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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第十三話「家畜の写し」

 ネヴとイデは、昼間子ども達と遊んでいた小高い丘に来ていた。

 オリーブを名産とする丘は穏やかな波の隆起の如くなだらかで、冬だというのに野原は青い。

 ともすればどこまでも続くかのように思える地上の海を、ネヴは底の厚い編み上げブーツで駆け上がっていく。


「ああ、確かにここからならなんとか見えますねえ」


 丘をひといきにのぼったネヴは、こんもりと闇が固まった木陰のしたでのびをした。

 小さな背中がつま先立ちをして、繋げた両手を頭上にかかげるさまは餌をたっぷりもらった犬を思わせる。

 昼なら牧歌的だが夜には怪しい。

 歩幅の大きいイデはネヴのように走る必要もなく、徒歩で追いついてやれやれと嘆息する。


「騒ぐなよ、ホント」

「まあまあ。こういうのは堂々としているほうがいいんですって」


 手招きをしてネヴは白手袋をはめた手で丘の下方を指す。

 昼間座っていたのと反対方面だ。そこから家畜小屋の屋根が見下ろせた。


「ここであたりをつけて、よさそうな道を見つけてコソコソ近づくんですよっと……ん? あら?」


 急にネヴは高い声をあげる。

「こんなところにこんなものがあったんですねえ」そういって座り込んだのは看板上の手錠めいた台だった。

 昼間はまだ距離感のイザコザで混乱して、まともに観察できず見落としていたらしい。


「なんだこれ」

さらし台(ピロリー)です。ほら、ここ、蝶番があるでしょう。この穴に顔や手足を差し込んで罪人を捕獲するんですよ。普通は監視として衆目にさらし続けるため、人通りの多いところに置くのですが」

「昔は広場に使われてたってことじゃねえの。かなり古いみたいだし。腐ってるところがある」

「そうなんですかねえ」


 ネヴは一度しゃがんで、ピロリーの前に飾られていたものをそっとつまむ。

 百合だ。風に吹かれて位置がずれていたのを丁寧に直す。

 まだ水分をたっぷり含み、若い女の肌のように瑞々しい花弁が大きく揺れた。

 そういえば村じゅうにある可愛い小さな木(オリーブ)の周りで生えているのをみた気がする。これは野生の花だろう。


(百合って『救世』って意味があったよな、確か) 


他には百合の模様をいれたバッグを成人の祝いとして渡す文化もある。

 罪人の罪を清めようという善意ともとれたが、イデは咄嗟に「趣味が悪いな」と思ってしまう。


 さっさと花を直したネヴは、イデの説明に「ふーん」と興味をなくしたようにした。

目的を忘れているわけではなく、バックから双眼鏡を取り出し小屋を見張り始める。

 小屋に注目したのを見て、隙をぬうようにイデもこっそりピロリーを一瞥した。


(あー、確かに古いんだが……蝶番が新品(・・・・・)だな。いった方がいいのか?)


 明らかに何十年も使われていなかったものが急に手入れされた痕跡がある。

 穏やかではない。

 数瞬考え、イデは黙ったままでいることにした。


(いまはあくまで『家畜小屋』と『閉じ込められた人間』を探しに来たんだ。緊急性はなさそうだし、気を散らせるべきじゃねえはずだ)

 

