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アンダーハウル  作者: 室木 柴
幕間記録
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博士のある日の出来事・2

 勤務場所となった施設は、資金が豊かなのかどこも小綺麗だ。

 近未来的な建物に反して、庭はカントリー風に整えられている。

 元々私はそう豊かではない出身だ。部屋も気になる資料を片っ端から並べるくせが抜けず、片付いたためしがない。


 私にとっては落ち着かない場所だ。

 だが彼女達にとっては違う。

 心地よい薄曇りの空の下、息も絶え絶えな私はどっさりとベンチに腰をかけた。


「子どもは元気だなあ」


 ハンカチで額の汗を拭う。

 今日は朝から子ども達の鬼ごっこに付きあって、汗だくだ。

 何度も使ったせいで、綺麗にアイロンしたはずのハンカチもすっかり皺が寄っている。出不精な身にしては随分頑張ったほうだと思う。


 お母さん――ネヴィー・ゾルズィのご母堂、ルリエさんが来てくれなかったら、筋肉痛で明日の仕事も大変だったかもしれない。


 庭の真ん中を見やる。そろいの黒髪の母子が花々に埋もれるように座り込んでいる。

 私に対してはきゃっきゃと逃げ回っていたネヴちゃんも、ルリエさんに髪をいじられるままおとなしい。

 包帯を巻いた手の甲をかゆそうにいじっては、ルリエさんにたしなめられている。


 平和そのものの光景だ。

 ほう、と息をつく。

 これ全てが私の仕事のたまものだとは思わない。だが、喜ぶのは当たり前のはずだ。


 神隠しにあったネヴちゃんが保護されてから、数年が経つ。

 最初は出会う人間という人間の内面を覗き込んでしまい、日常生活すら困難だったが。

 今では主治医となった私とも問題なく会話できる。


 しかし、ネヴちゃんの安寧は、幼い少女には寂しい日々の結果でもある。

 出かけるのはアルフさんと私が許可した場所だけ。絶対に付き添いつき。

 日常の大半を、ANFAで保護した子ども達が暮らす施設で過ごす。

 必然的に接するのも、アルフや私ばかり。

 あとは獣憑きとなった親の子であったり、獣憑きとして事件を起こした子だったり。


 一見回復している。しかし常な生育環境とはいえまい。このままでいいのだろうか。

 眉間を何度ももむ。

 かといって、特殊な視力のせいで一般市民の多い場所は苦痛だろう。

 彼女が安心して普通の少女でいられる――はじかれるべき異物でなく、愛をもって育まれるべき少女でいられるのは、ここだけだ。


 それに……私はネヴちゃんの主治医としてここに招かれた。

 彼女が他の施設に移動すれば、私もそうなるか、最悪食い扶持を失う。

 獣憑きの研究もできなくなる。

 ANFAの人々は、おおらかなようで荒い。普段は話し合いできる程度の理性があるかわり、抑圧され、反動が大きい傾向がある。最近入ったヴァンニくんなどは特に酷い。

 下手なことをすれば、ちからづくで黙らされる。


 ぞっとしないビジョンにうなだれてしまう。

 いっぱしの善人のように心配してみても、私は何もしない。

 次に言い訳をする。杞憂だ、ネヴちゃんが俗世の人生を望むとは限らない。

 狡さに我ながら呆れていると、小さな手が私の膝を叩いてきた。

 下を見れば、奥まで透けるような黒い瞳とかち合う。


「せんせい。こっち向いて」

「うん?」


 彼女は何故か気まずそうな上目遣いで、編み込みになった髪をこちらへ向けた。

 光を飲んだ黒曜石のように艶のある黒髪に、爪ほどの大きさの花が簪代わりに咲いている。髪型もあって花嫁のようだ。


 私は努めて明るい笑みを作った。

 気さくなおじさんぶって撫でかけた手を引っ込める。

 少女の一生懸命セットした髪型を崩すのは、人権を奪われても文句をいえない暴挙と聞いたことがある。危ない、危ない……。


「髪、可愛く結んでもらったねえ」


