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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第二章 眠れる青を起こしたならば
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第二話「夜行列車ウィップアーウィル」

 イデは海に行ったことがない。

 蒸気文明は海に廃液を垂れ流し続けいる。新聞と学者は、やがて移動手段は船から鉄道と空輸に変わるだろうと予言した。

 孤立したバラール国を支える、異常なエネルギー源が海から採取できる竜灰石を採らねばならないから、採取作業に従事する労働者の負担も増していくに違いない。

 とにかく。下層民であるイデにとって、美しい海は縁のない場所だ。


 しかし、もしも。春の海にたゆたってみたならば。

 形のない膨らみのなかに沈み込む、暖かで穏やかな感覚に、そう想像する。


(そうか、夢か)


 ふわふわした心地のまま、だんだん「光景」が見えてくる。

 夢だとわかったのは、イデにしては珍しい感覚に包まれていたことと、見えた「光景」が奇妙だったからだ。

 イデは今はなきボロ屋のテーブルに座って、二人の人間に挟まれていた。

 

 かたやいつものベスト姿のうえにエプロンをはおったアルフ。

 もう一人は、かっちりとしたスーツを着こなすシグマ。

 似合っているのがイヤだ。

 夢のなかだと多少変なことでも受け入れてしまうことが多々あるが、これには「ヘンだ」と気づいた。


「イデくん、疲れてない? がんばったんだから、しっかり食べて、よく寝ないとね。もうすぐ本番なんだから」


 そういってアルフは次々と料理を並べていく。 

 どんな料理なのかは、夢であるせいか、よくわからない。

 ポッと自然とおいしい料理だという感想が浮かぶ。

 見目がよく箸を伸ばしてしまい、舌へ運べば満足するまで胃に収めてしまう。

 そういう料理だ。しごかれている間、アルフは毎回手の込んだ料理を用意してくれたのだ。


「甘やかしすぎるのは、ちょっと……どうなのか?」


 イデに対するような口調で、シグマが注意する。


「シグマ、気が張り詰めるのもわかるけれど、厳しすぎてはいけないよ。厳しくすること自体は目的ではないんだからね。彼はよく頑張ってるじゃあないか」

「それは認める。否定の余地はない」

「うんうん。だろう?」

「なかなか眼を見張る成長ぶり……かと。棒立ちの塗り壁から泥船程度にはなった。評価を改めないと」


 どれも実際に言われた言葉だ。

 イデは頭を抱えてしまう。

 こっそり喜んでいた自分がいたのを見せつけられるようだ。顔から火が出る。


「はっきりいって教科書に従おうとしすぎるのが難点だけれど、初々しくてオレは好きだよ」

「好き嫌いこそ、彼のためにはならない……のでは?」


 会話はまだ続く。


「やめろ、やめろ」


 必死に訴えても、イデがのたうちまわるばかりでなかなか夢から覚めれない。

 誰でもいいから助けてくれ。

 そう思っているうちに、耳に届く声があった。


「……イデさーん……」


 あやふやな声がけのなかで、自分の名前だけがはっきりと聞こえた。

 外からの呼びかけだ。気がつくと、ぼうっとした夢に浸っていた意識が浮きあがりだす。


 目を覚ますにつれ、重い鉄が上下するにぶいリズムが耳朶をうつ。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 再び眠気を誘われてしまうところを、まばたきして振り払った。



*   *   *



「ぐっすりでしたね。お疲れですか」


 座席で本を読んでいたネヴがにっこりと顔をあげて、イデを見やってきている。

 正面で向かい合って座っていると、彼女の姿勢がとてもいいことに気がつく。

 黒髪をゆるくまとめ、春風の如く穏やかに微笑み、完璧に清掃された室内で膝の上で両手を重ねる姿は、絵画が話しているようだ。

 彼女がお嬢様なのだというのを実感して、どうして一緒の空間にいるのだろう、という思いが強くなる。


「ああ、まあ」

「アルフとシグマさんに、ずいぶんこってりやられたんですって?」

「使い古した雑巾みたいに絞られた気がする」

「あらまぁ。でも、シグマさんも時々くちが悪いけれど、悪い人ではないのですよ。そこはわかってくださるとうれしいのですが」

「そいつはまあ……わかるよ」


 夢のなかでもそうだった。

 二人とも厳しいが、その分優しい時ははっきりと優しい。

 心なしかヒリヒリする手のひらをグーパーと広げる。

 夢を思い出したのと、寝顔を見られてしまったのが気恥ずかしく、ごまかすように窓に目線をうつす。

 外は、ほの暗い闇が深い霧のように広がっていた。

 時刻は夜。出発したばかりの時は、ガスライトの明かりが次々と流れていって、こっそり見とれてしまったが、今はもうだいぶ田舎の方へきたのか、あかりはもう民家のものがチラホラとかすめていく時ぐらいだ。


