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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第二十二話「誘愛と拒絶」


 急に過去に押し戻されていた意識が現実へ浮き上がった。

 カミッロがイデの心の海底にからみつく、粘ついた海藻めいた言葉達を探り()ったからだ。そう確信を得たらしいカミッロは、またぽつぽつと囁いた。


「お兄さん。本当は気づいているんでしょう。あのお姉さんなら、もしかしてあなたに変わらぬ愛をくれるかもしれないと」


 愛などというこっぱずかしい単語を恥ずかしげもなく口にする。

 イデの唇は毒に触れたかのように痺れて動かない。

 しかし先ほどまでと違い、自我ははっきりし始めていた。


「努力したものなら廃人になった老人にすら慈悲を向けるんだからね。愛を振りまく条件に成果を問わないってことだ。だからずっと着いてきている」


 イデの背に幾度目かの怖気がはしる。

 カミッロがいっているのはダヴィデの父、パトリツィオのことではないか。

 少年が知っているはずのない記憶である。


 異常に優しい《声》は生ぬるい。そしてほのかに甘い。本能的に寄りかかりたくさせる魔性の気配だ。

 鼓膜に暖めたミルクを流し込まれる気分だった。

 イデの喉が呼吸が浅かったぶんを取り戻すように、はくはくと動く。


 ゆっくりとだが心身が解放されている。

 《声》の主、異能の発生源であるカミッロが「イデの心を完全に掴んだ」、そう思っているのだろう。


「…………」

「同時に過去の経験から、それが『してはならない恋』であることもわかっている。

 だって、ねえ。愛されたところであなたには理解できる? 自分は愛されてるんだって。ないから困ってるんじゃあないか。受け入れる能力がない。

君は愛という栄養を取り込む消化酵素を持っていない。

 恋というわかりやすい『欲』の形になって、ようやく素直に上澄みの愛を認識できる」

「…………」

「恋の形をした全く違う願い。相手にはとっても失礼なことだものね。大切になりうる存在であるほど躊躇する」


 実際、カミッロのいうことは全て本当だった。

 あまりに情けなく、突っぱねてきた願いを、遠回しにジワジワしつこく突きつける。


「だのに残忍なことに、大抵の人間っていうのは愛がなければ生きられない。自己愛で生きられる人間は、ここの村人を見てもわかるとおり多いけれど……難しいよね。この世の誰よりあなたを嫌悪しているのはあなた自身だ。

 カリスマ。頼れるちから。才能。辛抱強さ。安心させ、好かれる魅力がなんにもない男なんだもの。愛する理由がどこにある? それを与えられる場、失いたくないよね。わかるよ」


 イデが自由を取り戻しているにも関わらず黙っているのをいうことに、カミッロはより深いところへ切り込む。


「でも癒やされ、心を許し、好きになるほど怖くなる。いつか自分なんかよりいい人間に夢中になって、捨てられてしまうんじゃあないか、って。

 そうなるぐらいなら早く『確保』してしまいたい。絶対離れない一番近くに。

 怖いもの。いつか距離ができて、そのまま、二度と得られない篝火(カガリビ)が遠く遠くへ行ってしまうのは!

 彼女にとって唯一の特別な一人という立場ほしさに、勘違いしたまま、愛を恋に歪めたくなる誘惑は深まっていく――」


 やっと疑う余地がなくなった。

 簡潔にいえば、あまりにも俗な願いだ。

 誰にも譲りたくない女をさっさと手籠めにしてしまえと誘っているのだ。


「ねえ、でも別に、いいんじゃあない? だってそうしなくっちゃ幸せになれないかもしれないんだもの。多少無理矢理にでも――そう、結果的に、最後にはあの人のことも幸せにしてあげれば問題ないでしょう。それがどんな形であっても。お互いが幸せであれば」

「……カミッロ」


 自分の幸福のために偽りの恋を実行しろと煽る。

 黙り込んでいたイデはここで初めて大きくかぶりをふった。


「お兄さん。どうするの。何を願おうが手伝うよ」

「質問を質問で返して悪いが、カミッロ。お前、歳いくつだ」

「……え?」

「いくつだってきいてんだよ。とてもそうは見えねえが、十四を過ぎちゃいねえだろうな?」

「じゅ、十一」

「そうか。よかったな。十四だったら拳骨してたぜ」

「え、歳、え、何?」

 

 カミッロは急に慌てふためく。

 背中に乗せた細い体は未だ震えひとつない。だが《声》は動揺でフリーズし、イデの質問を繰り返した。バグを起こした機械にも似ている。

 初めての年相応の反応だ。


 ほんのちょっぴり哀れになった。

 それでも言っておかねばならないことがある。


「いいか。人様の内側にずけずけ乗り込んでくるんじゃねえ。俺の気持ちを俺がどう扱っていくのかは俺が決める」

「え……何? 僕に任せてしまえば、何も考えず楽になれるのに。村人達は得ができるのが賢い判断だって頷いたよ」

「なんのための得だ、そりゃ。少しずつ……そのうち向き合うつもりだったんだよ、人には人のペースがあるんだ」

「善意だよ、あなただけには」

「俺にお前の気持ちなんざ関係あるか。善意だろうが悪意だろうが、安易に絶対踏み入っちゃいけねえパーソナルスペースってやつがあんだよ。そこに首つっこんだらしっぺ返し喰らっても文句いえねえぞ」


 銀髪をガシガシとかく。

 本音をさらけだすのは苦手だ。正直はバカにされる。正直とは自分という人間の一部をむきだしにして差し出すということだ。

 ありのままのものに振り上げられたナイフはあっさり深くまでつきたつ。


 しかしカミッロは、今度は言葉の刃でイデを解体しようとはしなかった。

 マニュアルの一文目を読み上げるように淡々と言う。


「何もかも一人で抱えて、壊れてしまうほど寂しく苦しいことはないよ」


 意外な一言に、恥ずかしさで伏せかけた目をあげる。

 背中のカミッロは見えるわけではないが、カミッロのそれは先ほどまでとは調子が違った。

 たぶらかし、甘やかすような色ではない。

 《声》の質と同じ、混じりものなしの無色透明な抑揚だった。


「間違えて、誰かに手伝ってもらってでも、望みを叶えたっていいという可能性が欲しくはないのか? カミッロ(・・・・)は諦め続けることに耐えられなかった」

「どういう意味だ?」


 はあ。可愛らしい嘆息が響く。

 捕らえたかった獲物をすんでのところで逃がした幼児のように、軽く蹴られる。

 それをきっかけに、ずっと背負っていた重みがなくなっていく。

 砂袋の底に穴が空いたような質量の変化。急速に崩れるバランスをとるため、巨体がよろける。


「叶わない恋が報われる喜びならば、ひとりぐらい叶えてやってもよかったのに」


 髪を振り乱してふりかえる。

 しかし既に、あの不気味な少年はどこにもいなかった。


「あぁ!? あいつ、恥ずかしいことをさせるだけさせて消えやがって……! クソかよ」

 

 しばしすぐ近くの木陰に目を走らせたが、迫りくる足音に舌打ちを放つ。

 いつのまに近づいていたのか。

 ゾンビそっくりの濁り、血走った目で近寄ってくる村人達が見える。


 隊列を組むかのように三角形に並んで、よたよた、よたよた寄ってくる。

 後ろを見たまま走りだそうとすると、三角の列の先頭にいた男の頭が後ろむきに倒れた。


「ッ、シグマか!?」


 男の倒れかたから弾の来た方向を予測すると、空き屋と思わしき家屋の二階で、小さな光が剣呑にまたたいた。


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