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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第二章 眠れる青を起こしたならば
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第十四話「恥を忍んで死んでくれ」


 ダヴィデの合図に、研究室じゅうにあふれていた肉達が一斉に鎌首をもたげた。

 老人を縛り上げた肉ロープも、机の下で横たわっていた肉も活き活きと蠢く。

 じゅるじゅると水気をふんだんに含んだ行進のハーモニーが耳朶を汚す。

 同じ方向へ川のように流れる肉は、貪りあうように折り重なって塔を作った。


 そうしてあっという間にディティールを詰めて、ひとつの形へと練りあがる。

 皮のないむき出しの手足で立つ人型のなにかへ。

 その体躯は随分がたいがいいはずのイデよりも大きい。天井すれすれに届く頭の位置からして、二メートル半から三メートルはあろう。


 蘇りのヒト。意志なき巨人。死者を知る者が夢想と恐怖のなかで産み落とした怪物。

 眼球はなく、形だけ繕った空っぽの眼窩が人間達を睥睨する。

 暗い目の穴、歪んだ形に開いた歯抜けの口から、イデ達は明確に作り物の敵意を感じ取る。

 それに応えるように、巨人の不自然に大きな腕が振り下ろされた。


 全員ほぼ同時に後ろに飛び退く。

 今度は巨人をあいだに挟んだダヴィデは、軽い口調で告げた。


「じゃあ、僕はいくね。喧嘩は下手なんだ。彼と戦って弱った頃にまた来るよ」


 そういって、出てきたときに使った女神像の向こうへ(ひるがえ)ろうとする。

 明かりもなく見づらいが、扉がある。そのドアノブに手をかけようとしたのを観て、おとなしかったシグマが鳥のように声を張り上げた。


「いかせない、我々から逃げるなッ!」


 突き刺さるような声と揃えて、机にあったノミを掴んで投擲する。

 ノミは矢のように真っ直ぐに飛んだ。

 散々人間の解体と加工に用いられてきたのだろう刃は、ダヴィデの手の甲のど真ん中に突きたつ。


「ちょっと。やめてよ」


 彼は目をまんまるく見開き、力尽くで引き抜こうとしきりに腕を引く。


 しかし刃は深く、根元まで刺さってしまっている。

 切断しようにも動けないので器具を取りに行けない。

 もう片手で手首を掴み揺らしても、傷口から体液がでていくだけだ。

 どうみても血液ではない。やけに愛らしいピンク色にイデは顔をしかめる。

 芥子の花(セティゲルム)のような色をした体液は、よほど粘度が高いのか、ぽったり、ぽったりと落ちていく。


 それを観て動じないのはシグマだけだった。ガッツポーズすらきめる。

「よし」

「ひょええ……」

 容赦のない一投が怖かったのかネヴは奇妙な悲鳴をあげた。


「怯える場合じゃない。生きているぶんこっちがジリ貧なんですから」

「うっ、は、はい……でも幸いにも、この巨人を形成するのに肉は使い切っているようですね」


 魔眼で肉の気配を探ったネヴは、息を整えて刀を抜く。


「分散し直して手首を食わせようにも、ロープでは私に切り払われるだけ。巨人がいる限りダヴィデは逃げられない……」

「つまり巨人にはいてもらったまま、アンタがダヴィデに辿り着かなきゃいけねえわけだ」


 指を鳴らして前に出るイデの横に、落ちた手術道具を拾い集めたシグマが並ぶ。


「そしてダヴィデさんへネヴちゃんを届けるためには、巨人がネヴちゃんを邪魔しないよう守る必要がある」

「俺が相手取ればいいんだろ」

「不安だね。でも体格的にはそういう形になる」

「炭鉱に入る前の私の話、忘れたんですか?!」


 黒い目はダヴィデを補足したまま、ネヴは二人を責める。

 視線の先では自由を諦めたダヴィデが、困ったように甘い色の毛先を指先に巻き付けて遊びだしていた。


 ネヴの話は覚えている。

 ダヴィデは他人の心を反射する。肉体を殺せない以上、非実在の部分を破壊するしかない。

 しかしそれをすれば、傷までも反射して、周りの人間まで壊す危険がある。

 わかっていて、今度は受け入れない。


「あいつ、なんか気にいらねえんだよな」


 半分本音だ。

 ダヴィデに対しての嫌悪は生理的なレベルにまで達している。

 綺麗なヒトの姿に反し、中身は醜いという形容すら意味をなさない怪物だ。

 美醜で判断しようにも、中身がないのだから。

 人間の葛藤などみじんも持ち合わせないくせに、他人の生はずかずかと踏み荒らす。

 一方的な善意と価値観で、自分ではなにも考えずに大衆への奉仕種族へ加工する。


 相手が血肉をわけ、愛を注いでくれた親であっても。

