第二十四話「きょうだいのかげ」
シグマの弾丸が放たれた小屋に飛び込んだとき、イデは「なんか変だな」と思った。
シグマがイデを助けた時とほとんど変わらぬ場所にいたからだ。
◆ ◇ ◆
ダヴィデの屋敷につれていかれる前に聞いたことを思い出す。
アルフがイデを徹底的に笑顔でいじめ抜いていた時、こう言っていた。
そのときは確か、持久力をつけるためのマラソンだったはずだ。
脇腹をおさえてうずくまるイデの前を、ペースを崩すことなく颯爽と走っていたアルフが休憩の暇つぶしがてら『職場のコワイ話』をしだしたのだ。
「シグマちゃん、前に会わせたでしょ。どうだ、よくやれそうかい」
「死ねって思われてる感じがする」
「即答? なんか言われたのか、しょうがないなあ~」
「なんも。言わなすぎるぐらいだ。でも目ぇ見りゃ『部外者』って思ってるのぐらいわかる。氷みてえな目でみてきやがるんだ。実際部外者だけどな」
正直に答える。
アルフは汗ばんだ額にはりつく前髪をかきあげ、目を細めて笑う。
手のかかる子ども達を見るような顔だ。
「シグマちゃんは人見知りだからねえ。君も仲良くしてくれると助かるなあ」
顎をぬらす汗すら甘い色男は、あっという間に呼吸を耳障りでないものに落ち着ける。
「彼女、ああいう性格が玉に傷なんだよね」
「だろうな」
「でもうちの子で、傷のない子なんてまずいない。むしろその面倒くささが彼らの恐ろしさでもある。恐怖とは強さだよ、経験あるだろ」
「まあ……」
頭のなかで黒髪のハッピー刃物女が破顔ダブルピースで駆け抜けていく。
「で、シグマちゃんスナイパーなの。そういう性格で。能力と知らない人間への良心の呵責なさが相性良かったから。ベエタっていうメンバーがいた頃は安定して活躍できてた」
イデの知らない誰かの名前をあがる。
その一瞬、アルフの目が遠くなったのにイデは気づいてしまった。
シグマはイデのことを「しかたないから居座っている一時的な穴埋め要因」として見たがっている。
だがアルフはそうではないようだった。
長い睫のしたに宿ったのは諦めの影だった。
「スナイパーって頼もしいんだけれど、こわい役目でねえ。ほら、攻撃が届かないような遠くから狙撃するでしょ。憎まれるのよ、基本的に。居場所とか絶対バレちゃいけない。感情抜きにもフツーに脅威だろ」
「バレたら?」
アルフの前振りの意味がわからないほどバカではなかった。
短気に簡潔に問うイデに、アルフは「あー」と短く唸る。
「ヒドイもんだよ」
「ベエタのいないシグマもそのままだとそうなるって?」
「そうはいってないけど。前に見たコは、遺体がえらい有様になってたなあ。自殺した方がマシだったんじゃないかってくらい。同情しちゃったよ。覚悟できててもいけねえな、ああいうのは」
人を呪わば穴二つとは、人を陥れるのならば己のぶんの墓も掘っておけという意味らしい。
冷徹な狙撃手はその優秀さのぶんだけ墓穴が深くなる。
「はっきりいってスナイパーは射撃の腕などよりも、捕まらないことが大事なんだ。あらゆることから逃げ続けてきたシグマの足がからめとられ、己を呪う声に耳を傾けなければならなくなった時、きっと彼女は誰よりも使い物にならなくなってしまう。
そして最後には恐れたものに食われて、最も屈辱的な終わりを迎えるだろう」
◆ ◇ ◆
一発。二発。
続けざまに発せられた破裂音が癇癪混じりの地団駄のように連なる。
どれもが小屋に向かう生贄達の頭蓋を貫いた。
見事な腕だ。
やがて込められていた弾が切れる。
一歩横にずれることすらせず射撃を行っていたシグマは、急に脱力し、おもちゃを横に置くようにして愛銃をそっと床に置いた。
「シグマ……?」
「あああああああああああああああああッ!」
奇声が生臭さではりきれんばかりになっている空気を切り裂いた。
名を呼んで間髪いれずに爆発したそれが、あの、キレていなければぼそぼそ喋るシグマの声だと、イデは最初思わなかった。
シグマはぱりっとした色の金髪をガシガシかきむしる。
オイルで最低限の手入れだけして、ろくに髪型に気を配ったことがないのだろう金糸が投げ出された糸玉のように絡まる。
「うるさい! うるさい! うるさい!」
ヒステリックなシグマはイデを無視して、胎児のようにくるまる。
一体いつからか。イデの枕元にあの白い影がたった時、既に手遅れだったというのか。
既に彼女はアルフの危惧した事態に陥っていたのだ。
シグマは冷徹な女になれず、一部に流れる冷血によって弱い心を守っている少女だった。
いまや冷血は自己嫌悪の情熱に押し流されている。
「シグマ、落ち着け。《声》なんか無視しろ、そうすればあいつはなんにもできないんだから」
イデに出来たのだ。シグマにできないはずがない。
だが彼女はブランケット代わりに髪で自分の顔をくるんで視界を、世界を拒絶する。
そしてあろうことか、ぐすぐすと鼻をならして鳴き始めた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、どこいるの?」
イデは目を丸くする。
シグマには姉がいたのか。
しかしわざわざ聞くことではなかったし、また、聞いている場合でもなかった。
無謀な牽制をやめた今、新しい生贄の家畜たちはそのうちここへやってくる。
眠っているイデをおいてネヴとシグマは先んじて調査に向かっていた。
一隊から離れ、イデを助けに来たシグマはネヴから今後の行動について伝言を預かっているはずだ。
