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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第二章 眠れる青を起こしたならば
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第十話「代替救助」

「本当は、怒りながらもわかっているんだろう?」


 ダヴィデは眉尻を下げ、ネヴと目を合わせる。

 聞き分けなく癇癪を起こした子供を慰めるようだ。


「みんなが清く正しく美しく。君が愛する獣のように、自分でも止まりたくても止まれないほど走り続ける熱情を抱けるわけじゃない」


 世界は、君の理想通りには回らないんだよ。

 大人になるにつれて受け入れるべき残酷な事実を、代わりとばかりに囁く。


「みんな違う。白黒はっきりさせるだけで、幸せになれないヒトもいる。

 例えばほら、労働階級さ。苦しみはそれだけで毒だ。働き詰めで、誰もやりたくない仕事ばかりをする。貧しくて、明日も同じだ、いっそ死にたいと絶望して眠る。

 だけど、代わりがいれば? 誰かの不幸があって、耐えがたい苦痛が和らぐことで笑う余裕を取り戻す人だっている。

 曖昧にぼんやり清濁を受け入れれば、暗い気持ちに押しつぶされずに明日を迎えられる人たちがいるんだ」

「誰かを痛めつけても許される理由をつけても、押しつけは押しつけです。悪意を持つことを覆い隠してなんになるんです。そこまでして守らなきゃいけない善人性ってなんですか。やりたくてやったんならはっきり言えばいい」


 反論の声が弱い。

 何故なら、ダヴィデがいっているのはネヴにもわかっていることだったからだ。

 ネヴの心の反射。そんなものを認めてはいけないと理想を掲げながら、内心、それが認められれば楽になれるのにと思っている願い。

 その願いを外に出せば、端から醜く腐りだすと知っているのに。

 甘い腐臭がする夢は、人の心をやさしく誘う。


「みんな、楽がしたい。余裕が欲しい。なんなら幸せになりたい。

 都合がよくて何が悪いんだ、一番美しい答えに従えなくって何がダメなんだ。人間は完璧超人になるために生まれたんじゃない。幸せになりたいから生きるんだ。

 まず、余裕をもたなきゃ。だから明日も楽しみだと思える。

 そしてもっと幸せになるために楽しみを探す。

 楽しみのためによりよいすべを探す。それが積み重なるうちに文化が育ち、ルールが整備され、みんながより幸せになれるよう成長していくんだよ」


 ダヴィデは身を乗り出すのをやめ、改めて立つ。

 ネヴは意識の隅で、彼が少年の前に置いていた皿から軽い動作でナイフをとったのを見た。そのナイフは細く、全体に比べて比率の小さい刃には緩やかなカーブがある。


「この町では僕が、その成長の一番最初だっただけだ。理由を聞いてきたね。僕がどうしてこんなことをするのか。でも、僕が生まれた理由は聞いていないはず。僕を生み出すちからを得た――獣憑きになった理由。

 ネヴィちゃん。安寧ってどこから来ると思う? 父さんの場合、夢だった。僕は父さんの夢なんだよ。


 町の人々を幸せにしたい。我が血をひいた優秀な息子が欲しい。できることなら、息子が自分のあとを継ぎ、町と家に安寧をもたらして欲しい。

 それを具現化させるために挑戦して、成果が見えるたび一喜一憂。

 知的活動って楽しいよね。ヒトの役に立つって嬉しいよね。自分の好きなことをするって最高だよね。


 いっそいってしまうと、夢は叶わなくたっていいんだ。その幸せさえ、得られたら。夢のために努力したという自己肯定感、夢が叶うかもしれないという期待感が楽しめたら。

 死者を操ることへの嫌悪も、所詮は非難されない立派な一市民とみられるために、わけもわからずとってるポーズだって人は、山ほどいる。

 アダムとイヴが猿と呼ぶ論が糾弾されたのが、今は昔となったように。いずれ儚くなる」


 先ほどのネヴを真似するような言い方で、丁寧に、抱いた怒りを否定していく。

 拾いあげたナイフから血をふきとって。空気のように柔く軽い笑顔を浮かべ続ける。


「ネヴィちゃん。どう思う? 君は人の弱さを許してくれないの? 持たざる人間は、強くあるための土台を作る材料の数からして差がありすぎる。君のうたう美しさは豊かな身分に生まれた人間の傲慢ではないのかな? 上から目線で批評して、彼らの幸せを奪うの?」