 あとでシグマと合流したときにでも改めて伝えればいい。

 アルフがいればこの判断でいいのか確認ができたのに、と思ってしまう自分が情けない。


 一方、ネヴはぴょこぴょことあちこち移動してレンズを覗き込んでいる。

やがてピロリーの前でイデを手招きした。


「イデさんイデさん。ここがベストポジションです!」

「なかに誰かいるか?」

「いますよー。イデさんこっち来てー、ここ座ってー」


 そういってイデにピロリーの前に座るよう強要する。

 言い表しがたい気持ち悪さを覚えたばかりだ。正直遠慮したかった。

しかしネヴの黒い瞳が、レンズ越しに「なんで座らないの?」と訴えかけてくる。


 渋々あぐらをかく。

 するとネヴは当然のように、あぐらにすぽっと収まるように座ってきた。

 つむじがちょうど顎の下をくすぐってむずがゆい。

 ミルクに似た香りが鼻孔を撫で、イデは急に接近してきた彼女の距離感に二度目の溜息をついた。


「距離が近いの、恥ずかしいんじゃなかったのかよ……」

「えっ!? わかってたんですか、ねえ!? イデさんさっき煤で汚れたら困るからって言ってたじゃないですか!」


 目をひんむいて問い詰めるネヴだが空を見上げて目を合わさない。


「違います、そういうんじゃないですから。必・要・性! ですから!」

「へー。ふーん」

「もーっ! こんな時にからかわないでください! おんなじ位置から見るためですからね! はい双眼鏡!」


 きぃきぃと鳴き、ネヴは顎の下から双眼鏡を押しつける。

 ずしりと重い双眼鏡を両目にあてると、予想外に視界がクリアになった。


 八角形に縁取りされた視界で、直線的な白い光がぶつかり合ってちかちかと砕ける。

 ぶつかりあった輝きは白のなかで更に七色に分散した。

 相当高い屈折率、ブライトネス。イデの首筋に冷たい汗がつたう。


 流石に暗視スコープではないとわかった。

 何かしらオカルティックなズルかオーバーテクノロジーが施された道具なのだろう。

 見え方がほとんど日中と変わらない。


「いくらすんだ、こんなもの」

「うーん、出回ってないので一概にはいえませんが、うちの開発部がつくった道具のなかでは中くらいの値段ですかねえ。そこまで高くないですよ。せいぜい一カラットあるかどうかでは?」


 何気ない言葉はイデの推察が的中していたという答えだった。

 間違いない。この光の正体はダイヤモンドだ。


「あんたの金銭感覚どうなってんだよ」

「ええー。すみません。自分じゃ買い物したことがないのでなんとも……間違ってるかもしれません。買い物はアルフの仕事なので。あとできいてみましょうか」


 使い慣れない道具にくらくらする。

 値段は勿論、真夜中に真昼の光景を見るのに体がついていかないのだ。

 それでもなんとかネヴの指示を受け、五分ほどかけて室内の様子を把握することができた。


「人は……二人か?」


 中年にさしかかった男と、そろそろさしかかるかという若者。

 ネヴは首を振る。


「いえ。もう少し。でも注意すべきはその二人でいいでしょう。どうせ警戒していたのはビクトリアさんですので。見えなかったのならそれはそれで構わないですし」


 含みのある言い方だ。

 いつもなら突っ込んで効いておくところだ。

 しかし今回は無言で頷く。お互い様だ。先ほどイデ自身も言わずに済ませたことがある。


「とにかく二人ならなんとかなります。行きましょう。私が先行します、後ろは任せますので。ああ、家屋内の配置、しっかり覚えて下さいね。ことがスムーズになります」

 

 侵入先を確認するなり、ネヴはすぱすぱと指示をたたきつけた。

 イデの顎に頭頂を押しつけて立ち上がり、膝をはらった彼女が顔をあげた時、そこに緩みきってリラックスした少女はいなかった。


 白い衣服を着て目立つはずの存在感が酷く軽い。昨日までついていた街灯が今日もついていたところでほとんどの人々がきにしないように。

 黙って坂を下りるネヴから足音が聞こえないことに今更ながらぞっとしない。

 どんなに幼い顔を見せても、ネヴはイデよりも遙かに暗い夜を歩いてきた人間なのだと思い知る。


 イデにカーバイトランプを預け、直進する。

 ネヴはそうして誰にも見とがめられず家畜小屋の前にたった。



(どうする気だ? こっそり入り込むのか?)


 遠方から見守っていると、なんとネヴは控えめにドアをノックしたではないか。

 当然、扉から二人いた男の片割れが出てくる。

 と同時、ネヴの白手袋をはめた掌底が男の顎を打ち抜く。

 男が唇を開くよりも早く。声もなく倒れた男をネヴは小さなからだをのけ反らせつつ受け止め、玄関前に優しく座らせた。


 気絶である。

 ネヴは男の衣服を適当に乱す。そして懐から鈍く光るスキットルを取り出し、男の頭に酒を振りかけた。


 もう大丈夫だと判断しイデも近づけば、男からぷんと酒の匂いが漂ってきて渋面を作る。

 成程、これは立派に酔い潰れたロクデナシの完成だ。


 そうする間にも、ネヴは玄関扉ごしに内部を探る。

 ネヴは瞳でイデへ「近くに敵影はない」と教え、鉛の傘を携えたまま早足に内部へ侵入した。


 小屋のなかには数頭の牛がいた。白目のない瞳は真っ黒に湿っている。

 それらがわずかに顎をあげてネヴ達を見、短い鳴き声をあげた。

 ネヴ達が落ち着いているからか、あるいは彼女がわずかに放つ物騒さに怯えたか、その声は警戒をうながすにはほど遠い。


 家畜小屋にいる動物の見目は一体一体が異なっていた。

 しかしそのなかに二、三体、毛の色からマダラの位置・形まで全く同じ姿のものを見つけ、イデの意識はそれる。


(今時、クローンより天然のほうが多いだなんて珍しいな。田舎の恩恵か)


