していたい)


 ひとときであっても、これから彼女がむかう場所、過ごす時に、自分がいないシーンがない。姉はずっとカミッロとともにあり、弟は姉に尽くし、姉は弟と生きる。

 そうなれば、どんなに幸せだろう。

 姉のためならばカミッロは、姉の弟らしく、なんでも犠牲にできる気がした。


 だからそうしただけなのだ。

 他の存在を侵害すれば、自らが侵されるのも然るべきというのなら。

 先んじて全てを差し出しておけばいい。

 カミッロは未来永劫における尊厳全てを、異なる次元に住まうものと交換した。

 それだけでカミッロは、一生姉の傍に居座り続ける権利を得た。


 災厄の種と化した弟は、世界にとって排除すべきものだ。

 彼を守るために、ベルは唯一守られるものとして、つかず離れず人質で居続けなければならない。


 現世に残ったカミッロが、人間だったカミッロの影を残すだけの怪物だったとしても幸せだ。

 彼はとても満足に逝った。

 

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