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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第二十八話「神降ろし」


 ぶぉぉおおん(、、、、、)―……


 聞く者の肺を震わす、おぞましき《声》が流れ込む。

 生物に例えれば伝説の白鯨か。

 伝説に(なら)えば神話の角笛(ショーファール)か。


 ヴェルデラッテ村という狭い世界に終焉をもたらす天使が舞い降りた。

 そこでネヴは初めて、ここがあの晒し台のある丘のすぐそばだと気がついた。


 丘の上に立って、白い布の旗のように晒し台の横からこちらを見下ろしている。

 かと思えば、まばたきの間にベルの横に移動していた。

 短距離の瞬間移動(テレポーテーション)

 イデと出会った都市で遭遇した紛い物の獣憑き、ルーカスとは比較にならない権能だ。


「カミッロ・アンヘル」


 名を呼ぶネヴを一顧だにせず、カミッロはかがんで姉に手を伸ばした。

 その足からもれだすおびただしい血に手を伸ばして、ひっこめる。

 かけっこで転ぶのはわけが違う。

 見ているだけで痛々しい傷口に……慌てている?


「ああー、うー」


 獣のうなり声をあげておろおろとかぶりを振る弟の頭を、姉はしかと抱え込んだ。


「全く、この子ったら! 来ちゃダメっていったのに」

「…………」


 カミッロは(ベル)の抱擁をおずおず受け取る。 

 ひざまづき、(かしら)を捧げる姿は王冠を賜る凡夫のよう。


(このまま攻撃してよいものか)


 姉弟の再会に立ち会うネヴは、袖に隠したナイフを手の平にすべらせ、唾を飲む。


(眠るカミッロに近づいた時の絶叫はそれがベルにとって触れられたくない地雷だったから。でも、今の恐怖から来る拒絶は、驚くほどに頼りなかった。彼女の獣憑きとしての異能は相当弱い)


 ネヴも職員として、獣憑きの傾向に関する勉強ぐらいはしている。

 強い獣憑きは、善かれ悪しかれ性質(たち)は違えど、常人では超えられない壁を越える我の強さを持っている。

 障害を押しのけるちから。意志のちから。

 自動的に、「やってはならない」「やりたくない」という囁き声を振り払う能力も含まれる。


 ベルはそれが弱い。

 ここでもう一度思い返す。


 村人をそそのかしたのは、誰なのか。


 カミッロの《声》は強烈ではあるが個人にのみ働きかける。

 イデを執拗に狙い、他のメンバーは後回しにした面から見ても、無差別に話しかけていたわけではなかった。

 ベルの異能は送信能力のみのテレパシー。

 彼女が、誘惑の《声》をふりまき、家畜となった魂をかき集め、カミッロに食わせてここまで育てた。


 こんな弱い、鋼鉄の意志などかけらもない人間なのに。

 つまり元々ベルは誰かを自分達のための餌にしても平気な性格だったのだ。

 弟を助けねばならぬ、そのためにはいくらでも犠牲を払い邪悪になれると思ったのではない。

 弟を助けるためならば、赤の他人などどうなろうがどうでもいいと思う人間だったということだ。


(人間とはできるといってもやらないことを選べる生き物。この子にはそのためらいが、見知らぬ他人への思いやりがカケラもないというのですか!?)


 ネヴからみれば獣憑きより余程恐ろしい。

 まさかと願うが、まずは確保だ。教育の類いは専門家に任せたほうがいい。

 ベルに抱かれたまま動かないカミッロに、試しにナイフの切っ先を向けてみる。


 生白いカミッロの顔がうっそり持ち上がる。

 体の肉は痩せ細っており、身に纏う衣服との間に隙間が空いてしまっている。

 だぼついた服のあまりが亡霊じみた生気のなさを引き立てた。


 その姿が変わる。

 少年の姿であった頭上で光の輪(ハイロゥ)が巻かれる。

 ランダムに飛び出た長短の突起は、かの救世主の茨の再現か。

 光の輪は少年の顔を失われた日輪の如く明るく照らす。


 不自然なまでの純粋な白光。

 否。

 それは輪から伸びた無数の糸だった。

 蚕が繭を編むように、光は少年のてっぺんからつま先までをくるむ。


 異様な光景は実際は数秒に満たなかった。

 境界線を消す発光が収まった時、異形がいた。


 ベルを庇うように前に立つ小さな影の頭は、牛骨(・・)の形。

 着物は皺のついた寝間着から、東洋の着物のようなものに変わっている。


 ネヴは知らぬうちに飛び退いていた。

 腰に手を伸ばす。だがそこになじんだ獲物はない。

 仕込みがさを手にとるが、不安は晴れない。


(この――吐き気をもよおす違和感! あってはならないものが目の前にいることへの拒否感! これは……)


――刃物の方が手になじむなど楽観でしかなかった。

――自分は綺麗なんかじゃあなかった。

――だから戦わねば! 自分大にせいぜいあがくしかないのだ!


