第七話「鬼ごっこ」
イデがはしゃぎまわるベル達から解放されたのは夕方だった。
仲良く遊んでいたネヴとベルだが、三人が帰路につこうという頃には子どもが更に四~五人増えていた。
ネヴとベルが楽しそうだったのだろう。
「ふふふ。鬼ごっこ界のサイコパスと呼ばれた私の実力、見せてあげましょう」
「それ本当に褒め言葉か?」
ネヴは少しも厭わなかった。
子ども達を歓待し、始まった鬼ごっこであっちからこっちへとえげつない速度で走り回る。
スカートが翻るのも構わない。時に丘の上を横転しながら子ども達を追い詰めるさまはまさに鬼であった。
もっともギリギリのところで毎回逃していたので、その一瞬だけ手加減はしていたようだ。
逆に言えば捕まえる時以外は完全に本気である。
イデから見れば実に大人げない。しかし子ども達は全力で接してくれるのが楽しかったのか、終始大きな笑い声が響いていた。
途中からネヴによりイデまで参加させられた。もうクタクタだ。
子どもにほとんどネヴ避けの壁のように扱われていたのが遺憾だ。
子どもたちの無限の体力に感嘆するばかりである。
流石に最後の1時間は走るのが嫌になったらしく、泥遊びなどに興じていたが。
子どもの一人の腹がなり、みな帰る準備をし始める。
イデもネヴの泥がついた頬を上着の袖でゴシゴシと拭う。
「あーあー、服まで泥だらけにして。どうすんだよコレ」
「着替えはアルフが多めにもたせてくれたから大丈夫です」
「そういう問題じゃねえんだよ。しかも泥団子作りでこんな」
「むう。子ども達のみならずイデさんまでも私の泥団子を軽んじますか。家族には泥団子作り界のエド・ウッドとほめられたのですが」
「やっぱり罵られてるだろ」
「情熱は評価されてます」
胸を張るネヴの黒髪を「こりゃだめだ」とかきまわす。
「はいはい。とにかくもう帰るぞ。おまえらも夕飯の時間だろ」
むらがってくる子どものうち、家の方へ突き出すようにして男の子の尻をはたく。
いざ帰るとなると、また遊びたい気持ちがむくむくと湧き上がってきたらしい。
帰るといったのに、なかなかネヴとイデから離れてくれない。
「ベルナデッタだっけか、お前もだ」
「ん? うん」
「イデさん、送っていきましょう。私達は多少遅くなっても構いませんし」
ネヴがベルと他の子どもの手を取る。
イデはすっかり子どもとなじんでいるネヴに、わずかに渋面をつくった。
あまり余計なことをするのはよくない。
仲良くしていても、イデとネヴはこの村の住民をだましているのだ。
それでもネヴがきらきらと無垢な瞳で見上げてくるので、結局頷いてしまった。
「まあ、ベルの家に寄って帰り道に、適当にガキどもを置いていくか」
そういうことになった。
よじのぼったり、小さな手で笑顔でぽこぽこ叩いてきたりする子どもをいなして、ひとりひとり家に送り届けていく。
家人はイデをみるとぎょっとしたが、ヨゴレまみれになってニコニコ笑うネヴを見ると一転して平謝りしてくる。
短い挨拶をして別れる頃には、家人も若干態度が和らいでいた。
1日目は、おおむねそうして平和に終わりそうだった。
異変が起こったのは、ベルの家に辿り着いた時だ。
途中で遊びにくわわった子どもは、ベルを除いて男の子が二人残っていた。
男の子達はベルの家が視界に入る距離になると、小さくクスクスと笑い出したのだ。
その笑いはひそやかで、悪意を悪戯心という形で自覚していた。陰湿な囁きだった。
のびきっていない指でベルの家の窓を指す。
ネヴがきょとんと首をかしげれば、面白い話を聞いて、という風に二人の服をひく。
「ベルの家には今、おばけが住んでるんだよ」
途端、ネヴを挟んで男子の反対側にいたベルのまなじりがつりあがる。
怒りの形相にますます男の子達が喜ぶ。
「ママがいってたよ、ありゃあもうだめだ、アンヘルさんちもかわいそうにって」
「うちのパパも風邪の毒が頭にまわっちまって、ばかになっちまったっていってた!」
ベルの眉間の皺がどんどん深くなる。
繋いでいない手は握りすぎて白くなっている。
怒りのあまり言葉にならないのだ。
細められたまなこには、殺気すらあった。
事情はわからないが、明らかに男の子達のからかいは度をこしはじめていた。
本人達にとっては冗談でも、当事者にとってはただでは済まないこともある。
いい加減黙らせようか考え始めた時、ベルがネヴの手を離して家に駆け込んだ。
そしてすぐさま戻ってくる。
「うちの弟を馬鹿にしたら許さないんだから!」
腰に両手をあて、仁王立ちになって怒鳴り散らす。
怒気とともに振りかぶって細長い何かを投げつける。
鈍色の影を残して飛んだそれは、男の子達に届かなかった。
ネヴがつかみ取ったのだ。
彼女はそれを子ども達に見えないように後ろ手にまわす。
「ぜーったい許さないんだからーッ! ばーかばーか!」
ベルの剣幕は幼い少女とは思えない。
おのれが投擲したものがどうなったのか見届けようともせず、大きな音を立てて家のなかに入っていった。
怒髪天をついたベルの憤怒にあてられて、男の子のひとりは呆然と立ち尽くす。
もうひとりは懲りずに「変なやつ」と悪口を言っていたが、ネヴに小さく眉間を小突かれると黙った。
「さ、二人とも。おうちに帰りましょうね」
「ええ~」
「でないといまのこと、あなたたちのお母様にいいつけますよ」
「そんなのヒキョーだ!」
それでもその年頃の子どもにとって、親の説教は何より恐ろしい。
しかもこれから夜になる。ずっと家にいなければいけない時間帯だ。
逃げ場のない場所で説教されるのは心底いやだったのだろう。
二人は促されるまま帰っていった。
二人にとっては全速力で、しかし歩幅の小ささから時間をかけて離れていく背中に手を振る。
「あいつらは送らなくていいのか」
「これを隠したままでいられる自信がなかったので」
子どもがいなくなると、ネヴは溜息をつく。
イデの眼前に差し出して見せたのは、先ほどベルが投げたものだった
その正体に気づき、イデも面食らう。
「弟思いは結構ですが、ふむ。まさか包丁を投げつけるとは。誰かさんを思い出す過激さです」