 とりあえず褒め言葉を(これは本心だ)を述べた時だった。

 突然、視界が真っ黒に塗りつぶされた。


「うおっ!?」

「へへへ、引っかかった!」


 ネヴちゃんと違う少女の、さっぱりした笑い声が、頭のすぐ後ろで響いた。

 と思えば、すぐさま光が戻る。

 同時に明るい少女の気配がぱっと離れるのを感じた。機械の足がこすれる音も。


「なんだ、ビィちゃんか。後ろから目隠しなんかして、怪我したら危ないじゃないか」

「なんだとはなんなのよぅ」


 不機嫌に唇をとがらせるビィちゃんだが、唇の端がぴくぴく動いている。笑いが抑えきれていない。


「すぐ落ち着いてつまんない! でも驚いたのは楽しかったからいいや!」


 ビィちゃんはころころと表情を変える。

 それ自体は快活で好ましい。

 だが私は人付き合いが下手だ。子どもでも、どう返してやれば喜ぶのか、よくわからない。

 なんとか彼女達を楽しませようとあれこれ考える。しかし、どれも逆にスベる気がして、口に出る前に自分で却下してしまう。

 もごもごしている間に、ビィちゃんの背中に隠れていた三人目の少女が顔を出した。


「わたしたち……あっちで、かくれんぼしてくる」

「あっそうそう。あたしたち、それを言いに来たのよ。おじさんへの悪戯はついでなのよ。いくよクリスティナ、ネヴ!」


 きっとネヴちゃんもビィちゃんによって悪戯に加担させられ、私の気を引いたのだろう。

 ビィちゃんに腕を引っ張られながら振り返り、はにかんでごまかした。

 見守っていただけのクリスティナは、アイスブルーの瞳で一瞥してきただけだったけれど。

 私は嵐のように去って行く三人の後ろ姿を、半ば呆然と見送った。


 一部始終が終わると、入れ替わりにルリエさんが横に立った。


「懐かれているんですね」

「いやあ。遊ばれているんですよ、あれは」


 苦笑いを浮かべていたが、すぐに硬直する。

 ルリエさんは当たり前のように私の横に座ってきたのだ。

 香水とは違う、ほころぶような薄い花の匂いがふわっと香る。

 豊かに垂らした黒髪が、肩に乗せられて緩い角を作っているのが妙に色っぽい。黒髪の帯の下にのぞく生白い首と鎖骨をみてしまっているのに気づいて、電光石火の勢いで目をそらす。


 人妻なのはわかっている。しかも夫との仲は良好で、娘までいる。

 それでも彼女は美しかった。


 沢山の細いまつげで彩られた瞳はいつも濡れて見え、娘のネヴちゃんとは違った意味でざわついた気持ちにさせられる。

 私は少女達を心配してそちらを見守るふりをして、ルリエさんを見ないようにした。


「特に面白い話ができるわけでもないので、それで気分が明るくなるのなら万々歳です。先生だなんてえらそうにいわれても、気の利かない中年男ですから」

「謙遜です。まだか弱い子どもが、警戒もせずああも気さくに接することができるのですから、貴方はきっと素敵な方よ」


 美貌がこちらに純粋な好意を向けてくるのを感じて、どぎまぎと心臓がうめいた。

 こちらも嬉しそうに笑いかえせればよかったのだが、何も言えない。

 ルリエさんがビィちゃんをさして、「あの子、うちの娘とよく遊んでくれるの。イイコよね」といったのに乗じ、やっと緊張で乾いた口を開く。


「ベアトリクス。三ヶ月ほど前に来た子達です。みんなにはビィと呼ばれていますね。とても明るく行動的で、思い切りがいい。もうこの施設の子達とも打ち解けています」

「あの子も獣憑きなの?」


 ルリエさんの花の茎めいた指が、野を駆け回るビィちゃんの足をさす。

 ビィちゃんの二本あるナマモノの足は、宙にぶらんと浮かんでいる。

 代替機能を果たすために、ガシャガシャと忙しく動き回っているのは多脚型の駆動装甲(ニスデール・ドライブ)だ。


「ええ。下半身が動かないんです。それを補うためなのか、常に過剰に意識が動き続けていて……同時に幾つものことを、それも集中して考え続けることができる。仮に異能を《マルチタスク》と呼んでいます」

