第三十四話「人間愛と正義」
ネヴは武器をおさめ、ベルとカミッロに歩み寄る。
ベルがカミッロに覆い被さってのこうとしないので、ネヴの白い手は姉弟の腹のしたに滑り込み、二人まるごとひっくり返した。
「ふむ。カミッロは出血なし。人間をよりしろにしているのは間違いないのに、物理ダメージは通らないんですね。これは嫌だな」
気絶しているらしきカミッロに、ネヴは拘束を施した。
腰の後ろで両手を組み、手錠をはめる。
ビクトリアが鈍色の手錠を睨み、いぶかしげに眉を寄せた。
「瞬間移動されたら意味がないわ」
「あれ、多分瞬間移動じゃなくて、空間移動だと思いますよ」
「何が違うの?」
「怪談特有の【神出鬼没】の権能の表れではないかと。異様なるものとして知られていることで獲得する性質ですね」
「ホラー映画のどっきりシーンみたいな? いないはずのものがそこにいるかもしれない、っていう」
「ええ。いるという可能性があるということは、いないという結末の確約を否定する。逆説的に『そこにいる』ことが成立する。怪異に関しては、怪談の後付けとして、副次的な異能を獲得することはたまにあります」
ネヴは説明しつつ、出血でもうろうとして身動きがとれないベルにも手錠をはめる。
「この手錠はプシュケー濃密度束縛錠といって……まあとにかく、存在を固定化する手錠みたいなものです。本質でない部位を拘束するぐらいならなんとかなる、はず。信者も減りましたし」
ベルに関しては純粋な捕縛が目的だが。
素早い手つきで大人しくなったベルに止血と手当を行う。
血を吸うネヴの白手袋を、ベルの手が弱々しく掴む。
ネヴは折れそうな手首に小首を傾げ、ベルに目を向けた。
「どうしました?」
「たすけて……死にたくない。カミッロも、死なせたくない」
「なにをいっているの、この子は」
吐き捨てたのはネヴではなく、ビクトリアだ。
「あなたは村人じゅうを煽って、醜い処刑ごっこに導いたのよ。わかっているの?」
先に潜入して事情を探っていたビクトリアは、ネヴの知らない情報を握っているらしかった。
彼女こそが獣憑きだと判明し、色々思い当たる点があるのだろう。
目の色が邪悪への憎しみで剣呑に光った。
「知ってるよ、そんなの」
対するベルの返答は寒々しいほど淡々としていた。
「予想以上だっただけでひどいことになるのはわかってた。でも、コトの程度の大小が違うだけじゃん」
「なっ」
「直接的な命のやりとりがなかっただけで、人の心でみたら、前々から同じようなことしてたよ。うちの村が特別なわけでもない。どこでだってあって、たまたまここにあたしがいて、たまたまこの事件がここで起きたってだけ。地震と何が違うの?」
黙っていたネヴもあっけにとられる。
あの無邪気な幼女の台詞とは思えなかった。
その言葉使いは大人びていて、行動のしたたかさは残酷な冷静さで裏打ちされている。
「条件が重なって起きた普通の災難よ。あたしは悪ガキだなんて、知ってる。他人が死んでどうでもいいんだもん。それぐらい理解できるって。だからって人間だよ? 死にたくないのも、大事な家族に死んで欲しくないのも当たり前」
開き直るベルに、ビクトリアが表情筋に半機械と思えぬ歪め方をさせた。
まるで目の前で子犬を蹴られた親犬だ。
つかまれている張本人のネヴはひとこと「ほう」と呟く。
「あたしとカミッロは子どもだよ。お姉さんたちはあたしたちが嫌いでも助けるべきでしょう? あたしたちを嫌いになるような道徳があるんだったら!」
「この……図々しい! 恥がないの!?」
拳を握りしめ、わなわなと震える。
今にもパンチを繰り出しそうなメイドを、ネヴが手で遮っておさえた。
「いえ、嫌いじゃないですよ。賞賛すらします。たいした度胸です」
「なら」
「好きだともいっていません。好きに至る前に、貴方達が私のお気に入りに手を出してしまいましたからね」
お気に入り。
