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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第二十話「カミッロのおでかけ」

 イデが目を覚ましたのは、ネヴ達が家を出てから二時間後のことだった。

 ちょうどネヴ達がカミッロの寝顔を見る十数分前である。


 ズキズキと痛むこめかみに渋面を作る。

 どっぷり寝たような気もするのに、同時に酷い疲労感が両肩から全身へ降り積もっている。

 奇妙な夢を見た気がした。だが内容が思い出せない。

 わかるのは、きっとろくでもない夢だったことだ。


「あー、くそ、片頭痛かよ……」


 ネヴ達が残していった冷めたコーヒーをサーバーからマグカップへ注ぐ。

 片頭痛は脳血管が拡張し、三叉神経が刺激されることで起こる。原因はストレス、疲労、過度の飲酒、高 血圧などだ。

 また寝過ぎも原因になる。睡眠中にリラックスして、副交感神経が活発に働き過ぎても、同じ症状が起きる。


「どんだけ寝てたんだ。流石に出る前くらい、起こしていってくれりゃあよかったのに」


 ここ数日は、起きるとずっとネヴがいた。

 寂しくなど、ない。だが、割と悪くない目覚めだった。

 何もかも見通す黒い瞳に見られると、ちょっぴり見られたくないものまで見られるような不安と、悪いものを余さず見つけて切り取ってくれるような安心感があった。


「あいつらどこ行ったんだろ。なんか、寝ぼけてる時に話したとこまでは覚えてんだけどよ」


 口に出して確認してみても、記憶にモヤがかかってわからなかった。

 すっかり苦くなったコーヒーにたっぷりミルクをいれてちびちび飲んで、伝言メモのひとつでも探してみたが、見つからない。

 さてこれからどうしたものか。


 風呂に閉じ込められたあの男の方をチェックする。

 そういえば先ほどから、びたんびたんと跳ねる音がしない。寝ている?

 考えごとを続けていると、控えめなノックが聞こえた。


「……?」


 こん。こん。こーん。

 もう一度。今度はかなり長い間を挟んだノックだ。

 間隔の狂ったリズムが二日酔いのように気持ちが悪くなっている脳を揺らす。


「……頭いってぇ」


 頭が割れるように痛む。ノックが増えるたび強くなる。早く出ろと急かすようだ。

 ネヴ達だったらいつも通り騒がしく「あっはー! 帰りましたよぉー!」とでもいって意気揚々と入ってきそうなものだ。

 警戒して村人を招いて疑われたくない。


「すいません、いま起きたばっかで。見せられるかっこじゃあねえんですよ」


 ととん、とん。

 ノックが早まった。弱いちからで叩かれたようで、そのリズムは張りがあるとはいい難く、よれている。

 仕方がないので寝起きの白いタンクトップのまま表に出た。

 イデは寒いのは平気なのでいつもこの格好で寝るのだ。

 

「……あ?」

「うー…………」


 少年だ。かなり痩せている。

 肌が日の光を知らぬのではというほど青白い。見るからに病弱な子どもだった。

 彼は絶えず体を左右に揺らす。波風におされた船の帆のようだ。

 ふわりとした色素の薄いベージュの髪は動物の赤子の産毛を思わせる。

 彼はだらしなく口をあけ、邪気と知性のない瞳でイデを見上げた。


「誰だよ。見たことねえガキだな。村のどっから来た?」

「…………」

「親父は? お袋は」

「……べ、べ……べる……」


 膝を折って視線を合わせても、少年はあらぬ方向を見ていた。

 しかし家族についてたずねると、ぴくりと睫を震わせる。


「ベル? ……まさかあんた、カミッロか?」


 知り合いの名前にぴんと来る。

 少年からはそれ以上の返事はかえってこなかったが、言われてみれば目のあたりに面影がある。

 そういえばベルの家で彼女の弟を「おばけだ」と揶揄する子ども達もいた。


(なんか知的障害があるのかもしれねえな。だからバカにされてたのか)


 ひとり得心し、次に首をひねる。

 同時に新たな疑問が生まれた。何故そのような少年がどうしてここにいるのだろう。


「なんかあったのか? 姉貴がどうしたんだ」


 あぐらに近い姿勢になって反応を待つ。

 カミッロらしき少年は覗きかえしてくるのみだ。ひたすらに目をそらさない。


(こいつ、瞬きひとつしねえ。ずっとあっちこっち見ていたくせに、こっちが目線を合わせるとガン見して……いや、しかしなんかいってくれんと俺も何もできねえんだが)


