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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第十九話「消失しゆく」


 《声》がこの場から離れ、空気が軽くなる。

 急激に呼吸のしやすくなった部屋で、ネヴはすぐさまベッドの毛布をひきはがした。


「……いませんね!」

「えッ、なんですって?!」


 驚愕とともにビクトリアもベッドに飛びつく。

 ネヴの言うとおり、先ほどまで虚ろな少年がいたはずのベッドからは何もなくなっていた。

 布の乱れとへこみだけが、カミッロがつい先ほどまでそこにいた証拠だ。


「参りましたねえ。神出鬼没というやつですか」

「《無意識の海》を通じたテレポート、でしょうか……初めて見た……。今頃、深層意識で繋がっている誰かのところに出現しなおしているかも」

「叔父さんか、姉のベルのところ~、ならこっちも楽なんですが」


 ネヴは頭をカリカリとかく。


「そうもいかなさそうです。怖いですね。楽観だの誘惑ってやつは」

「はい?」

「てっきり村人達に怒りが止まらなかったのは趣味嗜好の問題だ、我ながら問題だと思っていたんですけれど」


 会話が成立していない――ネヴも《声》の強い影響を受けてしまったのか。

 いかんすべきか構えかけたシグマとビクトリアを置いてけぼりに、ネヴはおもむろに窓を開け放ち、身を乗り出した。

 窮屈な服に押し込められた豊かな胸が反って張り出す。


「何やってるの!? 見つかる……!」


 シグマはすぐさま肩をつかんで引き戻そうとする。

 そこではっとした。

 大きな声ではなかったが、高い声はよく響く。

 一階の店は営業中だ。だのに、何の反応もない。

 「今の声は?」と疑う声どころか、物音一つない沈黙が一帯を満たしていた。


 ネヴの隣に割り込み、シグマも窓の外を見渡す。

 侵入してからの経過時間は、せいぜい数十分だ。

 昼間のヴェルデラッテ村では、巣に餌を運ぶアリのように村人達がせわしく手元の仕事をしている――していた。先ほどまでは。


 少し遠くで畑で作業をしていた村人がぴたりと動きを止めていた。

 掴んだままの土が指の先からぼたぼたと落ちている。


 人が乗ったままの運搬用自動車(トラクションエンジン)がシュッシュボッボと蒸気を吹き上げながら直進する。

 目の覚めるような赤色に染められた車体が誰にも止められず直進し、木々の一本に激突した。

 車輪が回り、幹に鋼鉄と火の塊が強引にぶつかり続ける嫌な音がシグマの心を削る。

 このままでは事故が起きる。引火でもすれば大惨事だ。

 

 危機的な状況は一目瞭然だというのに、大人から子どもまで、完全に硬直している。

 アリが、一瞬にしてミニチュアの人形になってしまったようだった。


「……気色の悪い! 一斉に魂が抜かれたみたいだ……!」

「『みたい』ではありませんよ」


 狼狽するシグマの肩をネヴはぽんと叩く。

 不機嫌な口調の底に含んでいるのは期待か、怒りか。


「悪魔に魂を売り渡すとはよくいったものですね」

「え……?」

「シグマさん。彼らは《声》の誘いに自ら乗った。いいですか、何を好ましいと思うか、どう行動するか。そういった意志こそがその人間が何者なのか決めるというものです。

 彼らはその意志を他人に、それも得体の知れない何かに委ねたんです。一時の娯楽のために、自らが何者なのかを捧げてしまったんです」

「まさか……それが、この怪異の……?」

「推測の域を出ませんが。真実を知るためにも本体のもとに辿り着いて確認するしかありません」


 のぼってくるのに使ったロケットパンチのワイヤーをかけ直す。


「ひとつだけいえるのはですね、これは嵐の前の静けさってことですよ。私達はたった今捕捉され、警戒されたのですから。しかけてくるのはこれからです」


 ふわりとスカートをまいあげ、ネヴは窓から降りていく。

 今度は目撃もなにも気にしないくだりかただ。やはり見とがめるものはない。

 まばたきひとつせず直立する村人達は、看板のようにつったったままだ。


 壁にたてかけておいた鉛入りの傘をとり、ぶんぶんと振る。

 そこで新たな異変が起きた。

 入念にふりごこちを確かめるネヴに一番近い位置にいた村人の肩がびくと跳ねる。


 その両目がぎこちなく少女達のほうをむく。

 視線がかちあっていた時はシンメトリーだった黒目が次第にてんでバラバラにぎょろつき出した。

 獣の如きうなり声をあげだすそれに、ネヴはホームランを打ち込むように傘を打ち込む。


 真白い骨が肉から飛び出る。

 焦点の合わない目になった村人は動かない腕を無理に地面につけ、四つん這いで転がる。

 よだれの垂れた口元からは「痛い、痛い」と悲鳴がこぼれている。


「ああ、自我は残されてるのか。可哀想に」


 熱のこもらない哀れみをくちにする。


「前に元貧乏だっていう同僚が節約テクとして教えてくれたんですが。一度食べた野菜とかでも、根とか一部を残して水につけておくと、成長してもうしばらくは食べられるそうですね。今もあなたたちってそれなんだろうなあ」


村人が骨で土をかき、血の涙を落として突進する。しきりに「嫌だ嫌だ」とわめいて。そこに二撃目を加え、はあ、と天を仰ぐ。


「あ~……イデさん、無事でしょうか。あの若者は閉じ込めてあるとはいえ、心配です。ひとりで私のとこまで来れるかなあ?」


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