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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第三十話「自己犠牲の精神」


「まず考えたのが『振り切る方法』」


 刃を眼前に構える。

 やや目線よりも高くあげ、角度を調整する。

 血ぶりをすませた刃は頼りない昼の光を受けて(つや)めく。まるで黒い鏡面だ。


「でも却下」


 傾ければ、ネヴの真珠の肌と黒い瞳が写し出される。

 動かないネヴと叔父の遺体を前に、カミッロは不気味な沈黙を保っていた。


(先ほどまでの様子をみるに、あくまでこちらが行動を起こした瞬間、その意識に割り込みをするしか私に干渉する方法がないようですね。といっても、それも今の話か)


 隣のビクトリア、前方で未だ四肢を投げ出しているベルを見る。

 ビクトリアは若干あがりがちな目を更につり目にして、カミッロを睨めつけていた。

 機械の鎧(コーティング)の耐性のおかげだ。


(しかしカミッロは成長する怪物。いや、元の形に戻っているのか? どちらでも結論は代わらないか。

 これははっきりいって早さ比べだ。私達がカミッロの身動きを奪うか、カミッロが私達の無意識への干渉を完了させるか。不利なのは人である私。

 私がカミッロを視れなくても、カミッロのほうは時間と接触を重ねれば、私の無意識の汚染度合いを高められる可能性が高い)


 カミッロが理解の足がかりを掴めば、先に狙われるのはネヴだ。100%といってもいい。

 単純にネヴの方が彼との接触が早かった。何よりネヴは直に深淵を覗いている。まばたきの間、肉体という(フィルター)のないむき身の彼と接触してしまった。


 ビクトリアが先に潰されるとしたら、ベルを狙った場合だ。

 これまでの様子を見るに、何故かカミッロはベルを積極的に守る。

 ベルが巻き込まれないよう、あえて標的となってから姉と距離を空けたのだ。


 テレポートも村人を食って急速に精度を増した。

 かつては誘いをかけ、導くことしかできなくても、そのうち強制的な命令力をもつに至ってもおかしくない。


(私は既に侵入されている。振り切る案というのは、カミッロの言霊で意識を操られるより早く行動する。考えるというステップに割り込まれているのなら、その考えるというステップ自体を省略してしまえばいい。鍛え上げられた技と肉体で、考えるより先に斬り落とす武道の達人みたいに)


 だからこそ却下だ。理由は理屈と同じくシンプル。ネヴが達人の領域に達していないからである。


(私は自分の勘を信じてる。経験と感覚が思考より早く結論をたたき出すのが勘。その私の勘が未熟だから無理と断じているのだから、これは達成できない)


 第一、そんなものは究極の居合い切りのようなものだ。

 斬ろうと思うより先に斬る。どうむかわれるか、対応すべきか。その思考を(ゼロ)へ至らせる。

 気の遠くなる研鑽と才能の果てにようやく辿り着く極地である。


(それ以前に、遺体を挟んだこの距離で飛びかかれば、テレポートする暇もある。なんなら無意識を読まれて、余裕をもって回避されるまである)


 人間、悪意には敏感だ。攻撃的意志の塊たる殺意は非常に読み取りやすいに違いない。ホームグラウンドといえる。

 ビクトリアがベルを攻撃するならば、それはカミッロにベルを庇わせようという攻撃的な企みが存在する。企みとは思考だ。


 読まれて防がれるだけならいい。

 だがビクトリアとてベースは人間だ。機械のファイアウォールがあったとて、分析されればいずれ中身にはいられる。

 最悪なのは、姉を狙う敵を即座に排除するため、自爆覚悟でカミッロの中に詰まった正体(データ)をたたき込まれることだ。


 もとよりカミッロにも念の送信能力はある。

 無意識から編まれた存在である怪異にとって、情報は人における血液と同じである。

 流れ出た血液は肉体に入れなおせない。

 件はカミッロという容れ物にしまわれ、宿ることでこの世に表出している。

 一度に情報を容れ物から流出した件は、戻るより先に霧散して無意識の海に帰るだろう。

 しかしネヴが視た通り、その情報量は防護をひっくるめて人格をショートさせるにあまりある。

 その光景を目撃したネヴももれなく発狂、全滅だ。


(だから、えー、多分。怪異、それもおおもとが()()()()()()()()()()()()()()()


 ネヴはしかと、刃のなかの自分の目を見つめ――精神への接触を可能とする魔眼を使って、自分(ネヴ)の言語野を解体した。


「「――――ッ―――――ッッ!!」」


 遺体越しに女と少年が顔を覆って天を仰ぐ。

 鏡写しのように同じ動作、すんぷん違わぬタイミングだった。

 深刻なバグの発生に割れんばかりの頭痛が起きる。痛みに耐えるため生理的な涙が頬を濡らした。その涙も痛みのあまり血の涙ではないかと錯覚する。


 たまらずネヴは両膝を地面につく。

 カミッロもまた獣の叫びをあげて頭を抑える。

 動いたのはビクトリアだった。虎視眈々と目を光らせていた彼女は指を突き出す。標的はベル!


