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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第十六話「呪いの喜び」


「やべえもん見ちまったな」


 双眼鏡をおろし、イデは隣に声をかける。

 返事はない。


 村人達の狂騒を見終えてから既に二分が経つ。

 すぐそばにいるはずのネヴは不気味な沈黙を保っていた。


 その二分が恐ろしく長い。

 なぜなら、間を開けては急に思い出したかのように

 ぎり。ぎりり。

 と、にこごったどす黒い憎しみをすりつぶすような歯ぎしりが響いてくるからだ。

 たっぷりと待ってようやく発せられた第一声は「あークソ。クソですねえ」だった。


「ああもうクソ! マジでクソ! 何がクソかということすらもクソだと感じるほどにほとばしるこの感情、ふぁっきゅー! クソ! クソクソクソ! 殺意を覚える以前に存在の認知すら許せないレベルでクソ、記憶消したいですクッソ! それ以外のコメントが必要なんですか? あの、脳みそ空っぽにしていても平気ですって顔した木偶人形に対してそれ以上の文字数がいるの? 変なもん見せやがってッ夢にでたらどうしてくれるのですゥッ!? 超絶ベリベリデスファッキュゥ! 牧場の隅に埋めて肥やしにしてやろうか永遠に明日の夜を迎えられないようにさ!」

「落ち着け。自分がお嬢様だということを思い出せ」


 せきをきったようにまくし立てるネヴを小声で叱咤する。

 アルフがいれば間髪入れずしつけているところだ。


 村人達が去って行くほうからは用心深く注視しつづける。

 基本的に上部から見下ろす側の方が、見つけるのに適しているからだ。

 イデ達が隠れるのは難しく、見つけるのは容易い。


 その点、村人達が祭りの余韻に興奮さめやらぬ様子で油断しきってくれていてよかった。

 たとえ誰かが気づいて近寄ってきてもネヴがなんとかするだろうが……。

 憮然とした、物欲しげな半眼で村人を睨む娘の頭に無遠慮に肘を乗せる。


「あ、やめてください。それ。今まででトップクラスに身長差のエグみを感じるので。ほんとやめて」

「だったらよぉ、おちびちゃん。キレるな。いかにもあんたには気に入らない光景ではあったっつってもよ」


 ネヴの腕がイデの肘を持ち上げようとグイグイとあがく。


「無茶いわないでくださいよぅ。人間、不完全なんです。私が怒るぶんイデさんが冷静になったりとかできません?」

「無茶いってんのはどっちだよ」

「頼りにしてるんですよ。それにしても、ううん、隠蔽の魔術はシグマさんの方がうまいんですよねえ……今は諦めるか」


 不穏なことを独りごちる。

 半眼になったまなこに、もう立ち去った村人がまだ移っている気がする。


「いくらなんでも一般人に対して。褒められたことじゃねえが……怪異の影響を受けてるんだろ」

「何をいってるんですかイデさん」


 村人を庇うイデを、ネヴは信じられないものを見る目で見上げる。


「人を呪って喜ぶような人間が善良な一般人のはずがないでしょ」


 ネヴは手をピストルの形にし、己のこめかみにグリグリと当てた。

 死刑執行人のように、村人は無罪の羊ではないとばっさり切り捨てる。


「この魔眼()()て確信しました。

 怪異の《声》には誘いをかける作用はあっても、強制力はありません。あれは村人自身が強く拒否すれば避けられた出来事です」

「……そりゃあ……つまり」

「誘われた、というのと、そうしよう、と決めることは全く別の話だと言っているのです。

 善意の皮をかぶせて偽装しようが、悪が人間の本質だとかシャに構えようが、ヒトなんてみんな最初はフワフワしてるもんです。善悪なんかありゃしない。『あ、これやーろうっと』って決めたのは個人なんですよ。

 そこから意志や望みとか、『私はこれこういうんもんだ』っていう『重み』をもって揺るぎないただひとりの個人になってくんです。その『重み』ってやつを捨てたものなんか、生まれた時のまんまのフワフワマンです、ヒトのカタチしてるだけの肉です」

「つまりあの住人たちは?」

「ただの家畜ですな!」


 手元に常に置いている傘をとって「これじゃあやっぱダメだな」とクルクル回す。


「ま、これはイデさんの要望抜きにしても、とっとと『飼い主』をひきずりださないと……私の精神が削れます……早く家かえってアルフのいれたコーヒー飲んでクッションに包まれて寝なきゃ」