唐突な単語に、気力を振り絞って命乞いをしていたベルの瞳が思案に泳ぐ。
ネヴは悩ましげに、空に遠い目を投げかける。
「私はね? 人間を好きでいたいんですよ。これでも。あいつ嫌いだなって思う以上に、あの人スキだなって思える瞬間がたまらなく好きなんです」
「……なんの話?」
「イデさんです。カミッロがね、彼にひどい誘惑をしたみたいで。なにがあったかは知りませんがよく耐えていましたよ」
名前をだされ、ベルもようやく誰をさしているのか理解した。
ネヴと常に一緒にいた男の名前だ。
「カミッロがそんなことしてたなんて知らなかった」
ベルは《声》を拡散した。
ネヴも、彼女の獣憑きの異能が弱く、弟の行動すべてを把握できる能力がないのは知っている。
話は続く。
「イデさんはねえ、とっておきの凡夫なんですよ」
「え……いきなり旦那ディス?」
「否定してなんかいません。イデさんは特別突出した才能もない、ぱっとまばゆく散る信条もない、財力なんてもってのほか、未来を信じようにもそのための強さがあまりにも足りない人なんです」
血気盛んだったベルが目を白黒させる。
並べられるのは罵倒に近いのに、ネヴは確かに頬を染め、照れるかのように口ごもっていた。
「彼はすごく可愛い」
恥じらいを交えて熱弁されるのは、確かに賛辞らしかった。
「この村にいたらわかるでしょう? 世の中にどれだけ卑怯者が多いか。その存在にどれだけ心折られるか。今回ますます実感しました。だからこそ、そうでない人間がいかに尊いか」
ベルは理解できないとばかりにまばたきをする。
彼女には折られる心が理解できない。
ビクトリアは理解できないとばかりに唇を噛む。
彼女には正義を愛しながら悪を認める理屈が理解できない。
「信じ切る確固たる何かに、どんなに手を伸ばしても届かなかったのに、まだどこか諦めきれずにいる! 弱いくせして藁を見つけると思わずすがる! くたびれた精神をのろのろとでも動かして、でもエンジンふかして走るほど頑張りきれなくて、願いを捨てきれない!
それが、すごく、いい! できる人間だけが夢を見ることを許されるなんてことはない、ダメ人間だって前を向けると、私に証明してくれる!」
話すうちに興奮して、ネヴはすっかりまくしたてていた。
対象はベルに対してというより、もはや自分だ。
「何故かれを気に入っているのか」を理解して、高揚している。
情報処理に脳がおいつかない様子だったベルは、数秒おいて落ち着きを取り戻す。
「あたしが嫌いじゃない理由がわかんない」
「自らの好奇心のために、誰かを徹底して追い詰める。その精神性には反吐がでます。しかし、自らさえ例外にはせず、破滅を覚悟してまで求めるとはちょっぴり素晴らしい。考え、決定し、挑み、実行する! これは、もう、めっっちゃくちゃ人間らしいといっても過言ではなく! いや本当他人を踏みつけにするのは嫌なんですけれど、それはそれとして、チャレンジャーな意志は評価する!」
置いてけぼりにされた丸い二対の目がネヴに突き刺さる。
呆れ、責める鋭い視線に、ネヴはようやく熱心に話しすぎたのに気づく。
こほんと咳払いし、彼女は長物を持ち直した。
「悪意は悪意でしんどいですもの。悪意を正義感で塗装してなんとか自分は傷つかないでいようって輩は山ほど見てきましたけれど、いやあ、なんでも突き通す在り方というのは、見ていて希望が見てます。反吐も出ます。大事なことなので二度いいました」
動けなくなったベルの残った手足も拘束し、首を押さえる。
焦ったベルが暴れたが、幼女と一応成人しているネヴでは体格差もあった。
「ちょ、やめっ」
「大丈夫。少し収容するだけですからね。起きた頃には生きて、うちの牢のなかですよ」
にっこり微笑みかけ、ネヴはベルの気道を奪った。
首の太い血管を三秒も押さえつけると、ベルはくたんと地面に四肢を投げ出した。
ネヴの目的はいつも通りだった。
ベルを獣憑きとして職場に連れ帰り、審査を受けさせ、今後の処遇を決める。
