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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第二章 眠れる青を起こしたならば
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第二章・エピローグ

 イデは目を見開く。

 ダヴィデを切り伏せたのと揃って、ネヴも前のめりに倒れたのだ。

 身を守るため床に手をつく予備動作もなかった。

 なるべく大きく一歩を踏み出して、無防備になった背中に触れる。


「おい、ふざけるな、やめろよ」


 なるべく優しく揺らせば、「ううん」と愛らしいうなりが返ってきた。

 手を当てた背筋から規則正しい呼吸のリズムを感じる。彼女の体重は意外に軽い。記憶に残っている戦いぶりと繋がらない。

 イデの目元が無自覚にゆるむ。


「ネ――」

「四方八方から朱色のステンドグラスが回転して、沈殿した階層が意味不明……」


 安心して抱き起こそうとして、取り落としそうになった。

 意味不明な言動に、目の前が暗く染まる。

 

(間違えた? それともダヴィデのダメージを反射したのか? なんで俺が無事なのに?)


 思考はどんどん悪い方へ転がっていく。


 助けようとして、すべて無駄に過ぎなかったのか。

 大学と同じだ。自分では何かできるはずだと思っても、本当はなにもない。

 やはりイデの努力は筋違いで、今よりマシな存在になろうだなんておこがましい願いなのだ――


 固まったイデの隣に、色素の薄い金色の影が過ぎる。

 軽やかに動くシグマが、遠慮なくネヴのぷにっとした頬をはたく。


「寝ぼけるには早い」


 乾いた音が鳴る。

 頬を打たれたネヴは、冷たい氷を一気にかみ砕いたかのように額を抑え、ちかちかと瞬きした。

 やがて瞳に正気の光が戻る。


「……い、いたい……」

「よかった。もうちゃんと話せるね。大丈夫?」

「おかげさまで。少しだけ反動がきて、認識がゆさぶられた感覚がしましたが……問題ありません」


 イデの体に手を添え、支えにしてネヴは立ち上がる。

 主張とは異なって、すぐにぐらりとくずおれてしまう。今度はしっかりと抱き留められた。


「嘘つくなよ。これ全然だめだろ」

「うう。最後の最後で、情けない……」

「十分すぎるほどよくやりましたよ、ネヴちゃんは」


 恥ずかしがるネヴをシグマが励ました時だ。

 巨大な揺れと轟音が三人を襲った。

 心なしか既視感がある。そして揺れにはいい思い出がない。

 さっと眠るように目を閉じているダヴィデをねめつけた。


「こいつ、まさか自分に何かあった時に発動する罠でも仕掛けてやがったのか!?」

「むしろ父親の方かも。息子が役目を実行できなくなった時、敵を、正体がばれては領地の醜聞になる息子ごと始末できるように……」

「とにもかくにも逃げないと! イデさん、ダヴィデさんを抱えて下さい!」

「はあ!?」


 飛ばされた指示に思わず目をむく。


「アンタ阿呆か!? 一人じゃたてねえくせによ、他人(ヒト)の心配してんじゃねえよ! おいてきゃいいだろ、あんな奴!」

「心配してません。ですが彼は貴重なサンプルです、薬の解明に役立つかも。研究部も欲ししがる。昨日が停止しただけで生命活動は続いている。父親が死んだ以上、彼の証言は在った方がいいんです!」


「ネヴちゃんのいうことも一理あるよ。データは多い方が助かる。研究部の奴にも媚びを売っておいて損はない……と思う」


 シグマまで援護射撃をしてきた。

 研究部というのはわからないが、異常な存在を相手にするのだ。怪奇を解き明かそうとするチームがあるのは納得できる。


 だがイデがダヴィデを運べば、ネヴはシグマが運ばなければならない。

 女性に力仕事を任せるのは不安だ。

 しかし、力強い二人の表情を見れば、断れば自力でダヴィデを引きずっていこうとするのが容易く目に浮かぶ。


(こうなったらネヴもクソ野郎も俺が運ぶか!?)


 ストレスに口角の筋肉が引きつった。

 その時だ。

 久しぶりに耳にする気がする。ミルクチョコレートのように甘く耳障りのよい声が響いた。


「待たせたねえ!」


 光を透かさぬほど赤い髪をした色男。

 彼は錆びたトロッコに乗って、研究室の扉を砲弾のような勢いで破って現われた。

 ネヴが一気に声音を何オクターブもあげ、嬉色に富んだ歓声をあげる。


「アルフ!」

「ごめんね、時間がかかってしまった! 途中からトロッコに乗って逃げ回りながら探してたんだけれど、この炭鉱、ありの巣みたいになっててさ。ほんっと焦った。会えて嬉しいなあ! 安心して、助けに来た……ん、もう終わってる?」