 イデもまったく同意見だった。

 このままではネヴの殺意が飽和する。


「作戦会議は必要か?」

「いいえ? 人であれば対話が成り。獣であれば死力を尽くしてあがく。けれど家畜は棒立ちで喰われる」


 ネヴはひー、ふー、みぃ、ついでによん、と指折り数えだした。

 ネヴ。イデ。シグマ。一応ビクトリア。戦力の人数だ。


「『飼い主』が出てくるまで大事な家畜を追い回してやりましょう。どうせ呼吸してようがやめようが変わらない奴らなんだから」

「わかった。必要だな。正体がまるで見えない以上、ビクトリアが頼りになるか」

「あの……絶対ロボロリメイドより私の提案のほうがベターだと思うのに……」

「いいから家に戻るぞ」

「村人まきこまない方法、探すつもりなんです? あの人達が自分の都合のいいことしかきかず暴走したらどうするんですか? ねーねー」


 ぶつくさ文句を言うネヴの首根っこを掴んで引きずる。

 完全に脱力しているのか若干重かった。

 筋肉がつきづらいとか言っていたが、見目より重い体重はそれなりの鍛錬を感じさせた。


「別に、もっと女の子らしくしたっていい」

「なんだよ。誰もそんなこといってねえだろ」

「……はい? え、なんです、やっぱり物理的コミュニケーションが全てを解決するってわかってくれたんですか?」


 違和感を覚えて振り向けば、きらきらしたネヴの笑顔と視線が合った。


「あ?」

「イデさんが言ったんでしょ。『そんなこといってない』って」


 微妙に会話が成立していない気がする。

 イデは頭をかきながら「いや、俺の聞き間違いだったわ」と謝った。

 ネヴが「女の子らしくしたい」なんていうはずがなかった。

 ネヴが戯れ言ばかりいうので、イデの耳がうまく作動しなかったのだろう。


(なんか疲れた。肩こり酷ぇ)


 まだ若いはずなのにネヴといるとこうなる。

 抗議の意もこめ、イデは再びネヴの頭に肘を乗せた。



 明け方が近づき、室内にきんと冷えた陽光が入り込む。

 シグマは睡魔を押し殺しながら、ケトルを火にかけた。


 ネヴはやたらミルク入りのカフェインを摂取したがるが、シグマは違う。

 アッサムのミルクティーこそ至高だ。

 かぐわしい香りが甘く胸を満たす時間をティータイムと呼ぶべきだ。

 ティータイムとはリラックスのことなのだから。

 隣の惨状を他人ごとのように見やり、シグマは満を持して紅茶を煎れる。


「いいから追い回すのですッ! ベテランの牧羊犬のように素早く強く絶え間なくッ!」

「お黙り脳筋ッ! 間違いなく『発生源』はいるんだから、時間をかけてでも一人一人あたって探していく方が着実で安全でしょうがッ!」

「その間に本当に気弱で善良な人間が犠牲になったらどうするんですか? ええ? コラテラルダメージとかいいませんよね?」


 熱々のミルクティーをふうふう冷まし、ぎゃんぎゃん吠えまくる二人を冷たく眺める。


「ろくに寝ていないはずなのに元気だね」

「……俺はもう寝たい」


 二人の間に挟まれているイデは酷く眠たそうに頭を抱えていた。


「いいんじゃない。好きなだけ口論させて、熱が落ちてきた頃に起こしにいくから」

「助かる」


 シグマの提案にイデは短く頷き、寝室に向かう。


「よほど疲れてたのね」


 イデが立ち上がったところでネヴとビクトリアは構わず口論を続けている。

 お互いヒートアップしやすいたちのようだ。しばらくは収まるまい。

 いつもならベエタが冗談など挟んで場を和ませていたものだが、イデやシグマにその役目を期待するのは難しい。


 ベッドから、ネヴの拷問を受けた男はどかしてある。イデも深く休めるはずだ。

 男は今、猿ぐつわをして、シャワールームのバスにつっこんでいた。


 シグマが手ずから水や食料を与え、傷の手当てをしてやったら、いつの間にかほだされたようだ。

 シグマに対しては親しい人物を見るような表情を浮かべる。


 シグマ本人からすればどうとも思わない。

 「そういえばアルフさんが『口を割らない相手と仲良くなろうと思ったら、殴ってからハグを繰り返して、友達にこんなことさせないでくれって頼み続けるのが早いよ』とかいってたな」と思うだけだ。


 二人の話は今後の動きについてである。主張は平行線で、譲る様子がない。

 ネヴは自分達から騒ぎを起こし、『怪異』を引きずり出して速攻で決着をつけるべきだという。

 対し、ビクトリアは元々、この村に潜入した時点で考えがあったようである。

 急に怪異が始まったということは自然現象ではなく、個人から発した原因がいるはずだから、一人ずつ安全に探っていこうと計画していたようだ。


(わたしはネヴちゃんの側に賛成だわ。仕事は早いほうがいい。でもビクトリアの言うとおり、乱暴すぎるのも確か)


 わかっている怪異の能力は「人をたぶらかすこと」。

 だがそれ自体は強制ではない。

 そしてそれを行う怪異の目的――あるいは性質――がわからない。

 

(アルフさんならビクトリアに賛成かも。でも、もしも……もしもこれが時間の経過(・・・・・)によって、より強大な効果を発揮するタイプだったとしたら? 様子見しているうちに手遅れになるっていうのが一番怖い)


 効果が見えないのではなく、今が準備期間だというだけだったとしたら。

 シグマはそれを警戒していた。


 こちらの最大戦力はネヴだ。

 彼女が攻撃に長け、防御に欠ける『先手必勝』型であるからには、そちらに合わせたい。

 ビクトリアも内情を明かさないままであれど、逃走せずに協力の姿勢を見せているからには、ひとりでは太刀打ちするには凶悪な相手である可能性を考えているのだ。


 成長してからでもこのメンバーなら倒せる、と思っているだけで。

 シグマは顎を撫で、思案する。


「……議論、っていうのは、無理にシロクロつけることはないですよね。それぞれの一番重要視すること両方が通れば、一番いい」


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