「異能?」

「普通なら通常の人間の機能に従って二本足にしておくところを、八本も扱えるのだから十分に異能ですよ」


 将来は頑丈な駆動装甲(ニスデール・ドライブ)を利用した廃墟や戦場・被災地探索、攻撃的な獣憑きに対する動き回る戦車としての役割を期待されている。

 ああみえて有望株なのだ。


 そして「常に過剰に集中している」異能は、過剰に集中していなければいけないような心理状態だということも意味している。

 ルリエさんに言わなかったが、ビィちゃんは父親の虐待で足を失い、獣を降ろした。

 どれだけのストレスを抱えているのか。予想もつかない。

 ここにはビィちゃんのような子が何人もいる。


 それを思い出していると、ルリエさんも同じ悲痛な思いにかられたのか、宝石が転がるような溜息をついた。


「あの子もネヴのように、苦しい思いをしたのね」

「……」

「先生はそんな子達を助けているのでしょう? 立派だわ。頭もあがりません」


 そういって本当に頭を下げようとするから、慌てて制止した。


「いえ! そんな感謝されるようなことは。今のところせいぜい会話するぐらいしかできなくて」

「大切なことではないですか」

「いや、いや。微々たるちからです。言葉は受け取られなければ意味がない。獣の心をしらない私が彼らをどれほど理解できるか。カウンセラーの数も足りない。せめて、彼らをたすけられる薬が完成すれば、もう少し広く、定期的に、サポートできる手段が増えるかも」

「薬?」

「おかしくない話です。人の心も脳の影響を受けていますから。心の落ち着く物質を意図的に発生させられるようにすれば、人の手も少なに助けられる。一人の医者が何人もの患者に向き合うには時間も手間も足りないから、モノを積極的に活用しないと――」


 これなら私も話せる。すると今度は思ったことがはしから飛び出る。

 つらつら話していると、ルリエさんがあまり芳しくないように眉をひそめた。

 ぱっとおしゃべりになっていた口を閉じる。氷を飲んだように胃が冷えていく。


「あの、な、何か悪いことをいってしまいましたか」 

「……先生。こういう庭は、面白いですね」

「はい?」


 唐突な話に目を白黒してしまう。

 ルリエさんは構わず続けた。憂いた横顔は壊れそうに儚い。


田舎(カントリー)風というのでしょう? 自然豊かで心安らぐ、牧歌的な印象のお庭……という理解でいいのかしら。そういうものを意図的に造っているのね」

「確かルリエさんの母国にも、似たようなものがありましたか」


 ルリエさんが何をいいたいかわからない。

 話に乗ってみれば、彼女は「ううん」と可愛らしく疑問の声をあげた。


「どうかしら……確かに私の国では自然を味わうことをよしとする文化があるの。わびさびだとか、諸行無常だとか、風流だとか。色んな言い方をするわね。

 けれど、それはありのままの自然に心を預けてこそなの。元在るものを感じる。こういうのを味わいたいと想像した『自然らしさ』に加工するというのは、むしろ逆かもしれない」


 異国出身である彼女は、母国の話をあまりしない。

 バラール国では異国民の地位は低い。

 しかも、この地域とは遠く離れた国の出身である東洋人は、近しい特徴を持つ人種にも出会いにくく、非常にかたみが狭いときく。

 彼女も出身国が理由で、相当な苦労をしたのだろう。


「そうでしたか。見当違いな質問を、申し訳ない」

「とんでもありません。こちらこそ異国自慢のようになってお恥ずかしいです。偉そうにいっても素人ですから余計に。ですが、久しぶりに昔を懐かしんでとても楽しかったです」


 苦労をみじんもかんじさせない温和な笑みのあと、彼女は居住まいを正した。


「でも、そういう国から来たかしら。頭がかたいと笑われるかもしれないけれど、薬を使うのは人を加工するようで、ちょっぴりコワイわ。娘にはなるべくそのまま、身を損なうことなく幸せになって欲しいの」

「――――」

「ごめんなさい。貴方のいうこともわかるのよ。所詮、医療をかじってもいないただの女だもの。だからこれは私が勝手に怖がっているだけ。忘れて下さい」


 話は終わったとばかりに、ルリエさんはベンチをたった。


「お飲み物をとってまいります。先生、子ども達をよろしくお願い致しますね」


 優雅な所作で会釈して、建物の方へ引っ込んでいく。

 私はしばらく、ちからの入っていない握りこぶしをつくって、動けなかった。


 まるで意見が通らずに癇癪を起こした子どもめいたショックを受けていた。

 こうなればもっとよくなる――いい考えだと思っていたのにけちをつけられたことが、ではない。

 一人の女性に否定されたことに、自分の全てを拒絶されたかのような過剰な痛みを覚えた自分自身が、何よりも衝撃だった。


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