 痛いところを突かれた。喉がひゅっと鳴る。


(違う。人を傷つけたいわけじゃない)


 無自覚にたわわな胸元を握る。


「僕は心の鏡だからネヴィちゃんのこともわかってる。君にとって大切なのは善だとか悪だとかそういうものじゃないはずだ。他人の弱さを許さないような酷な人間ではないはずだよ」

「……善悪そのものに……何の、意味もない。幸せでさえあれば悪があったっていいはず……人なんだもの、弱さを否定するわけじゃ……」

「そう。それが君の本音。一人でも多くが幸せになってほしい。でしょう? そう願うのは、ばかなことじゃない。優しくて素敵じゃないか。過剰な正義感で、あるはずだった幸せを押しつぶすことなんかない。無駄な争いは捨てよう。僕らは仲良くなれる」


 暖かな手でネヴのそれを包む。

 一瞬、握り返そうとしてしまって。

 そのときネヴの脳裏に浮かんだのは、エメラルドグリーンの目だった。


 足りないものだらけ。小汚い路地で罪にまみれて生まれる下層の生まれだと見下され。何をなしても色眼鏡。善行をしてみせてもどうせ媚びを売っているのだろうと嘘にされる。どう生きても後ろ指を指される。

 当たり前のように奪われる下層に生まれた青年の存在を思い出す。

 何もかも諦めたように見えて、諦め切れていないから怒りを抱き続ける青年のいらついた横顔が、ネヴを責める。


(その怒りを助けたいと思った。彼を見捨ててしまうの? もしかしたら私に似ているかもしれない人。このままでは、何もかも憎んで壊れてしまうかもしれない人に手を差し伸べたいと思った気持ちを、裏切るの)


 助けたいと思ったのはネヴの勝手だ。

 勝手に、期待しているのだ。自分と似た彼を助けられれば、自分を救えるのではないかと。彼を人らしくする怒りの火が消えないことを願っている。

 まさか相手(イデ)にも同じことを思われているとは思っていないネヴは、思い切り唇を噛んだ。血の味が広がる。生きる痛み。獣憑き:ネヴィー・ゾルズィである証。


「でも」

「うん?」

「人間は戦える」


 ダヴィデを振り払う。


「みんな、幸せの形は違うから。貴方と私は違うから」

「何を迷うのかな? みんなが幸せになれるんだよ」

「貴方の方法じゃ、私は無理なの」


 首を振って、小さな願いをはねのける。

 そうすれば楽になれるだろう。不幸にはならないかもしれない。だが、心の底から幸せにはなれないのだ。


「足りないんだよ、そんなんじゃ。ひたすら全力で走ってみたい、誰かが暴れるさまがみたい。

 なあなあで済ませちゃ止まらないうずきがあるんですよ。

 こうしたいっていう心に従って暴れ尽くした後にしか見えないものが、欲しくて欲しくて仕方ない人種がいるんですよ。

 知らない向こう側がキラキラキラキラ輝いて眩しく見えるんですよ、一度知ったら、また見たくてしかたがなくなるんですよ!