 覚悟したつもりだった。まるでまったく足りなかった。

 甘さを痛感させられる。無理におこなった酔いが覚める。

 そういうたぐいのものだった。


「ああこれはもう、終わったら自主的に再教育でも受けなくっちゃあね!」


 身をかがめ、構えをとる。

 開かんとするのは魔性の目。第三の瞳。ないものを見る異能の魔眼。


 ネヴィー・ゾルズィは、人間が好きだ。その中にしまわれた真っ赤なモノが好きだ。

 例えば、熱い心臓が打ち出す嘔吐物のような衝動が。

 ネヴの言う「ヒトのアカ」は、彼女自身にしか見えないモノだ。

 神隠しに遭い、帰ってきた少女だけに見えるモノだ。


 ネヴは()る。

 人の中身は、熟れてはじけかけの柘榴(ざくろ)に似ている。


 しかして、それは人ではない。

 かつて人であったもの。

 いまは人であった肉を残し、形なき恐怖をその身に降ろすもの。


「神降ろし――」


 ネヴの黒い瞳が少年の姿をかたどった獣を捉える。

 黒い鞘の長脇差が引き抜かれ、闇夜の中に白銀が現れる。月光を写す刀身たるや。形なきものまでも切り落とすかの如く、鋭い。

 それは見る者を恐れさせる、(まばゆ)さの一種であった。


「視え―――」


「――ない!」


 彼女は咄嗟に眼を反らす。

 だめだった。

 

 白光の牛の兜を纏い、色のないハイロゥを戴く少年に宿るのは、無意識の海の存在。

 現世を生きる人間とは異なる次元で生まれ、育った怪物。

 いくら感受性が強くとも、人を理解しようとする愛を持っていても。

 ネヴではこの悪意の怪物を理解することは不可能だ。


 かすかに視界に納めた情報は、脳内にふる隕石の雨の如く重い。


      白―狂気――情報――情報――

  ――教唆――囁き―――――肥満体―口唇交信更新――

   ――イゴーロナク――     嘘つき       ―予言――

―神秘不避可解逃空嫉希嫉妬望代替避卑臆怯病罵悪侮辱煩顰蹙悩随涙喜――


 ネヴは何も理解できなかった。

 否。あと一歩のところで理解を拒んだ。

 理解してしまえばネヴは再び海の深くへ足を踏み入れることになる。

 またしても戻ってこれる保証はない。


(情報のスケールが、次元が、解釈法が……人間と違いすぎる)

    

 懇切丁寧、慈悲深く。ひとつひとつ舐って切り捨てて味わい尽くして両断して。

 そんなことをすればネヴは間違いなく発狂する。

 大波をひとしずくずつ掬っていくのは常人では不可能なのだ。しようとすれば神経は極限まで摩耗されたすえ火をあげる。

 第三の瞳は、外なる海の存在を前にネヴへ自傷を迫る凶器と化す。


 かろうじて結んだのは、この海の存在のおぼろげな像。


「《(ぐだべ)》! 半人半牛、予言の力をもつといわれる妖怪。

 被害者の肉体を乗っ取り、残忍な願望を隠しもつ者を見いだし、隷属させる権能を有した神性が、誰かの記憶から無意識の海に流れ着いた異邦の伝承を浸食して、むりやり顕現したのか!」


 ネヴの瞳はそう判断した。

 これはキメラだ。本来は神であるものが、民間伝承、都市伝説、それも遠い遠い国の、ちいさな物語の存在になってここにいるのだと。


 神話の神がいたときいて信じるものは少ないが、森に妖精がいたときけば少し考えてしまうもの。

 大いなる存在よりも小さな神秘の方が信じるための壁が低い。


 今でも地方ではこんな会話がある。

 「いつのまにか家事が終わっていたのよ」「ブラウニーがやってくれたんだろう」。

 起きると何故か枕がひっくり返っている。何故だ。妖怪の仕業だ。

 そんな風に。

 妖精・妖怪の類はもとより人々の隣にあるものなのだから。


 本来抱える巨大な物語よりスケールダウンした代わり、近しい存在になることでこの世に表出してみせた。

 この事実はネヴを打ちのめした。

 カミッロに宿っている何か(・・)は、抜け穴にあわせて小さくならねば出てこれなかったような存在だ。

 この牛頭の怪異は本当の正体よりずっとずっと零落した個体である可能性が高い!


(捕らえる。収容する――どうやって? どう解体すればいい!?)


