第六話「さよならミアヤマル」
「こういう時刻を、草木も眠る丑三つ時というそうで。生きていないものまで動きそうなほど、静かな夜ですね。侵入にはもってこいです」
「冗談のつもりか。ヘタクソ」
相手がネクロマンサーと知ってのジョークを切り捨てる。
彼女の言うとおり、時刻は遅い。かろうじて生き残っているガスライトも風前の灯火のように頼りない。月明かりに至ってはとうの昔に、老人の語るおとぎ話に消えた。
肌を裂かんばかりに酷く寒く風の痛い夜に、ネヴ、イデ、アルフ、シグマの四人は、鉱山入り口前の物陰に隠れていた。
ネヴは四人でまわして使っている双眼鏡をのぞき込む。
「む、む、む。まあいいです。ほら、お出ましですよ」
そういって、イデにぽんと双眼鏡を手渡す。イデの手にはやや小さいそれをのぞき込む。
見ている先は、当然炭鉱の入り口である。石でできたアーチ状の入り口は、分厚い唇のバケモノが顔半分を浮き上がらせているようでいやに不気味だ。
闇に目が慣れだした頃、イデは入り口周辺をうろつく『番犬』の姿を認める。
「おい。そういうことかよ」
予想していなかった『番犬』の醜悪さにイデの目元がぴくりと痙攣する。
計画をたてる際、先に視察を行っていたシグマは番犬についてこういった。
――視界は上側で六十度、下側七十度、耳側九十から百度。総合視野百八十度。
気づくべきだった。
イデの知識が正しければ、犬の視界ではない。人間の視界だ。
イデは今更ながら、離れた位置を巡回する犬――顔だけが人のものにすげかえられた
犬を直視する。
その表情もまた尋常ではない。目は限界まで見開かれ、けがれた歯をむき出しにして胃が悪くなるようなうなり声をあげている。
生前に罪を犯したものが悪魔のおもちゃにされて、拷問にかけられているのを耳にさせられているようだ。
「なんで犬の死体じゃなくて、わざわざ人間を改造したんだろうねえ」
「つなぎ目が粗い割に色々やってるみたいですし、練習作なのでは? どこまでできるのか確かめたとか?」
「なるほどね」
流石、獣狩りにたずさわってきた人間というべきか。
ネヴとアルフは同じような悪趣味の産物を見慣れているのか、冷静に予想をつける。
「うん。ダヴィデさんほど構造が複雑じゃないから、見ていても酔わなさそうです」
「酔う?」
「車酔いみたいなものです。色んな人間の意思や情報がごちゃごちゃになったものを一気に見過ぎると、体調を崩すんですよ。集合無意識酔いとでもいいましょうか、今回はダヴィデさんを除けば懸念に終わりそうですが」
ネヴは一層息を潜め、刀に手をかける。
なにげに重要なことをいわれた気がした。だが黙る。
今、いちいち追求している暇はない。
彼女は学校での配布物を親に言われてからようやく出すタイプだ。前もってきいておくべきだった。前もってきいておけばよかった。いい加減学習する。
どの番犬から斬れば効率的に突入できるか、じっくり見定めているネヴの耳元にシグマが唇を寄せる。
雪の精のような顔立ちは暗い。
「嫌な予感が、します。油断しないほうがいい」
「確かにイデさんが心配したとおり数はいますが、四人でいれば問題ないですよ」
「昔、あなたが情報収集にいった酒場で、三人相手に大立ち回りするのは見たことがありますが、心配……です」
「安心なさい。今なら五人はいけますから」
「…………」
「黙らないでください。冗談です。あのときは一般人相手でしたし、今回はなるべく一対一に持ち込めるよう気をつけるつもりです」
黙ったのは本気にきこえて、どういさめるか迷ったからだ。ネヴは呆れられたと思ったらしい。肩をすくめる。
「私、そんなに冗談ヘタですかね」
「そういう問題ではなく」
「わかっていますよ。勘っていうのは生まれてからずっと一緒に育つもの。貴方がそういうのなら、気をつけるべきでしょう。シグマさん、イデさんを頼みます。不慣れな人ですから」
「はい……」
「それ、本人の目の前で言うか?」
戦力外と言われているようでムッとしてしまう。
「いえいえ。そんなことわ。それよりもですね、少し気になっていることがありまして。敵なんですが、襲い来るのは死体だけじゃないと思うんですよねえ」
「あの金ぴかの鎧人形か」
間髪入れなかったイデに凄い勢いで振り返る。
瞬きひとつせず見開かれた目が、大きすぎて怖い。
「なんでわかったんです?」
「あの屋敷にいたビクトリアってメイド、お辞儀してきただろ」
「はい」
「既視感があったんだよ。よーく思い出してみたら、俺の家がぶっ壊される前に手紙を届けにきた女とよく似てた。俺たちにつきまとってくるかもしれない何かっていったら、あの鎧人形だろ。だからビクトリアが鎧人形の使用者なんじゃねえかってカマかけたんだよ」
ネヴは「ほぉおおん」と大げさに驚いてみせる。
「凄いですね……」
「……そ、んなこたねえよ」
「凄すぎて一周回って呆れます、変態じみた記憶力だ!」
「けなしてえのか?」
「まさか!」
「はあ。で? 記憶力ぽやぽやのネヴちゃんは、どうしてわかったんだよ?」
「今の話題で私の記憶力は関係ないでしょ!」