「喜んでる場合じゃねえ! そのトロッコ使えるのか!?」


 少しでも早く突入しようとしたのだろう。

 レールから外れ、器具を破壊しながら転がるトロッコを指さす。

 あれをレールに戻すのは難儀する。

 囚人を脅す地獄の鬼のような顔で迫るイデに、アルフは軽快にウィンクした。


「オレを誰だと思ってるんだい? 予備も部屋の前に置いてきたさ」


 バンっとアルフの背中を叩く。力加減する余裕はなかった。

 全力の衝撃を受けたアルフは「んッ」と呻きを堪える。

 そしてイデに俵抱きで持ち上げられたネヴを見て、一瞬笑顔を向けようとして、さああっと青ざめた。


「ちょっとォ! なにその出血!? なんなのよぉ! あーもうこうなるのが一番心配だったんだって!」

「じゃあ出たらすぐ病院だな!」

「当たり前だよ、ここから真っ直ぐ機関車へ直行だッ! 寂れた街の医者なんぞあてになるか、傷が残ったらタダじゃ済まさないからな!」


 怒りを煮え立たせても、状況を素早く把握したアルフは素早くダヴィデを回収した。

 一斉にトロッコに飛び込む。


「お嬢じゃないが荒いぞ、しっかり捕まってね!」


◆ ◇  ◆


 イデ達の帰路に妨げはなかった。

 屍犬の代わりに纏わりついたのは、むせかえる血腥(ちなまぐさ)さだけだ。


 研究室を出た通路、下り道、出入り口前。

 見えるところ全てに、周回遅れで死を迎えた殻が落ちていた。

 張り付いていたゾンビは生まれ変わることのなかった蛹のように転がり、犬は四肢をなげ出して二度と動かない。


 本来の死に落ち着いていく。

 あたまてっぺん(ダヴィデ)から末端(デイパティウム)までが眠りについたのだ。

 爆弾の破裂と山が崩れる騒音だけが重苦しく吹き抜ける。

 炭鉱が巨大な墓に変わったようだ。


 それとも炭鉱夫達がいなくなった時点で、この山は死んでいたのだろうか。

 不気味なほどの静寂に満ちた空間を、時に切れ端としなびた腸を轢きながら駆け抜けた。

 借りた宿を一瞥もせず通過して走って行けば、何事かと住人達が見物に来た。


 ケープを軽く肩にかけた、青い目の中年女性だ。

 疲れているのか、こめかみから結んだ髪がほつれて飛び出している。

 不信と好奇心、食卓のライトで照らされた瞳は無垢だった。


 弱者が望みをかけた支配者がいなくなったことなど知るよしもない。

 彼らはこの後ディナーに戻り、おかしな来訪者のあらぬ噂を創作して、明日の家事と食い扶持を考えて眠りにつく。

 胸先に裁縫針でひっかいたようなか弱い痛みを覚えた。


 隣をアルフとシグマが走っていなければ、一歩ぶん止まって振り返っていた。

 ネヴの口数は少なかった。

 眠たいのか耳元でモゴモゴいってこそばゆい。

 イデの感傷を見抜いたか、シグマが「足とめたら除細動器……ね」と尻を叩く。


 そうして速やかに滞りなく辿り着いた駅で、貨物車じみた小さな列車が待っていた。

 すぐに頭に帽子をのせた駅員が降りてくる。

 あらかじめ、緊急離脱の可能性に備えていたようだ。


 マフラーを巻いて寒さに我が身を抱きしめて出てきた駅員は、四人に笑いかけようとして、濃密な死臭に生理的に眉根を寄せる。

 単純に臭いのだ。幸か不幸か、イデ達自身には認識できないが。人間の鼻は一時間もすれば、酷い悪臭にも慣れて感じ取れなくなるという。

 駅員は鼻をつまむのを我慢して、四人を列車に押し込んだ。

 ダヴィデも手慣れた手際で雑に運転席に投げ込まれていた。激しく体を打ち付けた音がしたが、何も起こらない。

 彼は運転席につくと顔だけ覗かせ、アルフを呼ぶ。


「トレイン、なるべく早く出す準備を」

「重大な負傷ですか?」

「いいや。だがBR関連だ。大事に備えて検査と治療を急ぎたい」

「ドラード先生?」

「彼はいない。サラ・ブラウンに連絡して」

「承りました」


 アルフと駅員が簡潔に会話するのを意識の隅で聞き流す。

 行きに乗ったのとうり二つの座席に、そっとネヴを座らせる。

 長いまつげを伏せて黙り込めば、彼女はできのいい人形のようだ。

 イデもどっかりと座って、祈るように組んだ指にひたいを乗せた。


 もう大丈夫だ。

 安心を取り戻すと、頭に青い瞳の中年女性が浮かぶ。


「ダヴィデを奪ったら、俺らがこの街を殺したことになんのか」

「……いいえ。この街は平気でしょう」


 独りごちたつもりだった。

 憔悴していたのに体に影響がないのか。せいた気持ちでネヴを見れば、目を瞑ったまま白い唇を薄くあけている。


「魔眼で見たとき、ダヴィデに向かう沢山の剣と、イデさんから放たれる剣がみえたんです。民の声とイデさんの声の間で苦しんでいたおかげで、なんとか歯車を狂わせられました。

 今思うと、同じ民の声でも、彼に届く願いは様々にあったはず。きっとあれもまた基準」

「どういう?」

「多数決と距離です。距離が近ければ近いほど。そして――数が多ければ、多いほど。彼はそういった願いをより正しい願いだと判断して、優先的に叶えたはず」

「……」


 イデ自身、彼の仕組みに思考を巡らせたのだ。

 ネヴのいわんとする真実がわかってしまう。隠せずに現われた渋面をネヴは見れない。


「間違いなく、この街の人々は彼にあの所行を望んだんです。決して少数の願いを歪んだ形で受け止めたんじゃない。

 自分が綺麗なまま得をできるなら、汚れた誰かなんていくら犠牲になっても構わない――気づいていて知らないことにした。そう決めた人が過半数なんですよ、この街は」


 血の気を失った唇が歪に歪む。

 初めて見る、嘲りの笑み。


「自分ではなにもしない。期待して、責任から逃げて、止まって待つ。血の流れが滞れば肉は腐る。

 この街はとっくの昔に死んでいた。このままいずれなくなります。ダヴィデがいようがいまいが、自称不幸で平和な日々は変わらない。お望み通りで満足でしょう?」


 眠れる理想の青薔薇(ブルーブラッド)を起こしたところで、民に熱がないのなら、栄えは決して訪れない。

 腹から赤い血を流す彼女はからりと笑って、頬を冷たい窓へ押しつけた。


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