第四話「ヴェルデラッテ」
「私は蒸気自動車で来ようっていったんですけれどねえ」
「おぞましいことをいうな」
列車からバスを乗り継ぎ、ゆったりと運ばれること数時間。
ネヴとイデは段差のある真ん中の出口から降り、雨風で赤錆びたバス停を見上げる。
バス停にはヴェルデラッテ村――に最も近い町の名前が記されていた。
ここから数十分も歩けば、くだんのヴェルデラッテに辿り着く。
天気は良好。気持ちのいい曇り模様。昨夜雨がふったのか、朗らかな土の匂いがする。
散歩にはちょうどいい具合だ。
「村って言う割には満更通行には困らねえんだな」
「元々この国で生まれ育った人達の村ですから、優遇されているんですよ。それに食というのは人の幸福、ひいては治安に直結しますから。美しい農村とは宝なんですね。ではいきましょうか、イデさん」
そういうと、ネヴは紺色の日傘をひろげた。
腰にいつもの刀はない。
身に纏うものも日頃と違う。
白いブラウスの上に濃紺のベストとコルセットの合の子のような上着を着て、膝丈のスカートをもてあますように指先でつまんでいる。
華奢な腰がひきしめられて一層あらわになり、のばした背筋もあって豊かな双丘が張る。
流石に冬の農村にそれだけでは寒い。腕には折りたたんだクロークをかけていた。
背伸びして見える服装に、編み上げのワーク・ブーツがやや無骨だ。
しかしこれから行くのがそれなりに歩く田舎村であることを考えれば、そこまで不自然ではないか。
「フツウの女みてえ。割と見れるのが困る」
「ええ……」
仰々しい装飾品がないせいか。
今の服装と比較してみれば差異は瞭然だ。
麗しいボディラインとシックなカメオで飾った襟元もあって、元々の童顔がひきたってしまっている。
相変わらずなのは両手にしっかりはめた手袋ぐらいだった。
「失礼な。私フツウの女の子ですからね?」
ヴェルデラッテ村をたずねるにあたり、客をよそおうのだから、あんな目立つ服装なはずがない。
考えれば当然なのだが鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてしまう。
イデのなかで浮かぶネヴのイメージ像は、なんというか。
崩壊した敵対者を前に興奮した様子で凶器を構える狂犬ぶりだとか、ブレーキをほとんど踏まずに車体を揺らして運転する様であるとか、出血多量でもうろうとしている儚い横顔だとか……。
とんでもなくおかしなイキモノを見ている気分だ。
ならば肝心のネヴ本人はといえば、おしゃれより事件に興味津々だった。
「たまにはこういう格好も気楽でいいですよねー。刀が持ち歩けないから、仕込み傘でどうにかするしかないのはなかなかスリルがありますけれど」
そういってベストと同じ濃紺の傘をぶんぶんと振る。
「人前でそれやるの、やめろよ。俺まで阿呆だと思われる」
「はいはい。わかってますよ、旦那様」
イデの鳩顔が苦虫をかみつぶしたそれに変わる。
――旦那様。
今回のミッションは、アルフがいないというだけでも大問題だが、イデにとってはこれもまた悩みの種だった。いわれるたびモゾモゾとする。
筋書きは、シグマが先行して村に潜伏し、その後からネヴとイデが村を客人として訪れる。
活気に満ち、都会にない見所である緑も豊かな春や夏以外に村をたずねるに編み出したへりくつは、ヴェルデラッテの管理者を利用した。
前々から鉄道をほしがっているという話を聞いていたので、イデ達の所属するANFA、その表向きの職業である鉄道会社――H&L社を利用することになったのだ。
結論をいうと。バラール国の鉄道のほとんどを牛耳る大会社から、異邦人の血をひくため立場が弱いが、出世の階段に足をかけかけている社員夫妻が視察にやってきた――という。
当然、イデが夫、ネヴが妻である。
(夫……俺が夫? 誰かと夫婦? こいつが俺の女?)
