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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第二章 眠れる青を起こしたならば
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第三話「死者の瞳は明るく輝く」

 ネヴの懐中時計が朝を指し示す頃、二人は夜行列車ウィップアーウィル号から降車した。

 そこからバスと徒歩で一時間ほど移動して、目的地のデイパティウムに足を踏み入れた。

 ところ狭しと古びた家々が立ち並んでいる。

 なかにはまばらに明かりのない家が混じっていた。今はもう住人がいない家だろう。


「昔はそこそこ栄えた炭鉱だったんですけれど、既に斜陽でしてね。若い人がどんどん出て行って、残っているのは外に行けない老人がほとんどだそうです」

「よくきく話だ」


 蒸気文明がもてはやされる現在、夢と熱意あふれる若者にとっては、肉体労働は負け組の仕事に思えるらしい。

 イデもそうだ。できればよりよい学歴と職業がほしかった。

 若者が都市部に流入し、地方は寂れる。よくある話だ。


「憂うべき問題ですが、私たちにとっては好都合です。借りられる家がいくらでもありますから」

 

 ネヴはそういうと、つばの広い帽子をかぶった。

 今日の彼女はいつもの制服めいた服ではない。白は白なのだが、ワンピースを着ている。肩の上から同じ色のカーディガンも羽織る。

 すその部分に青い花の刺繍がされて、見目だけならまるで清楚なお嬢様だ。


「詐欺だな、まるで。目立つぞ」


 似合う、とは意地でも言わない。

 ヒト、特に女の服飾文化はいつだってふんだんだ。機関製の刺繍も出回っているが、それで手製が廃れるということはない。

 一見シンプルな服装でも、見るものが見れば、ネヴの服が丁寧な手製の刺繍だとわかる。

 そして手作業の商品は、えてして高価だ。

 若者が少なく、衰退しようとしている場所で、彼女はいやがおうでも目立つ。

 今もどこからか視線を感じる。


「いいえ。いいんですよ、それで」

「ふぅん。ならいいけどよ。これからどうすんだ」

「まずは先に来ているアルフとシグマさんに合流します。今朝に機関電信機(エンジン・フォン)で連絡を取ったら、町外れの家を借りてくれたそうです。

 ある程度、足で回って地図も作って、聞き込みも終わらせてくれました。期待しちゃダメですよ、メチェナーデ家の情報はロクにでなかったらしいですから」


 前もってきいた話では、ネヴはメチェナーデ家の坊ちゃんのおさななじみ。他の三人はお付きの者という設定になっている。

 下手に宿に泊まるより、従者が先行し、一軒家を過ごしやすいように準備して、お嬢様をむかえる。

 そして懐かしい友人に会いに来たお嬢様は、意気揚々と屋敷を訪れる、というストーリーだ。

 実際は、一網打尽を避けるために二人が先行し、安全を確かめた後で情報収集をしていた。


「少し休んだら、メチェナーデ家に向かいましょう」

「相手の本陣に向かうようなもんだが、いいのか?」

「ええ。真っ昼間っから正面きって、いきなりつっこんでくるようなことはないと思いますよ。多分ね。私としても人混みは苦手ですから、できればそちらの方がいい」

「人混みが苦手ってな」

「あら。単なる好き嫌いではありませんよ。れっきとした理由があります。ダビデくんに逢うのは早めに済ませちゃいたいので、そのあとでお話しますね。ああほら、アルフが見えてきましたよ」


 ネヴは話を打ち切り、遠くへ向かって手をぶんぶんと振る。

 イデの脳裏に白い子犬が尻尾を振っているのが連想された。

 豊かな太陽に焦がされたような赤茶色い家々は、曇り空のせいでかえって寂寥感をきわだたせる。


 土埃の舞う道を二人で歩いてくる男と女がいた。

 目深に帽子をかぶっているせいで気づくのに遅れたが、アルフだった。

 いつものベストに赤いネクタイをして、ジャケットも着ている。

 色男は変わらず。不自然でないように顔を見られにくくしているのかもしれない。


「お嬢、イデくん。長旅ご苦労様。迷わず来られたかな?」

「ガキ扱いすんなよ」

「はいはい。それよりね、君の着替えも用意してあるから。着替えて、紅茶のんで、メチェナーデさんちにいっておいで」

「着替え?」

「うん。君の服装センスが悪いとはいわないし、気を張った格好をしろとはいわないけどね。パーカーは流石にね」

「ぴったりのサイズを探すのが大変……だった」


 そういってシグマがイデの胸に服を押しつけてきた。

 しみひとつないパリッとしたワイシャツだ。


「クソかよ」

「マジかよ……といいなさい」

「そこかよ」


*   *   *

 

