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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第八話「まじない夢」

「家に入らないで」


 管理者に与えられた宿泊先の家に向かうと、先客がいた。

 透明感のある金髪をポニーテールにしたシグマがイデとネヴを出迎えた。

 着衣は控えめな双丘を目立たせる黒いタートルネックのうえに薄ピンクのエプロンと、いつもより女らしい。

 そして開口一番これである。


「なんだよいきなり。というかどうやって入ったんだ、ピッキングか?」

「悪気はないから。それよりコレ使って」


 シグマは白い結晶がこんもり乗った小皿をイデの分厚い胸板に押しつける。

 触ってみればザラリと指にくっつく。

 鼻に近づければ微々たる香りがかろうじて嗅ぎ取れる。いつかたちよった海を思い出すものだ。


「これ塩か?」

 不用意に口にいれて確かめるのは躊躇われる。

 代わりにネヴが皿を受け取り、「失礼しますね」というやいなやイデと自分にふりかけた。

 何をしたいのかわからなかったので、黙って塩をふられる。口に入った。


「しょっぱ! 顔はやめろよ、なんなんだよ……」

「あ、ごめんなさい。でもシグマさんがわざわざ用意して待っていたってことはひつようなんですよ」

「何のために」

「端的に言えば魔除けです」


 なかにはいってみれば、想像していたようなほこりっぽさはなく、綺麗に整頓されていた。

 どころか窓の曇りひとつない。新品はひとつとてない部屋だが、どれもぴかぴかに磨き上げられていた。いっそ神経質である。


「二人が帰ってくる前にわたしの方でもある程度掃除をしておきました。空気……悪かったんで」

「温熱機関が壊れてたとか?」

「あの安いとうるさいのですか。それにとってかわられた暖炉にせよ、確かに空気は悪くなりますが、そういう意味じゃないと思います」


 ならばどの空気が悪いのか。

 そういいたげなイデに、ネヴは久しぶりに困ったような笑顔を浮かべた。


「他でもないここすべて。村の空気が、です。

 コンコーネさんだけではない。村全体に魅了に近いもの……『浮かれ』が漂っている。それもむやみに気が大きくなって安定や落ち着きを失うような、不自然な陽気です」

「あの子ども達も?」

「あれぐらいの歳なら軽率で当然ですから断定はできません。あれだけ考えなしに悪口を言ったり、衝動的な行動へのブレーキが軽くなっていたりする一因に獣憑きが絡んでいる可能性はあるとだけ」


 それが村全体に円満している――

 ネヴがいうのはそういうことだ。

 まだとしはもいかぬ子どもがそういった環境にあることを思って、イデは渋面を作る。


 誰かを傷つけることが大したことでないと思えてしまう空気感。

 ネヴのいう軽率は娯楽的な悪意ともいえた。悪意は伝搬し、水に垂らした毒か流行り病のように浸食していく。

 スキマというスキマから、風にのって目に見えない小さな呪いが入り込むさまを想像してしまう。

 そういうのは生きたまま腐っていくような焦りがあって、最悪な気分になる。そのうえそういうのは一度はまると泥沼のように足をつかまれてしまう。

 散々味わった悪意だ。ぞっとしない。


「だからお祓いしたわけです。私も母にちょっと習ったものの、まだ生きるだろうと思っているうちに死んじゃったので素人同然なんですよぅ。ですからそこんところ自分でも気を引き締めてくださいね」

「無茶いうなよ、オマジナイなんぞ一つも知らねえぞ俺ぁ」

「巣くった影響ごと物理的にバサーッといっちゃってもいいなら簡単に切除できますが」

「そりゃごめんだな、自力でなんとかするわ」

「でしょうねえ」


 ネヴは残念そうに仕込み傘の柄を撫でる。

 いくら血の気が多いとはいえ、好んでイデに斬りかかりたいとは思っていないと信じたい。


「具体的にどう対策すりゃいいんだ」

「んー、手洗いうがいをして清潔に。あと塩。他には、まあイデさんなら護摩(ホーマ)の代わりになる煙草とか。シグマさん、持ってます?」

「呪術素養のない人間でも使えるやつ、預かってきてます」

「よかった! 他には」

「いくつかありますが……とりあえず」


 アイスブルーの瞳を泳がせて、シグマはおずおずと手に持ったおたまを揺らした。


「……お夕飯にしませんか」


** *


 胃袋を刺激するスパイシーな香りが部屋に充満していた。

 カレーである。甘口だ。

 たきあげられた白米特有のほっこり甘い味と匂いがたっぷりリンゴの入ったカレーによく合う。


 カレーライスは元は異国から流入した料理だ。

 それが百、二百年ほど前か何時(いつ)だか、スープの仕出しを始め、宴会・催し物の受注、食品に香辛料の扱いと非常に多様な商品を取り扱う会社がカレー粉を発売して以来、ポピュラーな家庭料理のひとつになった。