そのために拘束し、他の仲間を呼び、手早く連れ帰る。
アルフをいちはやく探さねばならない。ネヴは立ち上がった。
こころなしか邪気の薄れた背に、ビクトリアが重々しく話しかけた。
「とどめをさしましょう」
ネヴのすっきりしていた表情が曇る。
「……とどめ?」
「男子は神降ろし個体でしょう。女子だってさっきの痴態をみれば、根っからのろくでなしだってはっきりしているわ」
ネヴは横に首を振る。
ノーのサインだ。ビクトリアはしかめっ面を濃くして、自ら姉弟の隣にたつ。
しゃがみこめば二人の頭の横に膝をつける距離だ。
「長じればろくな大人にならない。貴女だって同じようなこといってたじゃない。それが民衆のためよ。殺すべきです」
ビクトリアの膂力ならば、頭蓋を握りつぶすのも不可能ではないかもしれない。
ネヴが長物の先端を突き出すのを、ビクトリアは信じられないものをみるめで睨む。
「だからとどめをさせと」
「そうよ。邪悪なものの未来のために、善なるものが傷つく危険を残す必要はない」
ビクトリアの断言には、ネヴの威嚇への咎めがありありと含まれていた。
「あなた……あなたさあああ」
熱がほぐれかけていたネヴのとげとげしさが一気に膨らみ上がる。
「一瞬でも『あれ、案外いいやつかも?』とか思った私がバカでした。眠っている人間にとどめさすわけないでしょ! バカ!」
「バカ!? だって、村人のほうはやったのに!」
「ひとをわけのわからない生命体みたいにいわないでくれます? わたしにだって道理ぐらいあります!」
傘の先がビクトリアの胸を小突いた。
鋼鉄の骨格をもつ彼女には、蚊がさしたような威力しかないはずのひとさし。極小のちからは魔眼によって弱点を捕らえ、ビクトリアを数歩後退させた。
「私の嫌いなものは三つ。『怠け者』『嘘つき』『泥棒』です。ひとつひとつならまあまあスルーできますが、重なり合わさった奴をみると我慢なりません。
自分ではなんの代償も対価も払いたくない。欲望を満たすために、他者が得るはずだった幸福を奪う。最悪なのは、奪ったという悪性の苦しみも負いたがらず、嘘をついて、奪われた側に責任を押しつけるとかですね! 立場がどうだろうがそれぞれ一個人。機会平等、人権平等、責任平等です」
更に二度目、三度目と突き刺す。
予想外の敵意に、ビクトリアは真正面から攻撃を受けた。
重いからだを押し動かしても破壊するには至らない一撃。それがビクトリアに明確な反撃を行わせるのを躊躇させた。
「村人はまさにそれでした。処刑しようと石を投げた手は誰のものだったか。自分でしょうが。責任は被害者と煽動者に丸投げ。罪の責任は加害者がとるのです。一方的なんて卑怯だ。それを転嫁するなんて、はらわた煮えくりかえります」
そうするうちに、ビクトリアと姉弟には距離ができていた。
お互い武器を振り回しても、簡単には当たらない程度に。
「その点ベルちゃんは……いやマジで所行は極悪ですけど……悪を選んだのは自分だと自覚し、認めすらしました。そのうえで真意を包み隠さず命乞いした。本当は死にたくないのに命なんて惜しくないとかいって、いざ殺されかけてから懇願するよか、余程好感が高い」
「だから絶対駆除しないと?」
四撃目を左手でわしづかむ。
防がれたネヴは乱暴に手を振り払い、間合いをとった。
黒い瞳が激怒で煌々と燃える。
「駆除じゃねえだろうがよ……人生、『私はこうしたいと思ったからそうしてやる』っていう意志のぶつけあいでしょうが。勝ち負けと生殺与奪があるのみ。意志があるなら、家畜じゃない」
「真実の意味で、か弱い民衆もいる。彼らが悪意に貪られないよう守るためには、根本的に、貪る悪を排除するべきよ」
「あなたの考えがわかってきましたよ。成程、私とはあわないわけです」
両者が糸切り歯をならして向かい合う。
三人の同僚が向かうなか、怪異を前に残った二人の死闘が始まった。