 強い負荷にショックを受け、身動きがとれない。

 ネヴにとって最悪の相手だった。魔眼を通してネヴが飲み込まれる危険さえある。


 冷や汗を流すネヴの前で、カミッロだったものは、血の気のない唇をそろりと開く。


「《おじさん。来て。助けて。死ぬまで助けて》」


 警戒を強めるネヴに、続けて《声》がかかる。


「《ネヴ。貴方の前から敵が来る》」


 「は?」という前に、背後から攻撃を食らった。

 張り手が双肩の間を突き飛ばされ、ネヴの小柄な体躯のつまさきが宙に浮く。


「かっ」


 たまらず空気を吐き出す。ぶちぶち嫌な痛みがあった。


(あ、まずい。傷が開いた)


 ダヴィデとの戦いの際、負わされた傷だ。

 腹部を押さえ、前転して距離をとる。

気づかぬうちにネヴの背後をとっていたのは体格のいい成人男性だ。

 ベルとカミッロの叔父。彼らの菓子店を手伝っていた男である。


「くっ、成程、そういうこともできますか」


 腕のいい医者に診てもらった傷はまだ大出血にはいたらない。

 静かに素早く呼吸を行い、冷静さを取り戻そうと努める。


「なんてこと。私は今、確かに『前から(・・・)攻撃が来る、迎えうたねば』と思った。驚きました。トリスみたいなことをするんですね。コトダマというヤツか」


 叔父は答えない。

 姉弟と同じ色をした目は焦点を失い、口からだらりと舌をだしていた。


「……生きているだけでゾンビと同じですか」


 おののくネヴをカミッロは追撃する。

 彼は信じがたい命令を叔父だったものに刻み込む。


「《叔父さん。人間やめて》」

「なっ――」

「《叔父さん。人間やめて。このままでは姉さんが困ってしまうよ》


 叔父のずんぐりした巨体が小熊のように震えた。

 舌を噛みちぎる勢いで歯を食いしばる。


「お、お、お――IGAAAAA!」


 常軌を逸した雄叫びが合図だった。

 叔父は命令に屈した。

 血管がぼこぼこ不自然に隆起した。叔父だった肉塊の絶叫とともに、肉という肉が爆発した。急激な筋肉の肥大化に耐えられず、皮膚がさけ、白い脂肪と赤い筋肉が外気に晒される。


「なっ……」


 ビデオテープの早回しを見ているようだった。

 一回り以上おおきくなっていくヒトガタを前に息をのむ。


 人間の存在の改変。

 カミッロは言葉だけ魂を歪ませ、彼という概念を書き換え、別存在に変えてしまった。


「これが神降ろし!? いくらなんでも理不尽過ぎる……! ニンゲン馬鹿にしやがってッ」


 実のところ、ネヴが神降ろしにじかに対面するのはこれが初めてであった。

 ANFAに就職した際、父にかけられた忠告が蘇る。


――いいかい。神降ろしには気をつけなさい。


――無意識の海。家畜ではなく人の夢がこごるということは、この世界において人こそが神といえなくもないけれど。

――神とは何かを司るものだろう? つまりあまりにも純粋ということだ。

――それの目的も在り方も思想も全て、生まれから消えるまで、司ったソレひとつを表すためにある。そして純粋なものとはおおむね人を追い詰めるものさ。

――その点、人は迷う。宿す面も色も性質(たち)も多すぎる。だからこそ感じる輝きもあろうが、まあ、何。今の君の()にはつらいんじゃない?

――いくらよくみえても、君が持主である限り人をみるための瞳だからねえ、ソレ。

――神降ろしには気をつけなさい。真っ正面で殺りあったらポキっと死んじゃうから。

 

 一対一の対決という選択肢すら持たせず、人間の尊厳を勝ち取る機会を与えないやりかたに怒りはわいた。

 だというのに、恐怖のほうがネヴの足をすくませた。


「いけません。情けない、情けない。戦う覚悟をうたってこのていたらく! なんと!」


 ネヴはなくなくカミッロから目をそらした。

 見つめ直すは、今や巨人となったヒトならざる肉人形。

 大きく振りかぶる巨人の腕は丸太のよう。

 傘でいなして受け流すのは簡単だった。だが降り注ぐ鈍重な圧迫は開いた傷を押し開いてく。


 カミッロのせいだ。


 真正面から受け止める時は「《貴方の隣に敵が》」。

 蹴り上げられそうになった時は「《貴方の右から殴打が来る》」。

 両手で押しつぶされそうになった際に横転で避けようと体勢を低くして、「《その攻撃は受け止めなければならない》」。


 拳と武器の接触の瞬間。受け流しのために絶妙なコントロールをしなければならないタイミングで、コトダマの茶々を入れてくる!

 ちからの流れも見えるはずの魔眼も調子が狂う。

 威力が殺しきれずに、ネヴの腹を裂いていく。


「……きついなあ……まだなんですか?」


 噂をすれば影とはよくいったものだ。

 ネヴが折れかけになりだした傘をふってこぼした愚痴を、新たな声が遮った。


「喰らえぃやあああーッ! ロケットォオーッパァーンチッ!!」


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