 イライラと頭をかく。


「どうなってんだよ」


 いつまで待ったところで、この少年はこれ以上なにもしないだろう。

 目的があってきたのは間違いない。付き添いの人間すらいないあたり、異常事態が起きているのもほぼ確実だ。

 イデは意を決し、少年の脇の下から手をいれて持ち上げる。無抵抗だった。


「くそ。いっとくが俺はコトが終わる最後までガキのおもりしてやるつもりはねえからな。しょうがねえから姉貴ンとこ届けてやっから、ちょっくら待ってろ」


 無言の少年を背負う。

 ひょいと持ち上げた勢いでそのまま投げそうになった。想像以上に軽い。すかすかの骨を抱えているのではないかとぎょっとしてしまった。


「ああくそ、ガキなんかもったことねえからな。手とか足とか折れんなよ、マジで。」


 しっかりと背負い、自重で閉じかけた玄関を大きな足で蹴り開く。

 首筋のあたりに少年の頭がこてんと乗っかった。ふわふわの毛がうなじをすりりとかすめて、くすぐったい。


 しかし。落ち着きで満ちていた家を一歩でたイデは、勇み足をすくませるはめになった。

 その子猫のように軽い命の愛らしさと反対の衝撃が襲ったのだ。


 イデが家を出たちょうどそのとき、壮年の男が若い女性の胸に、作業用の長靴を履いた足を乗せた。

 女は息もできずに必死に口をぱくぱくと動かす。しかし抵抗はなかった。指先ひとつ動かさない。

 呼吸を奪っている男も、いやいやと首を振りながら、一層強く膨らんだ丸い胸を踏む。


 のどかだったヴェルデラッテ村は、見渡す限りイデとカミッロ以外の全員が望まぬ暴力に従事させられていた。

 精細を欠く灰色の世界を、実のつまった果実を握りつぶしたような絶望が彩った。

 あっちにも、こっちにも人間が転がる。


 まだ無事な村人達は、順番待ちをするかのように、ぽつぽつと点在している。

 畑にたてられた案山子にも似ていた。

 村人達の瞳は得たいのしれない恐怖に見開かれている。

 そして急に、糸を引っ張られた操り人形(マリオネット)のようにブンと手足がめちゃくちゃに動く。


 そうして傷つける側か傷つく側になる。周囲に誰もいなければ地面や樹木など手近な道具を使って自らを傷つける。

 「助けて」と叫ぶさまは、毎晩彼らが嗤っていた晒し台(ピロリー)の生贄に瓜二つだ。


 全ての村人が、客席から処刑台に乗せられていた。

 今度のショーには歓声の気配が一切ない。

 これは無機質な目的を達成するための、機械的で強制的な搾取だ。


「な、なんだよ、急にどうなったってんだ! おいアンタ、説明しろよ!」

「た、たすけ、助けて……助けて……」


 とりあえず目の前の壮年の男性を力の限り突き飛ばそうとするが、大木に体当たりしたかのようにびくともしない。

 いくら農業で鍛えているといっても、イデも190センチを超える大柄だ。

 身長が高いと、単純に体に備わる肉の量が多い。

 イデと比べれば壮年男性も小さめだ。そのイデが全力でぶつかってもダメだったのだ。


 人間は通常、本来の能力に制限がかかっているという。自壊を防ぐためにセーブがかかっているのだ。

 今の村人達は本人の限界を超えた力を引き出されているらしい。

 問答無用の異常事態だ。


 イデはすぐに何度タックルしようと無駄だと察してしまった。

 男から離れ、カミッロをおぶりなおす。彼は実に大人しくイデにしがみついていた。今はまだ凶行に侵された様子がない。


「ああくそッ、どうにもならねえ! 悪ィが俺はいく、自力で頑張れ」

「いかないでくれ、頼む、助けてくれ、自業自得なのはわかってる、やりなおしのチャンスをくれ……神は自らを改めるものをお救いくださるはず……」

「馬鹿野郎、戯れ言くっちゃべって祈ったつもりになるだけでどうにかできるモンじゃねえだろ、そんぐらいわかれ!」

 

 イデに男にできることはなかった。

 せめてまだ何か助けてやれるのかもしれないカミッロを、一刻も早く家族のもとか、ネヴのところへ連れて行ってやった方がまだ救いが生まれうる。


 ベルとカミッロの家である菓子店の場所は覚えている。

 後ろから手助けを求める声がおいすがってくるのを振りほどき、イデは走り出す。

 風が妙に熱い。頬を伝う汗が粘ついて不愉快だ。

 汗ばむ背の上で、いやに冷たいカミッロの唇がそわそわと動く。


「お、おに、さん」

「黙ってろ、噛むぞ」

「ああ、うう。おにいさん……ちかい、ほしい、ひと、いる」

「…………」


 何をいっているのかわからない。

 同じように、イデが何かといったところで、カミッロは理解できるのだろうか?