それを受け取っていち早く事態を把握し、合流しなければならない。
「シグマ、おい。らしくねえぞ、いつものコミュ障はどうした?」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……早くかえってきて。どうしよう、わたしひとりじゃなんにもできないよ。ごめんなさいお姉ちゃん、わたしじゃお姉ちゃんみたいにできないの」
「シグマ!」
シグマはますます縮こまって両耳を塞ぐ。
困った。ネヴだったら横っ面をはたいてでも呼びかけるが、一切日焼けしていないシグマの白い頬をはることは躊躇われた。
彼女も女性だ。そしてあの性格だ。正気に戻った後が怖い。
「誰だよ、お姉ちゃんって。クソ、参ったぜ」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、どうしてわたしのそばからいなくなっちゃったの。クリスがダメな子だから? わざとじゃないの、うまくできないの、お姉ちゃんみたいに助けられない。悪い子なの、お姉ちゃんがいないとわたしダメ。毎日が怖いよ。お姉ちゃんに二度と会えないなら死んじゃいたいくらい。お姉ちゃんがカミッロみたいになったらどうしよう? わたしのせい? やだよ、助けてお姉ちゃん……」
「あーもうっ」
これ以上きくことはためらわれた。
これは、イデがあの《声》に踏み込まれて不快を覚えたように、彼女が大切に向き合っていくべき領域の話だと感じる。
誰しも心の内側にアイデンティティで積み上げた王国をもっている。そこに無遠慮に踏み込み、侵略しようとしたならば、待っているのは我をかけた戦争なのだ。
ゆらゆら体を揺らす彼女の両肩を掴み、動きを止めさせる。
「おね、」
「いいのか。俺が見てるんだぞ」
ぴく。イデの苛立った声にシグマの揺れが止まった。
「いつものあんたならキレて、言い過ぎなくらい罵るとこだろ。ネヴみたいに行動にまでは出ずとも、ネチネチ延々しつこく根に持って、相手が詰まったところでにやっと笑う意地の強さとねじ曲がり方はどうしたんだ?」
「………………」
塞いだところで、はるか遠方の音まで拾う異能の耳は健在だ。
イデの言葉は彼女自身の拒否に関係なく流れ込む。
「自分を守るためなら、相手が悪くなかろうがとりあえず初手で拒否する身勝手さはどうした? 今こそそいつを振り回すときだろ。言っておくが俺だっていい気はしてなかったぜ。
それでもその下手くそな踏ん張りのおかげで生きてきたんだろ。死にたくないって。だったらそれでいい。お前なんか知らん、わたしのことに他人がくちだしすんなって、今いえよ今。バーカ!」
なるべく憎たらしく言ってやった。
ついでに内心思っていたが言えなかったことも言ってやった。
そしていくら弱っていても瞬間湯沸かし機は瞬間湯沸かし機であった。
「性格悪いって自分が一番知ッッッとるわバー―――カッ!」
自分で自分を責めるのはよく、どこまでも沈み込めても。
他人に言われるのは我慢できない。シグマはそういう獣憑きだなのだ。
「悪いとこなんだよ! それを褒めるみたいに、いやでもやっぱ悪口みたいに言うなッ! どうしていいかわかんないじゃないかッ!」
怒りは理論的思考を曇らせ、ひいては過剰な内省をも真っ白に染め上げる。
気恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたシグマは、《声》の影響で感情の抑制が効かない様子で立ち上がった。
「お、おお……戻ったかよ……」
そんなシグマに、狙い通りとはいえイデはドン引きして一歩下がる。
すると今度はみるみるうちに青ざめ、張り上げていた声が萎む。
「…………ごめん…………気づかないうちに、影響受けてたみたいで……わたし、ちょっと、なんていうか、今、家族のゴタゴタが……」
「いや、うん。まあいいぜ。とにかくネヴのとこ連れて行ってくれれば」
「……バカっていったけど、わたしが人に冷たくしちゃうのは、自分に自信がないからよ……だってそうじゃない。根暗で地味で、気づいたら嫌みばっかり……いいとこなし。だからわたしがバカであってるのよ、ええ」
「……そんなにさっき俺がいったことがショックだったか?」
「は? 勘違いしないで。事実をいわれたのを責めるほど終わってない。終わってることにしないで。せめてものプライドだけで生きてるの、わたしは」
情緒不安定な様子で顔を覆うシグマから目をそらす。
「恥ずかしいから死ね」とか言われかねない空気感だ。
「ああ。わかった。安心しろ。お前は性根は腐ってない、そこそこのいいところもある嫌なヤツだ」
「わかってて言ってる? ねえ」
「やっぱ怒ってるだろ」
「怒ってるわ、怒っているからって感謝がウソにもならないわよ。それでもわたしに素直なお礼を期待したって無理なんだから。金……金で解決させて……何でも奢る……」
「いいって別に」
「まあ、おかげさまで、すっきりした……うん。少なくとも今日は、落ち込むぐらいならキレていく」
おろした銃を抱え直し、一人でイデの知らない何かを納得する。
思えばイデはシグマのこともろくに知らない。
だがイデの全く知らないことで悩んでいたらしいシグマは、イデの全くわからない理由で慰められたのか、妙にすっきりした顔をしていた。
まあ、ならば奢られてもイイか、とちょっぴり思う。
「……悪かったわね。ほら、いくよ……ネヴちゃんのとこ」