 着慣れない服に上半身が拘束されている気分だ。

 表情も二割増しで無愛想になっている気がする。


「似合ってますよ。案外、そういう格好もできるんじゃあないですか」

「そいつはどーも。そんなことより、貴族って割には地味な家だな」


 触れられたくなくて、話題をすり替える。

 イデが見上げたのは、(くだん)のメチェナーデ家だった。

 庭は小綺麗に整えられているものの、豪邸というにはこじんまりとしている。町の住宅に比べれば構えが大きく立派な家だが、派手ではない。せいぜい邸宅である。


「あくまで暗示をかける魔術師に、褒美としての特権を与えるための呼称が貴族ですからねえ。メチェナーデは安定はしてても大きな力は持ちませんでした。

 昔の――機関に水を入れたり、メンテナンスをしたりするゾンビの働き手が居た頃の話ですけど」

「安寧すらもすべて過去の栄光か」


 懸命に手に入れたわずかな誇りと幸福さえ、守り切ることが許されない。

 イデにとっては苦々しい話だ。世知辛い。

 そんな話をしているうちに鉄の門がゆっくり開く。


 現れたのは「優美」という形容を擬人化したような青年だった。

 流れるバターブロンドを一つ結びにして、柔らかなまなざしもあって、遠くから見えれば女性と見間違えそうだ。

 その瞳は雪をかぶった針葉樹を思わせる、深く濃い緑。


 以前きいた話から、イデは彼がパトリツィオ家の死んだはずの息子:ダヴィデ・メチェナーデだと確信する。

 ダビデはネヴを目にすると、花がほころぶよう相好を崩す。


「久しぶりだね、ネヴィちゃん。わあ、綺麗になって……びっくりしちゃった。すっかり元気そうでなによりだよ」


 両手を広げて無邪気に喜ぶダビデに、ネヴはあっけにとられてしまう。


「え、ええ。ありがとうございます。貴方も、その、健康そうですね?」

「うん。色々あってね、詳しくは話せないのが申し訳ないよ。でも、また君に会えてすごく嬉しいよ! ルリエおば様は元気なの?」

「母は……亡くなりました」

「――ごめん。ご愁傷さま」


 ダヴィデは一転、目を伏せる。

 先ほどまで明るかった様子から一気に意気消沈する姿に、イデも困惑する。

 その間もさっくり「自分の正体を話すつもりはない」と意思表示していたが。


(これが死者?)


 目は光り輝き、筋肉の動きにも不自然さはない。

 むしろ肌もツヤツヤで、いきいきしている。


「悲しいこともあったけど、それより今日だよ。こうして会えたんだから。また仲良くしてね、ネヴィちゃん」

「ネヴと呼んで、いやまあ、それはもういいです。はあ、宜しくお願いします」

「おい」


 押されて、質問一つせず「至って普通の」会話をしてしまうネヴに眉をしかめる。

 するとダヴィデもようやくイデに気づいたというふうにイデを見上げた。


「あれ。大きくてかっこいい人だねえ、ネヴィちゃんの彼氏?」

「違います」


 即答だった。


「最近、私のお世話してくれるようになった新人さんです。アルフだって常に私に張り付いているわけにはいかないですから」

「成る程、君もよろしく。お名前は?」

「イデ」

「あまり喋らないね。見るに、下層の出身かな? 気にせず気軽に接してほしいな」

「…………」


 遠慮無く差し出される手を、ぎこちなく握り返す。

 傷ひとつない手だ。爪先も綺麗に磨かれている。

 下層民ならこうはいかない。きつい労働のなかで皮膚は荒れ、硬くなる。

 重い肉体労働を一度もしたことがない人間の手だった。


 ダヴィデは嬉しそうに、イデの硬い手を両手で触れて振り回した。

 いつもなら振り払うが、相手は貴族。関係を悪くしてはいけない。助けを求めてネヴをみるも、彼女はダヴィデを見つめ続けるだけで何もしなかった。


 なかなか手を離そうとしないダビデの背後から、影のように一人の女中(メイド)が現れた。

 金髪を編み込みにし、ロングスカートをはいた可愛らしい少女だ。


「坊ちゃま。お茶会の準備が整いました」

「ああ、ありがとう。紹介するよ、彼女はビクトリア。この子も新人さんなんだ。仲良くしてね。とっても優秀なんだ」

「お茶会ですか?」

「うん。積もる話もあるでしょう? だから用意しておいたんだ。いきなり来るって聞いた時はびっくりしたけど、楽しみで仕方なくって」

「びっくりした? 招待状を送ってきたのは、貴方ですよね?」

「え? 送ってないよ。もしかしたら父様かも。今は病気で出られなくて。僕に教え損ねちゃったのかな」

「そうですか」


 まばたきの間、思案にふけったもののすぐに完璧な微笑を作る。

 その様子に、イデはとりあえずダヴィデのことはネヴに任せようと決めた。


「じゃあこっちだよ。イデさん、できたらネヴィちゃんの話をきかせて。この数年のことは、なんにも知らないから。僕も昔のネヴィちゃんのこと、教えるよ。たくさん面白い話があるんだ」

「ちょっと、勝手にやめてくださいよ!?」

「えー、子どもの頃の話じゃない。いいでしょ?」

「よーくーなーいー!」


 恥ずかしい思い出でもあるのか、ネヴは顔を赤らめて反対する。

 見ているうちに、何故か腹の底に何かがふつふつとわいてくる。

 ダビデの一挙一動に、精神が逆撫でされるような感覚があった。


(きっとコイツがいかにも上流階級で、俺と違いすぎるから)


 自分で思ったことに違和感がある。しかしそれ以外に思いつかない。

 楽しそうにじゃれあう二人の背中を見ながら、あとをついて行く。

 横にビクトリアと紹介されたメイドが並ぶ。

 オマエと私は同じ立場(かれらのした)なのだとでもいうように。


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