 よほど変なアレンジをしなければ、誰が作っても美味しくなる。

今夜はカレーと言われたとき、イデはこっそり胸をなで下ろした。

 アルフがいないことによる大きな懸念は幾つもあるが、そのうちのひとつはネヴの料理の腕だったからだ。


 キッチンから「おかわりいります?」とシグマが問う。

 ネヴは数十秒悩んでノーを返した。

 テーブルには空になった底が深めの皿が並んでいる。お気に召したようだ。イデからしてもそれなりに美味だった。


「おなかくちくなった!」


 椅子に深く腰をあずけ、満足そうに腹部をさするネヴの横へシグマ頃合いとばかりに赤い筒を滑らした。

 ほくほく緩んでいたネヴの片眉がぴくりとあがる。


「発煙筒ですか」

「お二人が帰るまでに、この家も燻蒸式の殺虫剤も焚いておきました」

「殺虫剤? アレ効くんですか」

「消臭スプレーが効くんだから効くでしょう」

「うーん。そっか、煙と炎さえあれば多少はありますか。条件は同じですから」

「煙草はイデへ、ですね。念のためベッド脇にはドリームキャッチャーを。大物でないことを祈るしかないですね……」

「流行り神か、伝承か、人を起因とするのか。浸食が早いあたり、個人でひとりひとりひろめていったとは思えない速度ですから前者ふたつあたりかな、そうだといいなあ」


 ネヴとシグマはポンポン質疑を飛ばし合う。

 イデは完全に置いてけぼりだ。

 机にゴチャゴチャと用途不明な道具を取り出しては、ああでもないこうでもないと言い合う。

 五分ほどして二人の少女はようやく、皿とスプーンを片付ける以外にすることがなく、食器洗いに従事させられているイデの不満に気がついた。


「すみません、ある程度結論がまとまってから教えようと思って」

「先にいえよ。報告・連絡・相談(ホウレンソウ)は基本だろ」

「わあイデさんてホント意外と優等生体質というか……あっごめんなさい私が悪いです」


 イデは濡れた手をタオルで拭きながら無言の圧力をかける。

 一度は道を踏み外したとはいえ、結果論であって、環境さえ許してくれたならもっと勉強したかったぐらいには真面目なのだ。

 溜息をついてネヴの隣に椅子をひく。


 ついで机上の道具を見下ろす。

 発煙筒。使用済みの殺虫剤。見たことのないパッケージの煙草。円のなかに網を張った(ドリーム)ようなお守り(キャッチャー)。鏡。小刀。その他諸々。

 今までははっきりいって物理的な解決方法だった。

 今回はわかりやすく武器といえるものが小刀ぐらいしかない。


「随分いつもとやり方が違うが、今回は獣憑きじゃねえのか?」

「うーん。もしかしたらそうかもしれないんですよね」


 説明しようにもネヴ自身迷っているらしい。手持ち無沙汰に手袋の指先を引っ張って遊んでいる。


「ライオネル博士が関わっているのなら十中八九獣憑きのはず……もしかしたら直接の関係はないのかもね……ただ立ち寄っただけとか」

「農業が主な労働で、医者の先生が仕事で訪れるような場所でもなく、バカンスで訪れるにもまだろくに整ってないような場所に?」

「イデさんの仰る通りで。けれど、こう、噂や都市伝説みたいな広がり方をする異常現象って、どちらかというと妖怪とか呪いとかが引き起こす状態に近くって。

 獣憑きって個人の性質が深く関わるから、ウィルスみたいに感染するには我が強いっていうか、タイプが違うんですね。自我をなくして人間をやめて、そういう存在になるというのなら話は別ですけれど」


 うーんうーんとネヴは白いこめかみをおし、知恵を絞り出そうとする。


「獣憑きは個人であり、無意識の海に意志の(アンカー)を降ろす感じで。もうひとつ、海の影響が現実に及んで怪奇現象としてあらわれるタイプがあって」

「その碇、強烈な我が《異能》か。怪奇現象は?」

「そっちはむしろ、無意識の海で起きた大波が寄ってきて、人の認知や現実の情報(データ)に影響を及ぼしたり、情報を血と肉とする生物として発生したり」

「やばいのか」


 いよいよ彼女は口ごもった。


「最悪なのは神降ろしと呼ばれる個体です。そうでもなければ基本的に適切な予防策、専門技術などで抵抗可能です。様々な人間から流入し肥大化した結果、実った生命である以上、同じように『それを廃する性質を持つ』と思われている手段は有効になります」