「いいから言えって」
「むむむ。あのお茶会で、ビクトリアさんがしたことです」
「……そういや、ビクトリアがアンタの椅子をひいた時、へんな顔してたな」
「本当に妙に優れた記憶力ですね。そうです。正確には、ビクトリアさんが私の椅子はひいたのに、ダビデさんにはそうしなかったのがひっかかったんです」
ああ、成る程。合点がいった。
人に仕え、仕えられる人間を見てきた富裕層の人間だから如実に違和を覚えたのだろう。
イデは勿論、学校時代も周りは同じ下層民か少し豊かなくらい。大学を目指していた時は富裕層もいたが、彼らとは住む世界が違った。会話もしない。
ハウスメイドそのものは珍しい存在ではない。だが、豊かな中流階級とそれ以上の家庭の話だ。
中流階級が上流に向けて見栄をはって、一人だけ雇うのがせいぜいというレベルなのだから、推して知るべし。
「主従関係にしちゃあ敬意が足りねえな」
「ええ。椅子をひかなかった、つまりダヴィデさんと対等かそれ以上の立場。ということは、ダヴィデさんの仲間というより、メチェナーデ家にチャンスを与えたほうなのでは、と。あとはイデさんと同じ連想をしました」
「じゃあなんで浮かない顔してたんだよ」
「う、だって。思わず顔にだしちゃったの、流石にまずいでしょう。恥ずかしい。先輩なのに。私、先輩なのに」
「まあ、お嬢だからね。でも小さなことですよ。お嬢にはそれが些細になるような素晴らしい美点が沢山ある」
すかさずアルフがフォローをいれる。
突入前だというのにしまらない光景だ。
「注意点はわかったから。まさか俺達はここでのんびりお話してるのが仕事なのか?」
「すみません。では行きますよ皆さん。私が特攻むので続いて下さい」
「えっ」
止める間もなかった。
ネヴは東洋の正座の体勢で待機していたのを弾丸のように飛び出す。
急かしたのはイデだが流石に驚く。
彼女はまたたきのあいだに一体目の犬の前に躍り出ていた。
犬が反応するより先に音もなく鯉口を切る。走りとともに腰をあげ、腰をあげるのと同じ速度で刀を抜き。歪んだ相貌に真っ向から刃を振り下ろす。
さながら一陣の風の如き流れだった。
そうやって犬が頭頂部から真っ二つに切り分けられたのが合図だった。
後をおってアルフとシグマも出る。一歩遅れる形でイデも物陰から追従した。
そういう間にもネヴは飛びかかってくる犬を確実に斬り殺していく。
「生きてもいないのに戦うんじゃない、不愉快な!」
飛びかかってきた犬を軽いステップで交わし、腹の下に刃を差し込んで切り上げる。
剣先にはらわたがひっかかって引きずり出されるのを見てしまう。
うっとしている場合ではない。
イデはアサルトライフルを構える。
炭鉱に入ると爆発が怖くて撃てないが、その前までならば使ってよいと渡されたものだ。
指が酷く重い。
武器だ。誰かを傷つけるためだけに作られたもの。これを使ったら、いよいよもう戻れない。
(今更だ)
引き金に指をかける。
初心者でも簡単に扱える安心設計というお墨付きの種類らしい。
短い教育しか受けていないイデでさえ、引き金を押さえる限り弾が出続ける。
強い反動もイデの体格ならば、存在しないも同然だ。
ネヴの後ろに位置取り、彼女の両サイドから襲い来る敵を撃つ。
前もって決めていた作戦だ。
二人一組でかばい合うように犬を蹴散らす。
イデはネヴと。シグマはアルフと。
現にシグマとアルフは互いに背中をあわせて連射しながら、ゆっくりと着実に入り口に向かう。
ネヴも一見圧倒的優勢であるように見えるが、それでも数はちからなのだ。
殺し合いは一対一が大原則だ。
多数を相手どっていても、ネヴは常につま先を一匹に定めている。
(この分ならなんとかいけそうだ……!)
警戒していた犬の勢いも落ち始め、終わりが見えてくる。
イデはネヴの左側から来た犬に銃口を向ける。
油断した途端だった。ガチン、と嫌な感覚が指先を襲う。
咄嗟に叫ぶ。
「クソかよ、ジャムりがやった!」
イデの報告に反応してアルフがフォローに入ろうとした。
しかしアルフの元にも犬が駆けつけ、うまくいかない。彼もシグマを守らねばならなかった。
銃器を捨てて割り込もうとするも、遅く。ネヴの左腕に犬の牙が食い込む。
「構いません! 利き手でもなし、くれてやる――!?」
ネヴは安心させるように叱咤し、無理に腕を引きちぎろうとした。だが言葉は途中で飲み込まれる。
犬は捕らえたネヴの腕を一層深くくわえこみ、恐ろしい勢いで炭鉱へと引っ張ったのである。
襲われると思っていたネヴは予想外の動きにつんのめる。
体のバランスを崩したネヴは、そのまま穴の奥に引きずるように連れ去られていく。
「ネヴ!」
考えるより先にイデの体が動いた。
イデが撃ち損ねたせいでそうなったという罪悪感と怒り、恥辱が彼の足をしゃにむにに動かす。
シグマがイデを止める声が聞こえた気がしたが構わない。
「シグマ、ここはオレに任せてイデくんを追って! 一人にするな!」
アルフの指示と連射の音をBGMに、イデもまた暗闇のなかへ飛び込んでいった。