 既に戦力外な彼女は暴力を目的とした道具を前に硬直する。


「っ、ね、さん!」


 火花散る音が空気を割り、凶弾が飛ぶ。

 舌足らずに戻ったカミッロは苦しげにあえぎ、なお姉を庇わんと飛び出した。

 ほとんど前転に近い、獣じみた動き。

 肉つきの悪い肩、脇、腹と命中する。

 ベルは弟の名を叫ぶ。その四音は甲高い悲鳴となって、ほとんど名前の体をなしていなかった。


「ッ、ほんと、見た目が子どもって嫌な感じよね……肺がきゅっとしまるわ」


 銃弾を受け止めたカミッロは受け身も獲らず、ずざざざと滑る。

 東洋風の着物が光の糸くずとなって消えていく。

 ハイロゥは依然残ったが、カミッロが立ち上がる気配はなかった。


「あなた、一体なにやったの?」


 ビクトリアが訪ねる。

 ネヴはそれどころではなかった。

どれくらいかというと、ビクトリアが何をいったのか、ちっとも理解できなかったのである。

 血管を破らんばかりにこめかみに爪をたて、この世のものと思われぬ泣き声をあげている。


「なんなの? 急にカミッロもあなたと一緒に苦しみだしたと思ったら……」


 ビクトリアは自分でいったことにハッと口元に手を当てた。


「まさか、ダヴィデのまねをしたの!?」


 ダヴィデと直に話し、肉体改造のため何度も意見を交差したビクトリアだからこそ、すぐに思い当たった。

 ダヴィデは鏡である。

 相手の精神を写し取り、その理想通りに行動する。


 ネヴがダヴィデに苦戦したのは、魔眼によってダヴィデの構造を解体すれば、模倣されたじぶん自身も反射で解体しかねなかったからだ。

 それを今度は、カミッロに対してネヴのほうが実行した。


 ネヴの言葉・意識を侵食しようとはいりこんでいたカミッロへ、ネヴが先に自爆をかましたのだ。

 ネヴも今まで知らなかったことだが、自分を解体するのには刃は必要ないらしい。

 自虐が己を深く傷つけるのと似ている。

 

「ああ、でもなんでカミッロは企みに気づかなかったの? すぐに思いついたことじゃないのに」


 この場にビクトリアの疑問を解説できるものはいなかった。

 その点に関してはビクトリアのあずかりしらぬところからきた発想だ。


 ネヴの父の言葉が鍵だ。

 ANFAにおける神降ろしの「神」とはなんなのか?

 彼は神を「ひとつを司る純粋なもの」と表した。

 司るという言い方はバラール国で一般的である一神教のとらえかたと異なる。

 

 司るとはそれを担当しているという意味だ。

 一柱が全てである一神教でなく、八百万の神のような多神教の言い方である。

 まず、ANFAは宗教団体ではない。

 魔術に宗教色があるのは、その威容を借りるための結果論だ。


 創造すれば神なのか。

 強大な力をもてば神なのか。


 一言でいえば、ANFAのいう神とは概念だ。

 人間は知らず知らずのうちに概念の影響を受けている。

 よいことをすると気持ちがいいと感じる人間は多い。

 その「よいこと」はどのように判定しているのか?

 教育や経験、周囲との関わりで育て上げられた善悪の価値観から判断するはずだ。

 

 行動と思想に現われる《意志》こそが人間の本質を決める。

 神と呼ばれる概念を司る何かは、無意識の側から意志に影響を及ぼす。

 それがANFAの定義だ。


 カミッロの場合、伝聞の性質を持っているのは明らかだ。

 しかしこういったミーム的性質は怪異には珍しくない。

 これは源泉となった神をスケールダウンして出現する際に「件」という妖怪をかたどったことで併発した権能ととれる。

 予言というよりは、いずれ本当になるのなら予言と代わらないという意味であるが。


 とにかく、《声》を伝えるというのはカミッロおよび(くだん)の本質ではない。

 ここで重要点が見えてくる。カミッロが司るのは何か。

 神は純粋だ。己のもつ役目から外れることはそうそうない。

 発揮された異能もまた役目に忠実なはずだ。

 よって答えはカミッロは《声》によって何を伝えているのか、という点に集約する。


 カミッロは村人を煽り、欲望を膨らませて暴走させた。

 縮小されたカミッロの役目は「欲望」という広い概念から、更に細かく規定されている。

 《声》のささやきを思い出せば、その条件は最初から極めてシンプルだ。


 村人は一人も晒し台から救い出さなかった。人を助ける喜びに従わなかった。

 カミッロは善なる喜びを叶えない。

 カミッロに宿った神性が司るのは欲望――なかでも「悪意」。

 そうネヴは推測した。


 それも愉悦を伴った他者への悪意である。

 殺し合いを初めた時、自殺するのは周りに誰もいないものだけだった。


 命が潰える瞬間の爆発的な恐怖の感情を回収しようとしたときさえ、自殺者より他殺者が圧倒的多数なのだ。

 自殺の愉悦は他殺以上に退廃のハードルが高いので、浸食が深くなければ難しかったのに違いない。

 だからまだネヴ自身の自傷は止められない。


 一歩間違えばネヴは永遠に誰ともコミュニケーションをとれなくなる危険もあった。

 推測が的外れである恐れもあった。

 だが事実として、こうしてネヴの自己犠牲はカミッロの悪意を打ち負かしたのだった。


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