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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第三章 羊喰らいの丘
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第一話「旅は道連れ」


 他者から受け取った望みのまま、人間の尊厳を操ったダヴィデ。

 彼を回収し、「管理部」だという人間に引き渡してから五日が経つ。

 古びた血肉のにおいも記憶に新しい。


 大きな怪我もなく、多少あざをつくった程度ですんだイデはネヴを見舞うために病院に来ていた。

 怪異に接触してから時間差で影響が出ることもあるため、わざわざ職員専用につくった医療施設であるという。

 余計な話をきかれないよう気を遣う必要もないということだ。


 だから彼は安心して彼女を罵ることができた。


「だから安静にしてろっつってんだろ!」


 半ばキレ気味に、ネヴの膨らんだつぼみのような体をベッドに押し倒す。

 見られたら大変まずい現場だ。

 それもこれも、入るなりネヴがうきうきと体を揺らして


「ききましたイデさん。次はヴェルデラッテという村で何か起こっているとか。出発はいつになると思います? 明日かな、今日かな? もう私はベッドの上で惰眠を貪るのにもすっかり飽きてきましたよ!」


などとほざき、ぴょこんとベッドから飛び出してきたせいだ。

 呆れてしまう。本人は忘れてしまっているようだが、彼女は今回それなりに負傷したのに。

 ちからづくで清潔なシーツのなかへ戻されたネヴは、不満に頬を膨らます。


「だって検温だとか検査だとか、病院でないと出来ないことはあらかたしおわっちゃったんですもの。そろそろ次の刺激が恋しい……」

「さえずるな、怪我人が」

「いいえ。戯れ言ではないです、問題ないです。動けます。むしろここでじっとしているほうが精神衛生上よろしくないです。おいてかないでください」

「諦めたらァ?」


 論争は譲らず平行線を辿る。

 ネヴがワガママと言っているだけともいえる。

 起き上がろうとするネヴの頭をわしづかんで抑えるが、いつまで持つか。

 拮抗した場面で新たな闖入者がエントリーした。アルフである。


「ああ、イデくん来てたのか。ありがとうね。シグマは?」

「シグマさんはベエタのところに」

「それよりおっさん!」


 強い発言力を持つお目付役(ママ)の登場だ。挨拶も捨て置いて我先にと彼の説得にかかる。


「アンタも俺が正しいと思うだろう!?」

「おっと正しいからって私が従うと思わないで下さい! アルフは私のいっていることがわかるでしょう?」

「こンの、犬にかまれて腹まで刺されたせいで頭まで病気になったか、もとからか!」


 ムキになる二人を、アルフは可愛らしいものを見る生暖かい目で眺めた。


「はいはい。またお嬢が無茶いいだしたのね、わかってるよー。でも喧嘩したところでしようがないでしょ」


 しっかりしたイデの太い手をやわく掴んでおろさせる。

 微笑みながらベッドにもぐるよう毛布をかけられると、ネヴも魔法をかけられたように黙って従う。

 完全に手慣れたスムーズ過ぎる動作だ。反感を覚えるすきすら与えられなかった。

 二人が頭にのぼった血をおろして、アルフがこほんと咳払いをする。


「えー。オレはね、賛成するならイデくんのほうにしておきたいのが本音だよ」

「ほらみろ」

「話は最後まで聞きなさい。こほん。いいかい、イデくん。残念ながら今回はお嬢の言うとおりにするんだ」


 重々しい表情で裁決を言い渡すアルフに、また二人同時に声をあげた。


「「なんで?」」

「ダヴィデくんを回収しただろう? 生ける死者や獣憑きから派生したオブジェクトは珍しくないんだけどねえ。ほら、一応ナカミがカラだし。彼のもつ技術も含め、念のため他を後回しにしてでも早急に報告書をあげろって急かされてるんだよ」

「ベッドでネヴに書かせりゃいいだろ」

「できると思うのかい?」


 アルフに憂いを込めた流し目を向けられ、イデは押されるように黙ってしまった。

 ネヴが小声で「いや、できますよ。それぐらい。できますよ?」と訴えるが、無視する。


「お嬢の名誉を守るためにいうと正確に言い直そうか。やり方は教えたから出来るには出来るだろう。けれど速度と精度でいえば不足が残る。お嬢は興味のあること以外アタマからすっぽ抜けちゃうから」

