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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第九話「ペンを握って」

嬉しいことがあって急いで更新しました、しかし急展開なのもわかっているので後ほど(思いつき次第)修正します


 息苦しい。

 イデは布団の上から椅子で押さえつけられたような圧迫感で目覚めた。

 いつもと違う睡眠時間のせいか、いつも以上にからだがだるく感じる。


「あれ、起きました? 起こそうとしたんですが」


 いやいやまぶたを開ければ、つやつやとした真っ黒な瞳と目が合った。

 冬らしいもこもこの白い寝間着でイデの腰にまたがり、残念そうに手袋をはめ直す。白手袋ではない、何故か青いゴム手袋だ。


「夜這いか?」


 にっこり無言で微笑まれる。強気な対応をしても根がうぶなのは割れている。少しだけ頬が赤い。勝った気分でにやつくとと同時に腹をつねられた。


「そういう寝ぼけはNGです。とにかくこっち来て下さい」


 ネヴは早く早くと急かしてイデを引っ張っていく。

 その後ろ髪はふわりとして柔らかなシャンプーの匂いがした。

 

「そんな急かさなくても朝飯は逃げねえよ」

「わ、私が食べ物のことしか考えてないと思ったら大間違いですからね、ちーがーいーまーすー! いいからお風呂入るッ」

「……は? 風呂?」


 別にイデには朝シャンの習慣はない。

 断る暇もなく、ネヴは突如として信じられないちからでイデを風呂場へ押し込んだ。

 正確には絶妙なタイミングと箇所に打撃を与え、イデのバランスを崩して突き動かせたのだが、いつやられても魔法を使われたような心地になる。


 とにかくイデは狭いシャワーだけの風呂場にたたき込まれ、次の瞬間、頭から冷水を浴びせられた。

 イデは久しぶりに、自らに流れる北の血に感謝した。

 寒さに強い体質がありがたかったのは、石炭なしで冬の終わりを越させられた少年時代以来だ。


 桶にためた水をイデにひっかけた張本人、シグマはしれっとした顔で二つ目の桶に手をかける。


「暴れないでよね……ちょっとした『予防』よ」

「むしろ風邪ひくわッ!」

「ウソおっしゃいよ、アルフさんにあれだけしごかれてもギリギリついてこられるような馬鹿げた体力してるくせに」


 その間にネヴはキッチンへ移動したらしい。

 そちらのほうから言の葉を紡ぐ声が聞こえる。

 話すのではなく紡ぐとしかいいようのない朗々とした読み上げだ。しかし壁を抜けて明瞭に響く声音は、水底に落ちていく石のごとく深い。


「掛けまくも(かしこ)き伊邪那岐大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御祓祓え給えし時に生り坐せる祓戸の大神等諸々の禍事、罪穢有らむをば祓え給い清め給えと(もう)す事を聞食せと恐み恐みも白す」


 本能的な畏れを呼び起こす言葉は祈りの一種であるようだった。

 場所が場所なら神秘的なBGMだったのだろうが、状況が状況だけに不気味だ。


「別にこの程度のお清め、すぐに終わる……こっちだってさっさと終わらせたいの、こんな作業、最悪の気分よ」


 そういってシグマは二つ目の桶を空けた。

 拷問に耐えきったイデが普段着に着替えキッチンに向かうと、ネヴが東洋の神棚めいた何かを畳んでしまっているところだった。

 全身を洗われた猫の顔で憮然と立ち尽くすイデをネヴは笑顔で出迎える。


「今の、母に習ったんです。素人の祈りとはいえないよりマシです。それこそ天に成果を願うとしましょう。これは簡易版で上位版もあるんですが、長いんですよねぇ」

「お清めの一環ね。ハイハイ。どうせ俺はなされるままだよ」

「ごめんなさいですってば。とにかくこれで一端影響をリセットして、影響も受けにくくなっているはずです。昨日、変な夢とか見ませんでした?」

「え」

「『浮かれ』ですよ。この村にいると気が緩むんですよ、誰であろうと、自動的に」


 「今夜はよく眠れるはずですよ」とのたまうネヴに、イデはたっぷり数秒間あたまが真っ白になって何をいえばいいかわからなかった。

 知らぬうちに、既にイデも怪異の影響を受けていたのだ。

 あらかじめ異常な存在の関わる事件だとはきいていたのに、疑いすらしなかった。

 