やさぐれた父と虐げられる母、似たような祖父母を知っているだけに、いまいち自分が幸せな家庭を築くビジョンが想像できない。
結婚そのものがもってのほか。
そう思って生きてきただけに、むずがゆくてたまらない。
イデの方は気になってしようがないというのに、女のネヴのほうが全く気にしていない――というかどうでもよさそう――なのがまたしゃくにさわる。
村に近づく=「夫婦役」までのタイムリミットが迫る。
悶々と考えるうちに時は近づく。
村が見えてくると、前方をいっていたネヴが意気揚々とイデの隣に位置どった。
ごく親しい間柄にだけ許される距離、50センチぎりぎりの、手と手がふれあえる程度の距離感だ。
「うんうん。思ったよりはいいところじゃないですかー。美味しいご飯とかあるのかな?」
ネヴの感想を受け、改めて顔をあげて村をみた。
村側も珍しい客人を見とがめたようだ。煙突のついた農業用トラクターからこちらを見ている村人に気づく。
どういった表情かはわからない。
だがトラクターが比較的真新しい。
(ああいった機械は高いからな……金が入るなら欲しいわな)
バラール国は無窮の青空と引き換えに、華やかなりし蒸気文明を拓いた国である。
緑の残っているような末端の村でも、碩学達が生んだ知の威光は届いている。
威光を全身に浴びる重機関都市からすれば木陰程度ではあれ、ヴェルデラッテ村にも機関はあった。
小綺麗な土地だ。季節でないことを考慮しても、ぱっと見、機械の数そのものは多くない。
複数の家から金を出し合って、ひとつの機械を共有しているのだろう。
トラクターや道路舗装用ローラーに使用されるトラクション・エンジンは、自己推進する蒸気エンジンだ。
収穫時期には重い脱穀機を牽引でき、後部でスキをひける。
一部には「道路機関車」と呼べるような、鉄道と同じ速度で走れる機体まである。
実際小さな機関車めいてファンシーな見目には、熱狂的なファンがいる。
農業関係者には支援金が出る制度もあるらしいが、審査が厳しく、どの程度役立つのか怪しいものだ。
いくら優遇されていても金は欲しい。
イデなりにヴェルデラッテ村が観光・鉄道などと迷走する理由を推察していると、前方から一台の蒸気自動車がやってきた。
整備の足りない道路でやや車体を揺らし、黒い蒸気自動車は控えめな音でふたりの前に停車する。
「あら、いい車」
この村でこんな車に乗ってくるのは有力者だ。
車から濃い赤毛の若人が、人好きのする笑顔で身を乗り出してきた。
「こんにちは。いきなり失礼ですが、ゾルズィご夫妻でいらっしゃいますか」
「ええ、貴方はコンコーネさんでよろしいですか?」
傘をかたむけ、ネヴが確認する。
本当なら夫役のイデが答えた方が怪しまれないのだが、目つきの荒んだイデが敬語を使いこなすより、見目に品があるネヴの方がまだ信頼されやすいのでは、という判断だ。
近年は女性の社会進出も進んでいるし、お偉いさんの娘に異邦人の有能な青年が婿入りした、という演出でもある。
赤毛の若人――都市に憧れる若き村の管理者であるコンコーネは、めんくらった顔をするがすぐに快活な青年の顔に戻る。
憧れているだけあって「先進的っぽさ」に弱いのだろう。
彼の熱くやわらかな脳は、すぐに異色の夫婦を受け入れたようだ。
「ええ、セラフィーノ・イタロ・コンコーネと申します。ヴェルデラッテ村は喜んであなたたちを歓迎しますよ。こんな季節で今は寂しいですが、春や夏は瑞々しい青緑の葉が揺れて、それはもう美しいところなんです。お見せできないのが残念でなりません。
けれど今は今で、静寂が満ちて、暖炉の炎は一層熱く……何者にも邪魔されずにくつろぐには絶好です。かすかな寂しさと不便はありますが、それも鉄道があれば些細な問題だ」
はきはきとして精力に満ちたコンコーネ青年は、すっかり鉄道が敷かれる気になっているようだ。
前向きは結構だが、支配者としては実に不安である。
「お荷物をお預かりしますよ。あとであなたがたのために用意した宿――といっても使われなくなった民家を改装したのですが、そこが売りになるでしょう――に運んでおきます」
「あとで? 先に行く場所があるとか?」
「ええ。ウェルデラッテののんびりとした優しい生活を楽しんでもらいたいんです。村唯一のお菓子やさんのお子さんが、若いのに上手でして。パンフォルテを焼いて待っています」
「パンフォルテ! アーモンドとピールを固めて、いろんなスパイスの香りを加えて焼いたトルタですよね! いちどアルフが作ってくれたんですが、もう随分食べてないなあ」
イデの袖を掴み、ネヴが目を輝かせた。
言外に楽しみですよね、ね! と訴えてくる。
「そんな場合じゃないだろう」と言いたいのだが、コンコーネのてまえ、曖昧に唸るしかできない。
子どもの作る菓子を提供するコンコーネも喜ぶネヴも浮かれすぎではないか。牧歌的のアピールにも程度がある。
脳内のアルフに助けを送ったが、脳内アルフは黙って首を振ってエプロンをつけだした。
オレの作る料理が一番なんだということらしい。やかましいわ。
「その土地の人と身近に関わるっていうのかな、ほのぼのしていいですねえ。私は嫌いじゃないです。ところで、お子さんのお名前は?」
「可愛い子ですよ。名前はベルナデッタ・アンヘル。ちょっと事情があってご両親がしばらく離れていまして、今は叔父と切り盛りしているんです」
コンコーネは明るい未来しか見えない! といった様子だ。
祝福に満ちて生まれ育った人間とはこういうものかとイデが参っていると、コンコーネが目をそらしているすきを狙い、一瞬ネヴが耳打ちをした。
「はっきりとは見えませんが、彼、暗示をかけられたような精神状態です。以前みた、魅了の魔術の被害者にそっくり」