 普通に考えれば、孤立した国で最大の問題となるのは食料である。

 貧しい食事は肉体からちからを奪う。ちからを失った肉体には荒んだ心が宿る。

 それを解決したのが《食の変態達》と呼ばれる謎のサロンだ。

 彼らは瞬く間に栽培技術を確立させ、次々と品種改良を行った。

 品質のいい肉を生産するためのクローン技術も彼らの成果の一つだった。


 もし《食の変態達》がいなければ、下層民はもっと鬱屈したこの世の地獄そのものになっていただろう。

 大学などという夢すら見れなかったに違いない。

 下層民という出身に人生を縛られてきたイデにとって、喜ばしいはずの彼らの存在は、さながら耐えられる限界ギリギリの環境に調整しているような被害妄想をしてしまう。

 善くも悪くもそれぐらい不明点が多い団体なのだ。


 こんな田舎でも発見した彼らの功績に意識をやっていたイデを、ネヴが腕を横に突き出して静止する。

 ネヴは半顔が見える程度に振り向く。声もなく「待ってて下さい」と呟き、傘を握り直す。

 一人で家畜小屋の奥へ進むネヴ。すぐに鉄棒が肉を殴打する鈍い音、うめき声、床に敷かれた藁に重いものが倒れ込む音が連続して響いた。


「よろしい。全て順調です。イデさん、終わりましたから、その人を拘束して下さい。すぐ解放するので、両手の親指同士をこの糸で結ぶだけでいいですよ」

「はいはい。これ俺いんのか?」

「いりますよ。いじけないで下さい」


 言われたとおりに、やや太めの頑丈そうな糸で男の手を拘束する。

 念のため頭部と首筋に触れた。きちんと温かい。どくどくと脈打つものもあるが。

 じとりとネヴを横目で睨む。


「だ、大丈夫ですよ。そこらへんにある酒瓶をここで割って、それを玄関に置いてきた人に持たせれば問題ないですって」

「あんたってさあ、下手すると俺よりよっぽどヤンキーだよな」

「やあ、私なんかとても。おとなしい部類のつもりですよ。そんなことより家捜し家捜し。ここぞイデさんの恵体の活かしどころ」

 

 言うとネヴは藁をどかしたり壁を叩いたり、手当たり次第に探し出した。

 荒れたぶんは酔っ払いの喧嘩として演出するつもりだ。遠慮がない。


「ああ、配置覚えろってそーゆうことかよ」


 イデのほうは双眼鏡でのぞいた記憶を頼りに、「ありそう」な場所を狙って探す。

 すると十分ほどしたところで、不自然におかれた小さな丸テーブルをひっくりかえしていたイデの指に床板がひっかかった。


「ネヴ、こっち来い! 外れそうだ」


 浮いた隙間に爪をひっかけ、乾いた太い指をつっこむ。

 驚くほどあっさり床板は剥がれた。あちこちはげた床板の厚さは一センチもない。隣り合っていた床板も同じようにして外していけば、深く掘られた空間がぽっかりと口を開けた。


「まるで塹壕ですね」


 後ろからやってきたネヴはぽつりという。


「こっから何かでてきたらどうするよ? バケモノとか」

「やだなー。いませんよ、そんなもの。見ればわかります」


 今度のからかいには動揺せず、どころかネヴはぴょんと床下に飛び込む。


「いるのは人間だけですよ」


 頭上にいるイデからカーバイトランプを受け取り、ネヴはエレベーターガールのように手のひらで床下の先を示す。

 イデも頭だけ突っ込んでそちらを見た。

 むき出しの土特有の香りがむせかえる。重く、生命力があり、かび臭い。

 胸いっぱいに広がった匂いに辟易しながら見えた光景に、イデは絶句する。


 そこにあったのは150センチ程度の木箱。

 そしてその周りに、傷だらけの肉体達が無造作に捨てられていた。


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