 意地の悪い疑問を覚えたイデを焦りが手伝う。


(頼れるヤツにカミッロを届けるまでは、言わせるまで聞き流しておこう)


 腹に決めたイデをからかうように、カミッロはぶつぶつ呟き続ける。

 その間にも村人達の拷問しあう。

 自傷する機械とした村人たちが林立する真横を通り過ぎるたび、体の真ん中のあたりが痛みをともなって軋む。


「そっち。ちがう」

「…………」


 いや、違う。

 カミッロが村のどこにいるとも知れぬ誰かの場所を知っているはずがあろうか。


(たとい姉貴に指示されて俺のところへ来たのだとしても。こんな騒ぎのなかで移動せずにとどまるか? 第一、殺し合いしてる条件はなんなんだよ。やっぱピロリーか?)

「ねがいごと。ぼく、しらない。あれは、かたづけしてる」

「片付け? あんな、ただただ恐怖をひきだすためだけの暴力が?」

「……ねえ。おに、い、さん。うご、かないで。いいって、いうまで……」

(まあその程度ならいいか)


 何故かイデは、何のつっかかりもなくそう思った。

 言われた通りに足を止める。


「とくべつ。べる、ねえさん。あなた」

「特別? 姉貴はともかく、俺が?」

「ぼくだったものと、ちかいおねがいの人だから」


 カミッロは髪をがりがりとかく。爪をたてた乱暴なひっかきかたに、傷んだ髪がはらりとぬけた。


「ふう。ええっと、何をどう、はなせばいいのかな」


 あまりにも遅すぎる違和感があった。

 心臓が早鐘をうつ。それを咎め、なだめるように、耳からカミッロのまろやかな声が流れ込んでくる。

 麗しきボーイ・ソプラノは霧じみて、きくものの思考を覆う。


「ようやく話せるようになってきた……いきなりごはんを食べさせられたとはいえ、かなりたいらげた(・・・・・)もの」


 イデは頭がカラッポになっていく感覚を味わっていた。

 穴のあいた袋から砂がこぼれるように、目の前のものに意識を向けるちからが抜け落ちていく。

 抵抗をしようという意志も持てずにカラッポ頭(スケアクロウ)と化す感覚に肝が冷える。

 危険だ――そう思ってはいるのに、無責任な安心感に、何も考えない時間にころげおちるのを止められない。


 くふふ、と少年の姿をしたものが声をほころばせた。


「お兄さん。知りたいの? あの人達が今、どうなってるのか」

「…………」

「ごはんだよ。その最後のひとかけらを、今、僕の胃袋に投げ込んでいるところ。君達が無意識の海と呼ぶもの」


 花のような手がうなじをなぞり、顎へのぼる。


「僕達は最初はとても小さいんだ……けれど、同時に僕達は元々『無数の人間の無意識を横断するが如く横たわるもの』であるがゆえに、こちらの世界でもまた、意識と意識を繋ぎ、餌として、大きくなることができる。


 餌さえあれば、僕を認識する人さえ在れば。どこまでもどこまでも、際限なく育つ。

 あのお姉さんが僕達を警戒するのは、そこらしいね。


 こうも自我をかためては怪物性だのは薄れるけれど。僕の場合はそれでいい。姉さんの望みだ、仕方がない。ここまで来るために食ったのだし。これからも食べる」


 イデはそれを理解できない。

 理解という行為のためには、理解しようという意志が必要なのだ。

 動こうと決め、実行するチカラ――それを今、イデは奪われている。直接肌にふれるほど近い距離にいる、儚い形をした何者かに。


「ごはんがね、皿の上に乗ってくるから食べていただけ。あれらの願いの善い悪いなんてどうでもよかった。育って欲しいと願われて、ご飯を用意されたから、食べた。当たり前のことじゃあないか。

あともう少し大きくなったなら、ここも出て次の皿を探しに行くつもり。でもその前に、気になることがある」


 頬を指がつつつと這う。細い指先が耳のあなを探り当てた。


「あなただよ。お兄さん。僕がここに芽生えてから、初めて興味を持ったものだよ。姉さんの次にね」


 恭しさすら感じるゆったりとした動きで、カミッロはイデの両側の側頭部に手のひらを添えた。

 後ろからイデの頭を抱え込む格好になったカミッロは、瞼を薄く開いて瞬きをする。

 蝶のはばたきのようにゆっくり上がり下がりする白い皮膚のしたから、濡れた黄金の瞳がどろりと光った。


「君の願いだけだ。叶った時にどうなるか見てみたくなったのは。だから来た。今このときに。間に合わなくなる前に。さあ……安心して、受け入れて。簡単なことだよ……」


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