「そんな、自覚もできないものをどう相手取るんだよ」

「ですから予防を徹底。あとはまじないで対抗する間に正体を推察し、対策を立てるのです」


 昨晩相談しあった作戦を三度(みたび)くりかえすネヴは落ち着きはらっている。

 こんな事態に慣れてしまっている人間の態度だ。


 無意識に誰にも踏み込まれるはずがないと思っていた内面を侵略されていたことに、イデの顔色が悪くなっていたらしい。


「大丈夫ですよ」


 ネヴはイデに湯気のたった珈琲をさしだして笑顔を浮かべる。

 子ども達と泥遊びしているときと何ら変わらない顔だった。


「私に考えがあります。今日は二人で仲良く村を歩きましょう。それで『結果は出る』と思うんです」

「どんな?」

「明日の朝にはお見せしますわ。そうそう、昨日はイデさんが遅番だったのだから、今日の深夜は私が起きていますので。よろしいですね」


「楽しかったですが、もうそろそろ動く頃合いです。もう私達、十分見られたはずだもの」


** *


 その昼。

 村を歩く若い夫婦を遠くから見る若い男がいた。

 虐げられる異邦の民に生まれながら、先祖代々国に生まれた人間よりずっと多くの富と恵みをもつ二人を。


 やがて夜がやってくる。


** *


 ヴェルデラッテ村の雲は薄い。

 都市に比べて蒸気機関が少ないから、比較的美しい空が近いところにあるのだという。

 ゆえにここは月光が届く。

 黄金よりも甘い色をした光がうっすらと地上に影をつくる。


 きっと濃紺の空には大きな満月が浮かんでいたはずだ。

 かつて神の瞳を想起させたそれを避けるようにして、ある家に向かう若い男がいた。


 その家は男の家ではない。

 人に貸し出すために改築された民家で、今は二人の若い夫婦が借りの宿としていた。

 その宿に、男は奇妙な確信と高揚をもって近づいていく。


――声。全ては声のせいだ。


 そう言い訳して、罪悪感も不安も思考のそとに投げ捨て、前向きな未来だけに胸を膨らませて。

 

 ヴェルデラッテ村では、穏やかな夜風に乗って『お告げ』がやってくる。

 『お告げ』は不思議な響きをした()で、いつでもおかまいなしに、来るときに来る。

 他の誰も、その声がどこからやってきたかわからない。そも音だと思わない。

 ()は鼓膜を揺らさず、脳に届く。

 いつ来たかもわからぬうちに、いつの間にか脳みそのどこかへ『お告げ』があったという記憶を残して去っていくのだ。


 しがない村人であるはずの男が、こうして二日連続で他人の家を覗いているのも『お告げ』のためであった。


(はて。この()はいつから始まったのだっけ)


 よくわからなかった。男はまあいいかと首を振る。

 理由はわからない。根拠は知らない。

 だが、この声に従っていれば幸福がやってくる――『お告げ』はそういう言葉なんだから。みんなだってそう思っているんだから、間違いない。


 自分の行動に迷いを抱いた男を勇気づけるように、声の記憶が蘇ってくる。

 男とも女ともつかない声。冷たい手で背筋を撫でるような、おぞけといやらしさを孕んだ言葉が、男を不明瞭だが心地のいい感覚を注いでくれる。


 最初に()の言葉に囁かれてから、男はずっと一つの誘惑にとらわれていた。


(もっとこの声を聞きたい。満たされるまで語りかけて欲しい)


 そして男の気分をよくしてくれる()は、『お告げ』で言外にその方法を教えてくれる。


――言うことをきけばきくほど、心に届く言葉は増える――


 声が聞きたい。だから男は、あの鉄道会社から来たとかいう若夫婦の家を覗いている。

 声は言っていた。


 夫婦揃って異邦人混じり。本当なら下層の連中じゃないか。

 それが自分たちよりずっといい暮らしをして偉ぶっている。

 いいとこのお嬢さんだという黒髪の妻も、母親が純血の男にうまく取り入ったおかげで地位を得たのだろう。

 どうせどちらの母親も春を売っていたのに違いない。

 本当なら自分より貧しいところを、卑しいまねをして不当に恵みを横取りしている。

 だったら、不当なぶんだけ、男があの幼妻をつまみ食いしても何の問題もない。

 初めて(・・・)だってとうに済ませて、愛を好いた男に捧げた幸せがあるならば、女に減るものなど何もないはずだ。


 その誘惑の声が本当はどこからやってきたのか考えもせず、もっとよく見ようと窓に近づく。

 一切のあかりは消えていて、音ひとつしない。

 昨晩は何故か二人とも遅くまで起きていて、夫妻が気づく前に帰るしかなかったが、今日はうまくいきそうだ。


(あの大柄な夫がいなければ窓から乗り込んで、あのおちびちゃんを……)