 楽だからなんだ! 私が好きな人間はそんなんじゃない! ただ下を見て呼吸するだけの人生で満足なんかできない!」


 オマエは邪魔なんだと突き飛ばす。

 ダヴィデはやれやれと無感動に苦笑した。


「やっぱりダメ?」

「ダメです。ところで、その刃物(メス)は?」


 こっそりとネヴに向けようとしていた医療用メスを、くいっと顎で刺す。

 皿の側にあったということは、犬にネヴを連れてこさせる前からあったということだ。

 今まで何人もの「いらないと思われた住人」から尊厳を奪ってきた凶器に違いない。


「私がノーといったら、私のことも犬にするつもりだったんですか」

「ああ。これ? 違うよ。君にお願いがあったんだ。父さんの夢を叶えるために」

「何であろうとお断りします」

「そう言わず。こっちは君が僕の役割に賛同してくれなくてもいいお願いなんだよ。

 別に君自身は無理にもらわなくていい。ちょっと子宮を譲って欲しいだけで」

「……はい?」


 正気をとりもどした矢先、おかしな話が耳を滑る。


「父さんは僕に家も続けて欲しいと思ってるんだ。でも、僕は色んな僕をつぎはぎしたせいか生殖能力に問題があるみたいで、普通の女の人の子宮を取りだしても跡継ぎのこどもがつくれないんだよ。君のお母さん、霊媒だっただろう? だから同じ血が流れる君のからだなら、できるかもしれないと思って」

「……ああ。だから結婚のお菓子(コンフェッティ)。ヘンなところで奥手というか、なんというか」


 ドン引きして笑ってしまう。

 調子が戻ってきた。あがってきたネヴの心を反射し、ダヴィデが花開くように満面の笑みを浮かべた。


「意中の男性との子供が欲しいなら、精子を提供してくれたら作るから。ダメ?」

「女は捨てているつもりなので子宮提供は構いませんが、貴方に渡したくありません」

「そっか。がっかりだなあ。いいよ、必要だから聞いたわけで、頷いてもらえないかもしれないのはわかってた。君、僕を殺す気だろう? なら、こちらもお望み通り必死になれるよう頑張るよ」


 スポーツマンシップを宣誓するかのように爽やかに、ダヴィデはメスを持った。慣れた手つきだ。既に何人も解体・改造してきたことが容易に想像できる。

 ネヴもまた刀に手をかけるが、その前にダビデは忠告してきた。


「僕は特製品だから、物理攻撃では壊れないよ」

「そうなんですか?」

「うん。偶然できあがった傑作ってやつかな。試行錯誤の途中で思わぬ化学変化が起きる時があるでしょう。僕には作者の父様自身さえどうしてこうなったかわかってない部分があって――」


 言葉は続かない。きくなり、ネヴが腰の刀を抜き打ったからだ。

 横なぎに一閃。

 ダヴィデの首が綺麗にスパンと宙を舞う。

 穏やかなバターブロンドの髪がくるくると床を転がった。深緑の瞳が驚愕に見開かれている。


「いきなり、びっくりした」


 緑の瞳はまたたいて、頭を失った胴体がすぐに拾い上げる。


「試しにいっぺん切ってみようかと。本当なんですね、困ったな」

「困ったのはこっちの方だよ……視界がぐらぐらしちゃう」


 ネヴは血ぶりをして嘆息した。

 ダヴィデは己を頭をいだき、赤い粘菌のからまった毛先をほぐす。


「困ったな。逃げられないね」


 未だ決定打を見定めきれないネヴの焦りを見抜いたか、緑色が弓なりに歪む。

 ダヴィデが一歩、ネヴに近づく。

 

 ダヴィデを切り損ね、不死身の死者に追い詰められる。だが無意味ではなかった。

 あらゆる手段が通じない時、大抵は「時間」が救いになるものである。

 ネヴは十分に時間を稼いだ。仲間が地下でことをなすだけの時間を。

 ダヴィデがネヴに指を絡ませ胸元へ引き寄せたところで。二人がいた書庫を強い揺れが襲った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人(人間が一人と人形が一つ)のやりとりがとても異常に感じられてよいです (ここで言う異常、というのは単純に常とは異なるという意味で、ネガティブな意味ではありません) [一言] 一章時…
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