第五話「パッチワーク・ミラー」
メチェナーデ家を去ってから、数刻。
四人全員が集まった仮の宿で、ネヴは生クリームをたっぷり乗せたコーヒーに口をつける。家を去ってからずっと釈然としない顔をしていたので、みていられないとアルフがすすめたものだ。
他の三人は席に着いて、彼女が飲み終えるのを待つ。
甘苦い嗜好品で口直ししたネヴは、気を取り直した様子で第一声を発する。
「私もね、どういったらいいか悩んだのですが」
全員が居住まいを正す。
これからメチェナーデ家の謎を解明するために動く。
そのためにそれぞれのもつ情報を明かす。
なかでも、ネヴの魔眼でとらえる情報は独特なものだろう。
イデの脳裏には、あの茶会の一幕が浮かぶ。
たとえ異常な事態でも保たれる好青年ぶり。かえって不気味で不自然なものの正体は、何なのだろう。
「結論からいいます。アレはダヴィデ・メチェナーデではありません」
「それはそうだろ」
「でも、そっくりさんでもない。からだはホンモノだと思います」
「じゃあ、死んだ息子を蘇らせたってことか? だが、死んだときより歳をくってるんだろ」
「だからどういえばいいか迷ったんです。私もびっくりしました。からだは生きてるんです」
イデは一度くちをつぐむ。
質問するたび、予想と真逆の答えがかえってくる。
これがイデのいうことを全部否定してやろうといった卑怯な悪意の類いなら簡単だった。
怒って椅子の一つでも蹴り倒せばいい。
短い沈黙の間にネヴは何度もコーヒーを口元に運ぶ。緊張しているのだ。真剣だ。
「どういう意味だよ」
「かなりややこしいので、事実だけを列挙しますね。でも本質ではありませんから、理解しなくても大丈夫です」
「はいはい」
「コホン。私が見た限り、彼のからだは生きた複数人のパーツを組み合わせてできていました。しかし材料になった人物はすべて同一人物だと思います。継ぎ目が――物理的にも精神的にも――異常に綺麗でしたから。ありあわせの死体の組み合わせでは、ああはならない。容れ物と中身にも相性っていうものがあるんです」
「相性」
「コーヒーに生クリームはあうけど、同じ食べ物でもオリーブオイルとかいれたらまずいでしょ」
わかるような、わからないような例えに首をひねる。
どうすれば理解できるのか考えていたところで、動向を見守っていたアルフが動いた。
「そこは今わからなくてもいいんじゃない? 要点を気にしよう。
あのダヴィデくんの肉体は、複数人からできている。ソレはすべて同一人物。
ダヴィデくんそっくりの顔パーツもそう。彼本人だとして……となると、もしかするとダヴィデくんのクローンなりなんなりを大量生産してからバラして作ったものなのかな」
「一番よくできたパーツをより合わせたんでしょうね。どうやって生物学的に生きたままにしておけるのかわかりませんけど。ダヴィデくんが獣憑きでないなら、父親のパトリツィオさんのほうだろうから……獣憑きの魔術師がやることですからねえ」
「なんのために?」
アルフのまとめかたは、夕飯のリクエストでもたずねるように軽い。
ネヴもそうだ。
具合はこうだろう。今日は疲れたからさっぱりしたパスタでもどう、そうねそれがいいわ。
イデには何もかも理解しがたい。
論理で理解できない世界があるのはわかった。だが、これはヒトのすることだ。
もとより神を崇めちゃいない。
しかし、ネヴの言うところの獣憑きの魔術師――ダヴィデの父、パトリツィオ・メチェナーデ――のしたことは、イデなら絶対しないことだ。つまり気持ち悪い。
同じ人間の量産。
生きたままバラして、つなぎ合わせる。
息子そっくりにしゃべるようにして。
気が触れたまねだ。
父親がそこまで息子本人に執着する理由もわからない。家のために子どもがいるなら、養子でも、整形させた他人でもいいはずだ。