 げひた希望に唇が歪んだとき。

 窓の向こうからのぞき返してくる目を感じた。


「え?」


 近い。

 窓につけられた手のひらが見える。

 彼女は天使のような微笑みを浮かべて、窓を開けた。


「こんばんは。いいときに来ましたね。あの人は安全なところにいて、私もとても頭がすっきりしているの」


 混乱のうちに、男は窓のなかへとひきずりこまれていた。

 信じられないほどあっさりと。

 あまりの勢いに男の足が窓を打ち、ガラスを割る。大きな音と痛みが男の鼓膜と神経を襲った。

 内側から突き破られたガラスが弱々しい天の光をうつして極小の七色に輝いたのが、男の最後の視覚的な記憶となった。


 漆をぶちまけたような闇のなかから、白い影が飛び出してくる――そう認識した時には、もう男の両目に細く長い棒状の先端が突き刺さる。

 次いで浮遊感、冷たい床にぞんざいにおとされる衝撃。

 両目を押さえてうずくまる男の腹部に、かたいものがあたった。ぬくもりのある材質で出来た丸い先端――丈夫なブーツのつまさきだ。


「貴方、昨晩も覗いてましたね。気づいてましたよ。何もしてこないんでお夜食たべてましたけれど。美味でした」


 視界が血の色に染まる男の頭上に、少女の声が振る。

 穏やかな声音だった。すぐに、あの黒髪の『幼妻』が浮かぶ。

 ネヴとかいう幼妻が男の腹を蹴りとばす。

 軽くボールを小突くような軽い蹴りなのに、不思議と男は逆らえない。

 なすすべもなく仰向けにされた。


「まあまあ。服従を示す犬のよう。正直軽蔑してしまう。ああ、勘違いなさらないで。格好でなく内面のことです」

「助けて……話せばわかる、」

「あら、うふふ」


 声だけは明るく接してくる女の動作はカケラも容赦がない。

 その矛盾にはあまったるいオブラートで怒りを包み込んだような気持ち悪さがある。


「一応おたずねしますが、貴方。貴方が私にしたいと思ったこと、私が嫌だと思っても無視して強行するつもりだったでしょう? 私と会話をするつもりのなかったかたと、どうしてお話しないといけないのかしら」

「違うんだ、これは声が」

「やろうと決めたのは貴方ですよ。もう、仕方のない殿方ね」


 その細指でどうやったのか。

 ネヴは赤子の首をひねるように、男の喉を潰した。


「貴方が大きな声をだして、人がきたら困るでしょう?」


 ようやく男は察する。

 この女には『やりとり』をするつもりなど、最初からなかったのだ。

 男に気づいていて、昨日からずっと利用するつもりでいて、わざとずっと楽しそうに日中出歩いてみせたのだ。

 嫉妬をあおり、自らを見下せさせて、誘い込んで――情報源にするつもりだった。


 彼女は「やろうと決めたのは貴方だ」といった。

 全てを知ってはいなくとも、男を誘惑する何かがあることには気づいている。それを確かめようとしている。


 女は無理矢理男の手を開かせた。

 いいなりになるまいと抵抗しようとしたが無駄だった。

 ちからをいれているはずなのに、あっさりと握りこぶしを開かれてしまう。

 そうして女に細く硬いものを握らせられる。


「はい、どうぞ」

「……な、なにを?」


 男の声は完全にうわずってひっくり返っていた。

 問題が解けなくて泣く子どもの気分だった。

 女はもう片方の指を一本摘まみながら、丁寧に説明する。


「層によって勉学の機会が制限されすぎると結果的に衰退するという名目で、教育は受けているはずです。

 機会と手段を与えられても、使い方を知らなくて無駄にする人間の方が多いようですけれど……流石に文字は書けるでしょう」


 できないと首をふる。

 彼女は悩ましげな溜息をついて、男の中指を曲げた。

 潰れた喉からヒキガエルの悲鳴があがる。


「何のための教育だと思っているんですか。喉を潰されても私の質問に答えるためでは? できないのならその間に一本ずつ折っていきますよ。

 怪異に操られた心を開かせるには、それ以上の影響を与えるしかないし。友愛は時間がかかる、その点恐怖は即効性です。本当はこういうの好きじゃないんですが」


 暖かな女の指が男の中指の背を撫でて、手のひらの股を滑り、薬指に触れる。


「貴方が友愛を育みたくなるような魅力的なかたでなくて本当によかった。さて、どんなものでも調理と味わい方次第――さて。この家畜はどうすれば美味しくなるんでしょうね」


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