「例えば吸血鬼には銀の武器が効くってことか」

「ええ。魔除けのちからがあると多くの人間が、あるいは個人が極めて強く信じれば」


 小さくボソボソ続ける。

 神降ろしは神と呼べうる強い存在。強烈な個であり、大波でもあるもの。

 碇という特別なよりしろに降臨でもしなければ現われることができない。

 それがここにいたならば、この程度では済まないはず。


「とにかく、今回は除霊(・・)とお祓い方面でいきます。まず適切に鎮めるために、引き続きこの村の状態を調べます!」

「村人の精神状態に異様な高揚があるのは事実ですから……お二人は交代で睡眠をとって、警戒して下さいね……」

「シグマは?」

「わたしはわたしで見回る……一人で隠れて動くのは、ネヴちゃんより向いてるし」


 いうなりシグマは席をたつ。

 報告終了。連絡も終わり。相談は逐次というわけだ。


「わかりました。では今日はイデさんが先に寝て下さい」

「十時から午前四時くらいまで?」

「私が午前四時から十時まで。それから行動ですね。明日は逆で」


 キャンプ前の子どもめいた表情で計画を立てる。不安だ。

 のんきに道具の点検を始めたネヴに、最低限の荷物を備えたシグマが耳打ちした。


「……そういえばこの家、ダブルベッドでしたね。夫婦扱いなのだから当然といえば当然……」

「………………はい?」

「一緒に眠るわけでないのなら関係ない……でしょう。でも念のため、アルフさんには秘密にしておきますね」


 心なしか、逃げるように去ったシグマの口元はあくどく歪んでいた。


* * *


 計画通り、イデが先に眠りについた。

 あたたかいオレンジ色の毛布は、イデとネヴが身を寄せ合えばぎりぎり収まりそうなサイズだった。

 ひとりではいるので、全く困らない。

 しかし明日も顔を合わせる村人達は夫婦二人でここで眠ると思うのだろう。


 その晩、イデは悪夢を見た。


「イデ被告人。前にでておいで~?」


 優しい声がイデの頭上から降り注ぐ。幼子に言い聞かせるような穏やかさは表面を取り繕う薄い糖衣だ。

 アルフにもまたそれを隠す気はなく、本音の温度を冷え冷えと伝える。

 心臓に氷の矢を射込まれたような怖気(おぞけ)とともに後ずさる。


「アルフ地蔵菩薩……!」

「誰が閻魔様だい。そんなのはどうでもいいのさ」


 声をおって頭上を見上げれば、天をおおう巨大なアルフが微笑みを浮かべてイデをみくだしていた。目は全く笑っていない。


「訓練で散々関節極めて、無駄にいい体格に無力をたたき込んでやったのにまだわからないとは……」

「俺は無実だ」

「お嬢にはそういうのは早いの! オレの目が黒いうちァね、手を出させないからね!」

「この親馬鹿め!」


 絶叫するイデに、アルフが手を伸ばしてくる。

 ぎゅっと握りつぶされる――そう思ったところで目が覚めた。



「なんだこれ………」


 そこそこ緊迫した状況にもかかわらず、間抜けな夢を見た自分を殴りたくなった。

 まるでネヴを変に意識して、アルフに怯えているようではないか。


「シグマめ、変なことを言いやがって」


 去り際に余計な指摘をしていった彼女に恨み言をはき、毛布を蹴飛ばす。

 眠気がさめてしまった。

 それにネヴがきちんと起きているか心配もあった。

 恐らく彼女がいるだろうリビングに向かう。


 夜の空気と張り詰めるように青い月光は肌をさわりと撫でるようだ。

 リビングからは熱のない陽光に似た明かりがのびていた。

 そこにひょこっと首を出す。

 眠気でまぶたをかすっている彼女を、軽くおどかして起こしてやるつもりだった。

 そして硬直した。


「あっ」


 ネヴが小さく悲鳴をあげる。


「……」

「…………」


 無言のまま見つめ合う。

 見張り番をしていたはずのネヴ、彼女の手には眩しい銀のスプーンとたっぷりカレーをよそった皿があった。


「なに食ってんの? 何時だと思ってんだよ。太るぞ」


 仕事中にありえべからざる問いだった。

 ネヴはあわあわ黒い瞳を右往左往させたすえ、言い訳をまきちらす。


「だって! アルフいないんですもん! いつもは夜ご飯は健康に悪いからダメって怒られるから、今こそがチャンスだと思ってッ!」


 そういってカレーを手放そうとしない。

 どうあってもイケナイ夜食に挑みたいらしい。


「はあ」


 イデはやれやれと首を振る。

 それからキッチンへ向かう。戻ってきた彼の手には、洗ったばかりの皿に装ったカレーがあった。


「まあ俺も悪い子だからな」

「や、やったー! イデさん大好き! 共犯者!」


 パジャマ姿のまま、ネヴは万歳をして目を輝かせる。

 その様子にイデは無意識に表情を和らげた。全く馬鹿なやつだなあと嘯きながら。


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