(おとぎ話で読んだ流れ星みたいで、珍しかったのにな)


 雲の向こうで見えるという星々が流れ落ちる様は、もうイデの祖父が懐かしそうに話すような話である。

 それでも、ものすごいスピードで動いていく光景に少しソワソワしてしまう。


(考えてみなくても、こんな上等な蒸気機関車なんか乗ったの、初めてだな)


 今、イデとネヴは蒸気機関車の座席に向かいあって腰をかけている。

 肌触りのよい赤い生地をはられた椅子は座り心地もよい。席が個室になっているのもぶしつけな視線がなくて、落ち着く。

 二人が乗っているのは、蒸気機関車「ウィップアーウィル号」。

 上流階級が愛用し、裕福な中流階級が旅行かなにかで奮発する時に乗るような、寝台車を中心に編成された夜行列車である。 


 これがネヴたち属するANFAの表の職業のひとつとして運営されているものだというのだから、驚きだ。

 潤沢な資金があると驚いたが、アルフの説明曰く、ANFAのボスの一族が元々鉄道業に関心を持っていて、震災後の混乱期に活躍したことで強大な地盤を築いたとか、なんとか。

 なんにせよ、別世界にいるようだ。

 恵まれすぎて、気持ち悪くすらある。


「落ち着かないご様子ですね。狼の件があったとはいえ、実質、初事件ですものね……」


 そんなイデをみて、ネヴが見当違いの心配をしてくる。

 まったくこれだからお嬢様は。脳天気さにあきれる。しかし、おかげで気が和らいだ。


「そんなとこだ」

「へへへ、そうですよね。流石のイデさんも、緊張ぐらいしますよねえ。ふふん。ご安心を。遠慮なく私をたよっていいんですよ、なにせ私は先輩ですからね。先輩ですからね!」

「応」


 胸を張られても、言動のせいでかえって不安だ。

 というか、下手をするとイデよりもネヴの方がテンションが高い気さえする。

 楽しそうに荷物を探るさまを見ていると、ふと、この事件について聞いた時から考えていた懸念が浮き上がってきた。


「あっそうだ。そんなイデさんに、はい、これ。アルフが作ってくれたんですよ。道すがら、おやつにでも食べなさいって。本当は乗ってすぐ食べようかと思ってたんですけど、きもちよさそうに寝てたから」


 言葉少ななイデに、ネヴは一方的に話し続ける(これはいつも通りな気もする)。

 ネヴが取っ手のついた白い紙箱から取り出したのは、クロスタータだった。

 タルト生地のうえでリボン状にクロスされた生地が、こんがりとしたキツネ色で可愛らしい。

 まんざら、夢も妄想ではなかったようだ。初めての長旅を経験するイデのため、イデが好むような甘いものを持たせてくれたのだろう。彼のエールを感じる。


「タルトに詰めたジャムはあんずですって。箱も手作りしたみたいです」

「妙なことに力いれてんな、アイツ」

「変に凝り性なんです、アルフは。私はおいしければ何でもいいんですけど」


 そういって、ネヴは早速三角に切り分けたクロスタータをつまむ。


「これからいくデイパティウムも、小さい町ながらなかなか綺麗な場所なのですよ。子どもの頃はよく町中の屋台でジェラートを食べさせてもらったものです」

 

 彼女が手に持っているガイドブックには、「Deipatium」と町の名前が書かれていた。

 機関によって大量生産・製本されたものではない。印刷した束に穴をあけ、糸で閉じた簡単なつくりの小冊子だ。

 手作りのようである。日に焼けた、古い旅のしおりだ。

 視線に気づき、ネヴは「ああこれ」と旅のしおりを掲げる。


「昔、ね。母がメチェナーデ家のお父さま、パトリツィオさんと仲がよかったから。度々あそびにいったんです。そのとき母とアルフが作ってくれたものを引っ張り出してきました」

