第二十三話「ふはははは!」
ネヴのチームのあだ名は実にシンプルだ。
「A」の名をもつアルフがチームで最古参だからだろう。
それに加え、本名で活動しているネヴを除いた全員名前がアルファベット順になっている。
アルフォンソ、A、アルファ。
ベアトリス、B、ベエタ。
そしてシグマの本名はクリスティナ。Cだ。
Cという文字はギリシャ文字のΣに由来するので、最初は気にしていなかった。
しかし在る時、管理チームの女子と食事をしていた時、こう指摘された。
「あなたは『C』よね。ならどうして『χ』じゃないの?」
そのときはよくわからなかったが、チームの名付け法則に従うのなら、本当ならシグマはキーであるはずなのだという。
回収した異常存在の管理プロトコル作成も仕事のうちな管理チームは、細かい点も気にする人間が多い。職業病なのだ。
ともかく。
単なる疑問として発せられた質問は、その後のシグマの気分をやや害した。
そもそも『クリスティナ』自体、不似合いな名前なのである。
名前には大抵意味が込められている。
こんな子になったらいいな、とか、幸運に恵まれますように、とか。
クリスティナの場合、名の意味は救世主らしい。
父親殺しの救世主。根暗で蛇のように執念深い救い主。笑える話だ。
正直本名よりもシグマの方がよほど本当の名前だと感じる。
さておき。
シグマは自分が誰かを助けるのに不向きな人間だという自覚があった。
度の入ってない眼鏡までかけてクールぶっているのに、いつまでたってもすぐ頭に血が上りやすい質であるし。
アルフなら気遣う。
だがネヴにそれを期待してはいけない。
自分が精神的ジェットエンジンを積んでいる自覚がなく、周りも飛べるものと思っているタイプだからだ。
今、彼女はより人の多いところを狙って鈍器(鉛入りアンブラレラ)片手に殴り込んでいる。
「でかい! 的がでかいぞ!」
高らかに笑って動きの鈍い村人から優先的に頭をかち割る。
「ふはははは!」という女性らしからぬ笑い声は己を鼓舞するための勝ちどきだ。
はたから見れば完全に危険人物だが。
「ネヴちゃん……なんで村人を襲ってるの!?」
シグマは数十歩後ろで援護射撃に準じていた。
野良犬にたかられる肉の如くもみくちゃにされたらたまったものではない。
ネヴは挟み撃ちの形で村人に挟まれていた。
左右から同時に斧がギロチンじみて振るわれる。しかしネヴは冷静にうずくまって回避しながら怒鳴り声を返す。
「私には今、急速に彼らの中身が減っている……搾り取られている? ように見えています」
「食い残しすら食い尽くしている、ってこと……?」
「安全な農場で食っちゃ寝していたら、急に打撃を与えられる集団が現われて慌てたのかもしれません。
体を操られれば急速に恐怖の感情が膨らみますし、死ぬ瞬間はそりゃあもう一生に一度でそれ以降使いどころがなくなるだけに、莫大なエネルギーを発するでしょうからねー!」
低い姿勢のまま、コンパスの要領で傘を針代わりに回転する。
すっころんだ村人にシグマはすかさず弾丸をたたき込んだ。確実に仕留めるため、できるだけ三発ずつ。
弾の減りも早い。だが焦って仕留め損えば後々の不意の事故に繋がるのだ。
焦る気持ちに封をしてリロードする。
弾倉交換はいつだって気持ちいい。
「……それってまずいですよね……?」
「かなりまずい。さっきのテレポートがありますからね」
中毒じみた快感で、怯える心を昂ぶらせる。
先ほど突如消えたカミッロを思い出して冷や汗を垂らせば、ネヴは角材で殴りかかろうとした村人に風穴を開けた村人を盾にしつつ肯定した。
「多分これ、村人達を食い尽くすことで成長を一気に早めて、さっさと大距離移動で逃げる気だ」
明らかに攻撃的なネヴを恐れたか、カミッロ・ベルが彼女を優先的に排除しようと命令しているのか、シグマを無視して村人が彼女に集っていく。
かたまりになりだした集団に、ネヴは遠慮なく使い潰した肉の盾を放り込む。