 どうしても許せない。


「いいから行けよ」


 迷うように振り返るネヴの背を押す。

 彼女は一瞬瞳を揺らした。

 それでもダヴィデを睨む眼光は一層澄み渡り、刀の切っ先の鋭さが増したのがわかった。


「では。全て、頼みます」


 深く息を吸って、スキップのように一歩、二歩と踏み出す。

 そして三歩目で体勢を低くし、次の瞬間、バネではじかれたように飛び出した。

 巨人の股の下を凄まじい速さですり抜ける。

 その長大な腕を伸ばそうとした巨人の腕を、イデはすぐさまからめとった。


 自分より大きなものなど相手取ったことなどない。

 未経験の重みが白く太い腕にのしかかる。

 骨と筋肉がきしむのが聞えてくる気がしたが、構わず左手で相手の胴体を抱え込んだ。

 しっかり両足を地面につけ、獣めいた雄叫びを上げる。

 引き倒すまでは出来ずとも、中途半端な位置にあった腰に抱きつかれた巨人の腕はからくも少女に届かなかった。


 魔術命令を刻まれているだけの肉塊が、生きたままはらわたを抜かれた獣のような甲高い鳴き声をまき散らす。

 パンチを繰り出そうと大きく振りかぶった反動で、イデもあっさり振り払われてしまった。

 ごうと風をまとって突き出された拳をすれすれで避ける。


 その首筋をかすめて、分厚い肉切り包丁が通っていった。

 回転し円を描いた銀の光が、巨人の眉間に突き刺さる。

 巨人はさほどの痛痒も感じていない様子で、きょとんと投擲者のシグマを視認した。

 包丁は細かな肉が繋がった額の奥に、ずぶりと呑まれていく。


「少しは生物らしくしろ!」


 悪態をついて、今度は除細動機を手に取った。

 ただでさえ頑丈に欠ける女の体では、巨人にみすみす近づけない。

 彼女をあざ笑うように口元の空洞が深まった。

 そしてイデを目前の敵と定めたか、猛然と覆い被さろうとした。

 

 最初の数回は、相手の軌道に合わせて腹を引っ込めて飛ぶようにして交わす。

 巨人はじれて、かわされるたび腕の振り上げ方を大きくしていく。

 そうしてうながしたタイミングを、イデは明確に捉えた。

 近づいたのを狙い、相手の腰に手を回して脇を抱え、ぐっと重心を落とす。

 己の軸のような部分が壊れるかと思った。


「やれ!」

「いわれなくともッ」


 シグマの激励にカチンとくる。ストレスをぶつけるように丹田にちからをこめ、一気に、赤黒い巨体を浮かす。かすかに重みが(くう)が溶けたような奇妙な感覚。次には地面へと巨人をたたきつけていた。


「お、おお……やっちまった……」


 衝撃によろけるも、自分でも驚くほど冷静に見極められたことに、若干の興奮を覚える。

 だが喜びは続かない。

 倒された巨人が立ち上がれないように全身を蹴ってやろうとした途端、肉がぐずぐずにとけだしたのだ。

 分散して攻撃をかわしてから、再び巨人へ生まれ変わるつもりなのだろう。

 予想外の動きに思わず固まる。

 シグマが肉だまりの中心に「ぽん」と除細動器を投げたのは、そのときだった。

 スイッチの入るシンプルな音が響く。すると除細動器を抱える形になった肉だまりが間欠泉のようにわき、不気味に痙攣した。


「ああ、そこは肉なのね。運がいいや。神経は電気で動くってきいてたから、うまく混乱してくれないかって思ったんだけど」


 それでも完全に同じではなかった。

 除細動器の刺激によって動きを阻害された肉の割れ目から、ピンク色の粘液がしみ出しだす。

 床を塗らす液体の量が増えるほど、肉の動きがスムーズにほどけていく。

 よくわからないが、これが死者達を動かす一因のようだ。

 再び動き出すまで、そう時間はかからない。


「ネヴ!」


 まだか。彼女が本体(ダヴィデ)にとどめをさせば、このデカブツもとまるのではないのか。

 祈るような気持ちで視線を走らせる。

 ダヴィデの前には、既にネヴが辿り着いていた。

 ただまだ、一太刀も浴びせずにいる。


 先ほどの会話もあって、すぐに察しがついた。

 斬るべき箇所を見定めあぐねているのだ。

 そばにイデ達がいるせいだ。


 ネヴだけだったら、一度や二度失敗して、自壊しても構わないと斬りかかっていたかもしれない。

 それを今は、イデ達への影響を最小限に抑えるため、一撃で確実に仕留めようとしている。


 されどダヴィデの精神構造は複雑怪奇。

 恐らく彼自身、ネヴの魔眼の対策をして、弱点を見つけづらくしているのだろう。

 ネヴが自身の犠牲を顧みないことも、ダヴィデの対策も、うっすら懸念していたことだった。


(どうする、どうすればいい。あいつが一発でほころぶような決定的なポイントが見つかればいいのか? そのためには? 精神を守れないようにする? 動揺すればいいのか、あれを、どうやって)