「本体たる獣憑きなりの理由があってのことでしょう。考えてもらちがない。彼ら、合理より願いを優先させるきらいがありますから」
「アンタからすれば、もっと重要なとこがあると?」
肉体が生きているのに、ネヴはダヴィデが死んでいるといった。
本当の関心、釈然としない顔の理由は友人の肉体が弄ばれているという点ではないのだ。
ネヴはイデの指摘に、こらえきれないとばかりに嘆息を漏らして頷く。
「ああ、そうなんです。脱線してしまいましたね。ダヴィデさんはからだこそ生きていますが、中身がないんです」
「内臓的な意味じゃないね? 精神的に歪ってこと?」
「その通りです。心とか自我とかいえるものがないんです」
「感情の類いも一切無い、ってことか? あんなにしゃべってたのに」
アルフとイデは矢継ぎ早に問う。
かなしいかな。気持ち悪いと思うのと同じくらい、好奇心がうずく。
「あれは反射です」
「反射?」
「生前のアイツはこうだった、だから今の彼ならこうするはず。今の私はこう思ってる、だからこう応えよう……相手を反射しているだけ。周りの心をつぎはぎしているだけ。からだだけでなく、心もつぎはぎパッチワーク。オオモトの人格が存在しない」
疲れた顔で目頭をもむ。
「ああ、見過ぎで目が痛い……とにかく、そういうことなので、今回は一対一が望ましいです。」
「なにがそういうことなのでだよ」
感情に合わせて指先が動き、机をひっかいた。ガリ。爪の間に木くずが入る。嫌な感じだ。
「死体なんざ生きてる人間がいればゴロゴロでてくるんだ。複数でくるに決まってる。数は力だぞ、こっちも複数でいけばいいだろ」
「そうもいきません。仰るとおり相手はネクロマンサー。死体っていうのは、一度死んだら二度は死なないのが強みなんですよ。ダヴィデさんだってそう。からだが生きてても殺せないしくみが山ほどありました」
辛抱強く言い聞かせてきて、イデの方がおかしいようだ。
保護者役に目をやる。アルフは腕を組んで難しい顔をしていたが、何もいわなかった。
「物理でやれないなら、私がやるしかない。そして先ほどいったとおり、彼は周りの心を反射するんです。もしも私が彼を壊した時、近くに貴方がいたら?」
舌打ちをしそうになる。意地の悪い聞き方だ。
あえてイデに自分で考えさせることで、逃げられないほどはっきり認識させようというのだから。
「……ダヴィデが俺の心を反射していた場合、俺の心も壊れる可能性があるってことか」
「はい」
ぱぁっと笑顔が広がる。
安堵の表情だ。わかってもらえて嬉しいという意味でも、イデにとっては違和感がある。
「イデさんの言うとおり、メチェナーデも数を用意しているでしょうから、もちろん皆さんの協力が必要です。よろしくお願いします」
うまく言葉がでない。
「ふふ。そんなに案じてくれずとも。嬉しいですけどね」
「別に心配してなんか」
「いいんですよ。単に私だけが決定打を与えられるだけではありません。個人的に、ダヴィデさんは私が応対したい。結構カチンときてるんです」
「怒ってるのか?」
――それはそうか。
情けなくも、イデは喜ぶ。
あらかじめわかっていても、ずっと慣れないことばかりの状況に置かれるのはストレスだ。
やっとヒトがましい理屈を見られたと思って、少しだけ気が軽くなった。
「怒っていますとも」
熱をこめて首肯する。最後に残ったコーヒーをビールよろしく一気飲みした。
釈然としなかったのは、怒りが原因だったらしい。
ネヴは続ける。
「これが無念なり未練なりで死んでも死にきれず蘇ってきたなら、正々堂々うちあってやるのが、かつての友人としての義務だと思ってたんですよ。正直ワクワクしてすらいました。そこまでしようとする思いってどれだけのものなんだろうって」
ゆるみかけていたりきみが戻ってくる。
中年の老眼じみて眉間に皺が寄った。ネヴは気づかない。
「なのに空っぽって。ひどい。ひどすぎます」
「ひどい。」
倫理観的な意味で?