「うっ」

「そんな申し訳なさそうな顔しなくても。お嬢、メモはしているんでしょう? 報告の参考にします」

「部屋の机に置いてありますから好きに持って行って下さい。鍵持ってるでしょう」


 すっかり怪我人が仕事に出るつもりになってしまった。

 ネヴに重要な報告書を書かせるのには不安があるから、ネヴが外に出てアルフが書く。

 ベッドサイドの椅子に腰掛け、不機嫌に腕を組む。

 アルフがいないのにネヴが出るというのは、シグマがいるとしても安心できない。


「けどよ。だったら仕事のほうを延期して、アルフが合流できるまで待とうぜ」

「イデくんは慎重だね。いいことだ。けれど仕事の方も急ぎでさ。他の子にまわされそうなのを強引にとってきちゃったから。先生を人任せにしたらお嬢とシグマがコワイもの」

「じゃあさっさと済ませようぜ。ヴェルデラッテだったか?」


 ネヴが出した村の名を挙げると、「へえ」と片眉をあげる。


「知っていたんだね。そう。ヴェルデラッテ、中西部あたりにある小さな村だよ」


 説明を始めながら、手際よく地図をシーツにふわりと乗せる。

 退屈に半眼になっていたネヴの瞳が開かれて、子猫のように輝いた。


「あのあたりは古い遺産に恵まれていて、景観も抜群にいい。ヴェルデラッテも例に漏れず、しかし一歩足らずに、うららかな緑の丘、オリーブを主要産業とした田園風景が美しいだけのありふれた場所だった」

「過去形?」

「ここ一ヶ月くらいかな。領主が急にアグリツーリズムっていうのに興味を持ちだして……そもアグリツーリズムってわかる?」

田舎(アグリ)の生活を楽しむ観光(ツーリズム)だったか。眉唾モンだって噂だが」


 人間は楽が好きだ。

 文明をもてはやし、労力の軽減を叡智と呼ぶ。

 だから環境問題が囁かれても、蒸気機関を捨てられない。いちから別の方法を見つける面倒くささを怖がっている。

 不便が多い田舎暮らしを、金を払ってまで楽しむだろうか。


「イデくんは若いからなあ。豊かなだけ自然と離れ、せわしない都市に疲れて……っていう人はそこそこいそうなモンだよ。この国は外がなくて開放感が足りない分、余計にね。旅行って日常から逃げる言い訳みたいなもんだし。原書の旅行は巡礼っていうだろ。

 しかしイデくんの言うとおり、今は商売として成立するか怪しい。そのはずなのに、このヴェルデラッテ村に一度行った人間は高確率でリピーターになるらしい」


 綺麗に手入れされた爪で指された場所は、土地と土地の境目が黒い線で表されているだけで、何もわからない。

 切り損ねたパルミジャーノ・レッジャーノのくずのような形だ。


「名物ができたってわけでもねえんだろ。怪しがるってことはよ」

「変化はなんともないよ。魔女を倒した聖人伝説だのはあるらしいけれど、どこにでもある伝承をくみあわせたような話で、多分適当に掘り出したか付け焼き刃の嘘だろうね」

「そんなところにリピーター?」

「うん。変な話だろう。変化が急すぎるから獣憑きが関わっているんじゃあないかって。今のところは被害報告はない。だから調査だけはしておく流れになったらしい」

「そこに先生が関わっていたんですか?」


 ここまできいた限り、怪しいが、それだけの話だ。

 しびれをきらしたネヴが単刀直入に切り込む。


その通りでございます(イグザクトリー)。ドラード先生の足取りを調べていたら、秋の終わりに、息抜き旅行の名目で寄っていたらしい」

「秋の終わり……ちょうどベエタの件の後ですか。臨床実験の許可が降りずに苛立っていたのを覚えています」


 声音を一段低くし、笑みが沈む。

 ネヴにとってよくない記憶なのだろう。

 彼女の苦虫をかみつぶしたような変化と呟きをきけば、イデにもアルフとネヴが何を考えたのか予想できた。


 降りない許可。目立たない田舎村への旅。

 周りにはうまく進まない研究への気晴らしと説明したのだろう。

 実際は、機会が来るまで堪え忍べずに、独断で研究を続けにいったのではないか?


 アルフは苦笑して、鼻白むイデに畳んだ地図を押しつける。


「もしかしたら今回も気分の悪い仕事になるかもしれない。けれど、オレがいなくても君たちなら大丈夫。気合いをいれてやってくれ。特にイデくん、お嬢の世話は一時的に君に譲るから、しっかり全うするように。ではシグマを加えて旅支度をしようか」


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