「……そうか。いい母さんだな」


 イデは自然とそういっていた。

 自分を捨てて出て行った母だが、決して思い出がないわけではない。

 幼い頃は酒に酔って粗暴になった時の父から守ってくれた。

 捨てられたボロ布をあつめて、オモチャを作ってくれたこともある。

 けんかをすれば怒り、奨学生を目指して努力していた時は机の横に暖かいココアをおいていったのを、昨日のように覚えている。


「もうしばらくいっていないので、町並みももう変わってしまっているかもしれませんけど……だとしたら、もうこれも役に立たないかもしれません」


 黄色く変色した冊子に目を落とすネヴの顔は、笑顔ではあるが寂しそうだった。

 今まさにイデが思っていたように、思い出は無意識のうちに心身に深くしみついているもののようだ。

 今回の事件を知らされた時から薄々思っていた。もしかしたら、そのパトリツィオ家に対して、ネヴはつらい思いがあるのかもしれない。


(ガラじゃねえんだが)


 だからといって放っておくのも筋が違う気がして。

 イデは、遂に懸念を口にすることを決意する。


「大丈夫なのか?」

「はい?」


 いきなり問われ、案の定ネヴはキョトンと首をかしげる。


「だから。大丈夫なのか」

「えっ……何が? だからではなく何が……? すみません、わからないです」

「幼なじみなんだろ。その、死んだはずだけど動き回ってるっつう、ダビデって野郎はよ」

「そうですが。けど、気にしていません。思わぬ出来事なんて、獣憑きに関わっていれば日常茶飯事ですもの」

「嘘つけよ。アンタ、わざとらしいぞ。俺を迎えに来たときだって、挨拶は明るかったくせに車んなかではダンマリだったし。

 いつものアンタならヤメロっていっても、口をはさんでしゃべりそうなもんなのに」


 今だってそうだ。

 不自然に明るく振る舞っている気がする。

 そう問い詰めれば、ネヴの表情は見る間に曇る。苦笑いで腕組みをして、困ったなあ、と呟いた。


「いやあ。そんなに態度にでちゃってましたか」

「応」

「うーん。実をいうと、今いわれるまで気づきませんでした。私、気にしてたんですね。彼のコト。うん。子どもの頃だから気にしても仕方ないって思ってたつもりだったのですが」

「気まずいか」


 その幼なじみのダヴィデの家が、没落する原因はネヴにあったのだという。

 ネヴはどこか遠い目をして、首肯した。


「多分、そうなんだと思います。生きていたらうれしいなあ、とおもうんですケド。ぶっちゃけかんがえたくなかったな、って思う部分もあったりして」

「仲、よかったのか」

「そこそこ。母は異国民ですが、そっちの方での魔術師の家系で。ダヴィデくんちのお父さんと、魔術師としても、人間同士としても仲がよかったみたいです。二人が話をしている間、二人とお目付役のアルフとで遊んでいるのが常でした」

「大丈夫なのか?」


 重ねてきく。

 態度にはモロに出ているのに、妙に淡々と内心を吐露するのが、かえって無理をしているようにうつった。


「ええ。大丈夫です。イデさんもいますからね」

「なにいってんだよ。俺は……アンタの事情には関係ねえ人間だ」


 いってから、目をそらす。

 こんな言い方をするつもりではなかったのに。

 イデを好ましく思うような言い方をすると、つい信じられなくて、否定したくなる。

 イデがネヴと知り合ってから時間が経っていないのも事実なのだから、彼女の大事なぶぶんに立ち入れるような人間でもないとも思う。

 なにせ下層民出身で、こんな自分だから。役に立てることなどないのだ。

 それをいおうとしただけなのに、突き放すような物言いになってしまった。


 自己嫌悪しそうになるイデに反し、ネヴはどうしてか、一層笑みを深くする。


「いいえ。いいえ、イデさんにはまだわからないでしょうけれど。私、貴方のことが結構気に入ってる理由が、ちゃんとあるんですよ。だから、信頼してるんです、貴方を」

「……理由?」

「ええ。でもきっと、まだ信じてもらえないでしょうから。今は秘密。それにちょっと……恥ずかしいですし?」


 唇に指を当てて、これまた何故か楽しそうに目を細める。

 それが、イデにとっては話をごまかされたかのようで。立ち入れる立場ではないと思ったばかりなのに、モヤモヤとした気持ちになった。


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