「ひどいですよ! 隙間が多いならいいんです。何事だって物足りなさから生まれてくるものですからね。飢え、大いに結構。誇り高く飢えるならなおよし。でも、そもそも飢える心すらない、ただの反射、プログラムって……許せない……」
歯止めがきかなくなったのだろう。怒りを噴出し、ギリギリと可愛い顔で歯ぎしりをならす。
なんだか思っていたのと怒りの方向性が違う。
戸惑うイデと反対に、ネヴのことをよく知るアルフはさっぱりと口を開く。先ほどから彼がいなければ、何時間と停滞していたかもしれない。
「成程、わかりました。じゃあ、こっちは肝心の話を。盛り上がるのはいいよ? でも相手のいどころに近づけないんじゃあ話にならないからね」
床に置いていた旅行鞄から黄色い巻物を取り出し、机に広げた。シグマが紙が巻き戻らないように、そっと端を押さえる。
「炭鉱の地図です。オレ達がいきたいところは、多分この地図にない場所になるけど」
「炭鉱?」
「うん。町中歩き回ってヒトに話もきいた。しかし、どうにもそれらしい場所がない。シグマが遠くから屋敷を見張りもしたものの、そこも作業場ではないらしい」
「ヒトが少なくなり始めたここでは、情報を隠すのはとても難しい……ですから。元々の住人が多い場所ではすぐに情報が渡ります。炭鉱は外の人間が出入りしても自然で、町の外れにあり、穴もたくさんあるから隠れやすい……と思います」
「これはむしろこっちにも好都合だね。町中はめちゃくちゃ面倒くさいもの」
しばらくフンスフンスと赤くなっていたネヴも、アルフの話をきくうち冷静さを取り戻す。
ポットから二杯目のコーヒーをついで、またちびちびやりだした。
「町で相手を追えば、目撃者もでる。巻き込む可能性も大きい。私、そういうのは苦手です。炭鉱はもう見に行ったのですか」
「ある程度までは」
「なかには入れなかった?」
「犬が……いまして」
犬。
成程、それは妖しい。
寂れた炭鉱でぽっかり口を開けた、先も見えないほら穴の前を想像する。
黒い番犬が、くりぬかれたように落ちくぼんだ眼窩で明かりという明かりをねめつけて、ぬっそり這い寄ってくるのだ。
「夜間になると複数の番犬が現れます。あちらのでかたがわからないんで、手出しはしなかった」
「そうですか。ありがとうございます、アルフ。シグマさん、その犬はどんな子達でした?」
「替えの効く個体として量産されている……と思います。いくらか腐敗が始まっているやつがいました。しかし見る限り、動きに不便はしていません。イデの言うとおり、数は警戒すべきです」
「性能は?」
「速度は通常の犬通り。どこまでも食らいついてくるだろうけど、からだがもろい。囲まれないように気をつけつつ、動けないように仕留めていけば無問題なはず」
「うんうん。視野はどうです?」
「見た目通りで、正常な視野を保っているなら、視界は上側で六十度、下側七十度、耳側九十から百度。総合視野百八十度。視野が狭い分、立体的にものをみて、仲間で連携をとりながら獲物をおいつめるのが目的……かもしれない」
「成程、よし。刃が届く程度近づけるなら無問題です」
「私たちはやりづらいでしょうけどね……」
シグマは若干うつむいて、眼鏡の位置を直す。
日頃から明るいとはいえない仏頂面が一層かげってみえる。アルフが小さな肩を優しく叩いた。
(そうか。こいつら、主に銃がえものなのか)
付け焼き刃の時は、散々投げたり殴られたりしたからわかりづらかった。
狼の時、アルフは拳銃を使ったし、シグマの異能は目と耳に関するもの。くわえて女性なら、ちから勝負にもちこまず距離をとって攻撃したいのが普通だ。
今回むかうのは炭鉱。火薬を用いる銃器は危険だ。
「足踏みをしても仕方ありません。明日の晩、炭鉱にはいりましょう。アルフ、侵入経路は?」
「いくつか見つけてありますが、どこも番犬がいる。まずひとつの入り口を四人で確実に突破してから別れて探索しましょう。時間との勝負です。お嬢はまっすぐにダビデくんを狙って。オレ達はお嬢のサポートをします」
ネヴとアルフはキャッチボールのようにポンポンと話を進める。
憂鬱なのは残る二人だけ、と卑屈になりそうだ。
意識せずシグマの方を見る。
すると、シグマもアイスブルーの瞳をイデへ向けていた。目がかち合う。
「あ」
やってしまった響きをともなった間抜けな呟きが耳朶を打つ。
初めて出会った時の理不尽な冷徹さと、付け焼き刃の際の厳しさを思い出す。
しかし、シグマはしばらく目を右往左往させた後、小さな声でいった。
「…………頑張りましょう、ね」
思わぬ激励に目を丸くする。
真意を問うより早く、シグマは席を立つ。
「明日に備えて、寝ます……」
動いている時が嘘のようなオドオドした物言いで、逃げるように別室へいってしまった。