 イデは必死に考える。

 しかし一人ではすぐには思いつかない。だから頭に浮かぶまま声をあげた。


「シグマ! ダヴィデの『行動規範』の優先順位(・・・・)はなんだと思う?」

「何、いきなり」


 うかつに近づけば、かえって邪魔になる。

 隆起を繰り返して再生に近づく肉だまりを監視しながら、シグマも答えた。

 半眼になった目には、イデの質問の意味を探る気配がある。


「一見人間に似ていても、あれは死体人形なんだ。感情や願いがあって行動を起こしたわけじゃない。

 機械みたいに、あらかじめ用途が決められている。そのうえでどういうときにどう動くのかという『方向性』を決めさせるルール、基準があるはずだ」

「決められた信号に従うみたいに?」


 シグマのたとえに、なんとなく頭のなかにあった考えが形になってきた。

――そうだ。失敗しないように、確実にルールを把握しなければ。もうわかっているはずだ。頭の奥にぼんやり答えが漂っているのは確信しているんだから。


「青だったら進む、赤なら止まる。ダヴィデは基本的に人を望みを叶えようとするんだろ。ならどういうルールで優先して助ける相手を決めるんだ」


 ようやく納得した風に軽く首を振る。

 視線は肉とダヴィデの間を行き来していた。

 なるべく時間を稼ぐつもりか、何度も除細動器をたたきつける。肉の焼ける匂いがした。


「生みの親を殺すぐらいなんだから、民が最優先なんじゃ?」

「そうだ。民のために父親を殺す。

 だがダヴィデは、父親が俺達によって研究室に連れられてきているのに気づかなかったよな」

「……そうね。私達がいることは知っていたのに」

「真っ先にネヴを連れ去ったのはなんでだ?

 あいつを優先して連れ去る理由があったとはいえ、もしも本気で俺と協力できると思っていやがったってのなら、分断しようとは思わなかったはずだ。

 多分、『本当にいるかわからなかった』から、確実に捕らえようとしたんだ」


 イデのいわんとしたことを読み取り、はっとシグマが顔をあげる。


「私達の位置はわかったけれど、お嬢の位置はわからなかった? だから確実に私達とお嬢がそろっている瞬間を狙った? ということは、ダヴィデにとって、私達とお嬢は違う目で見ている?」

「ああ。そしてどんなにそうした方が便利でも、一度相手のポジションを定義してしまうと自力では変えられない。つまり不変の、絶対的な基準であるはずだ」


 まず父親は「尊敬すべき相手」「制作者」として、ダヴィデよりも上位の存在だ。

 同時に、父親自身が定義した《上位者》のルールは民を守ろうとするもの。

 父親は上位者ではあるが、民より優先順位が低い。

 そしてダヴィデはイデを「民」と認識していた。下層民だからだ。


「だったら、犬に襲わせて連れ去らなきゃいけなかったネヴはどう認識されてる?

 そこで思い出した。ダヴィデはモデルとなった本物のダヴィデを参考にしている。


 本物のダヴィデにとってネヴは幼馴染みだ。同じ上層民だ。平等な相手だ。


 死体人形のダヴィデも、ネヴに対して同じ認識をしている可能性が高い」


「上位者である父はダヴィデにとって管理者。彼に強制的に干渉する権限を持たない。

 民は下位者であるため、領域内では情報を勝手に知ることができる。そして庇護対象でもあるために、何よりも優先する。

 ネヴちゃんはどちらにも属さない。身内でも上位でもないが、プライバシーは守る……いわば……客人(ゲスト)?」


 ゆえに「ホスト・領主として活動できる範囲」だけ行動できた。ネヴの借りた家を襲ってこなかったのはそういうことだ。招かれていないから、不躾に尋ねられない。


 領地たる炭鉱に来られても、危険因子と判断して犬はけしかけられたが、下位ではないためネヴの位置情報を把握できなかった。

 イデ達「下のもの」の位置はどこにいても認識できるが、ネヴは認識できないから。

 「下のもの」の位置を探し当てた後、犬に肉眼で確認させ、自分の目の前まで連れてこさせたのだろう。


 だがここで重要なのは、ネヴがダヴィデにとって平等であるという点ではない。

 イデが、下の人間だということなのだ。

 それはもう絶対的なのだと、確信する。

 やっとシグマとの会話で行った確認に見いだした可能性を実行する気になれた。


 フゥウウウ、と威嚇する犬のような深呼吸をして。

 イデはダヴィデに向かって懇願した。


「助けてくれ!」


 貴族らしい優美と余裕に溢れた表情だったダヴィデの双眸が、すぐさまイデを射貫いた。

 助けを求めるか弱い赤子を見つけてしまったかのように。

 下々の声に応え、救わんという基本ルールに突き動かされて、イデのもとへ歩み寄ろうとする。


――頼むから、早くネヴに殺されてくれ。


 イデの心からの叫びが、そんな願いから発したものだったとしても、ダヴィデにとっては真実「助けを求める声」であることに変わりない。

 なにせ、請われるままに老若男女の尊厳を踏みにじるような、歪んだ倫理(ルール)で構成されているのだから。


「――隙あり!」


 完全に救うべき民に意識を向けた支配者の前で、少女の刃が翻った。



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