彼女の細腕に反して大きく投げられた村人の遺体は数人の同胞を巻き込んで倒れさせた。
「その前に止めねばなるまい」
話していてもネヴは止まらない。
つかみかかってきた村人の手を逆にねじり上げ、後ろから襲い来る凶刃を振り返りもせず傘で受け止め、動きが止まったところに間髪入れず足でひっかけて転ばせる。
「焼け石に水かも知れませんがね、食われきる前に餌の数を減らそうと思います! どうせもう助からないですし、一息にやるのも慈悲というものでしょう!」
「わたしもやったほうがいい?」
「いえ、できればシグマさんはイデさんのところへ。なるべく早く合流しないと危ないですから、連れてきて下さい。多分ベルさんの家には来るだろうけれど、私いまから移動するので」
「どこへ!?」
「ベルちゃんのところです」
こうと決めたネヴは容赦なかった。
傘の手元で相手の襟を掴んで引き寄せ、他の村人からの攻撃の盾に。
剣のように構え、石突きで喉笛を突く。
殴りかかった腕に沿わせる形で傘を滑り込ませ、脇のしたから引っ張り上げて身動きを奪って破壊する。
突如傘を開き、急なことに一瞬のけぞった村人を目の前の村人を指で目潰ししてから振り払う。
やけくそで正面から大ぶりに拳を振り上げられれば、衝突のタイミングで傘を横にして、鉛入りの中棒に拳面をかち合わす。
硬いモノを殴って折れた拳を痛ましげに引っ込めた村人の胸にブーツをはいた足を乗せて蹴り飛ばした。
殴る蹴る武器を持つしか戦うすべがない一般人が密集して戦えば、当たり前に動きづらく。
自分達自身をその場で拾える防具と武器代わりにされ、ドミノ倒しのように一方的に攻撃を打ち込まれるのは順当な帰結だった。
「信念なく戦うとこうなる。寂しいですね」
その場の村人を平らげたネヴは、ひゅん、と血の付いた群青の傘をはらう。
「基本的な異能の傾向として、近い方が能力がききやすいはず。群れているほど、異常な状態になっているほど、本体であるベルちゃんないしカミッロに近いはず。多分群れているほうがベルちゃんなので、このまま人が多い方へ多い方へと向かうつもりです」
「人が多いほうが?」
「ええ。人を誘う《声》がカミッロの異能なら、恐らく、ベルちゃんはそれを拡散させる役割をもっているはずです。
個人を対象としたイデさんと村人とでは明らかに聞こえている声の性質が違いましたから。イデさんに対する《声》は本当に強力だった。村人と違って姿も認識していたし?」
「……もしかして、ベルは……」
「あら。シグマさんならわかります? 理由とか」
「……弟を助けたかったのかもしれませんね。《声》を拡散させ、効率的に餌集めをして、カミッロの自我を取り戻したかったのかも」
「ああ。成程。まあ、実際は容れ物の主であるカミッロの人格を模倣した別のものを育てたのでしょうが。ダヴィデのネクロマンシー然り容れ物の影響は大きい」
まあ、とりあえず、です。
ネヴは次の村人達を探して歩き出しながら、シグマにウィンクを飛ばす。
「イデさんを見つけたら私のところへ。私は人が倒れている方の先へいますから!」
「嫌なヘンゼルとグレーテルですね……パンは神の肉とはいうけど。肉の目印かあ……」
「ダメ?」
「いえ。でもなんか気持ち悪いじゃあないですか」
「私、シグマさんのそういうところ私よりヒドイんじゃないかって思うんですよ」
「他人だもの。身内でもなし」
重ね重ね、あらゆることが証明している。
シグマは人助け向きの人間ではないのだ。
だからイデを迎えに――実質助けにいくというのも、はっきりして気乗りしなかった。
自分がいってもシグマをそういう星の下に生んだ天運がどうにかことを悪いほうへ運んで失敗するのではという気がして。
実際、それは部分的に的中した。
二十と数分後。物見台代わりの空き小屋から追われるイデを発見し、小屋まで逃がそうと援護射撃していた時だ。
シグマの頭のなかで声がした。