第三十六話「狂い咲きオディオ」
ネヴは当惑した。ダヴィデとカミッロの行動に共感しがたかったからだ。
本命をガン無視。眼前の仇敵と殺し合う獣憑き達は、ネヴと似たようなものではある。
それでもネヴは他人の為に暴走した。
結局彼らと同じようなもの――――『嫌いな人間に、好きな人間が踏みつけにされるのが我慢ならない』というエゴだったとしても。
エゴで人を傷つける人間は嫌いだ。だからネヴは自分を嫌う。殺されるのも仕方ないと思うぐらいには。
だからこそ、一番嫌いな人種への敵意だけは捨てられなかった。他人を踏みつけにすることをなんとも思わない人間。愛憎どころか、自分のためしかない人間。
「つくづく実感します。貴方達って心底最悪の敵ですね。私の担当医が見繕っただけあります」
舌打ち混じりに言い放つ。
鋭い音には、嫌悪と不理解が滲む。あらゆる争いの原因となる感情がたっぷり詰まっていた。
悪感情に揉まれ、思考が偏る。
そのせいで彼女は気づけなかった。
「カミッロが言ってるわ。強いものを狙うより、大切にされている弱者を狙う方が楽って」
自分とまるで異なる精神性を持つ獣の行動に気づけなかった。
聞こえた声はベルのもの。
この場はネヴの世界だ、知ろうと願ってかなわぬことはない。
結論からいえばベルの声は偽物だった。
彼女は弱い獣憑きだ。かりそめの世界にて場の主であるネヴに拒絶されてなお、あらわせる意志はない。
正体はカミッロである。カミッロは人としての己の声を失って久しい。鸚鵡の鳴き真似のそれだ。
(なんのためにそんなことを――――)
そんなことを知る必要は無かった。理由はないのだから。
はっと振り向く。
「させませんよ!」
ネヴは願い、空間をねじった。
このままでは間に合わない。
自分自身である世界を暴力的に解体する行為。
脊髄を引き絞るような激痛に襲われるが、構わない。
狙う先は――イデの眼前。
カミッロはネヴより、ネヴが大切にしているイデを狙ったのだ。
ただ彼のために狂ったのなら、イデが死ねば、ネヴの心が折れるから。
見えない爆弾が破裂する。
ネヴが感じ取ったカミッロの気配めがけて放った攻撃は渦を巻いて、偽りの神の概念をすり潰す。
それでも緊張で唾をのむ。
「あっ……」
理性の一線を越えてしまえば、手に入れられてしまった強大な力。
おおよそ万能であるが、使いこなせているとはいえない。
大きなスプーンで砂粒ひとつをすくうような感覚だ。
今、もしかして。
カミッロを撃退しようとして、うっかり標的を大雑把にみつくろっていなかったか?
今、ひょっとすると……カミッロごと、イデを巻き込んでしまっていないか?
不安で不安でたまらなくなる。
「お嬢、大丈夫!」
またたくまに広がる暗雲を、暖かな呼び声が打ち破った。
「イデくんはホラ、この通り」
そちらを見れば、赤い髪の男が優雅にイデの首根っこをひっつかんでいた。
イデは驚愕とともに、憮然とした顔でのかされていた。
お気に入りの緑のコートが、一部ちぎれてしまっている。
命をかけた瀬戸際で衣服を気にするのはアルフぐらいだ。
単純に、親猫にくわえられる子猫のように一方的に助けられたのにバツが悪いのだろう。
「よ、よかったぁ……」
やはり攻撃範囲に巻き込みかけていたらしい。
しかし、アルフはネヴより早くカミッロの意図に気づいていた。
彼に、人を操るものであるゆえの切り離せない慢心はなく、未成熟な天才であるがゆえの逡巡もない。
アルフは誰より周りを理解していた。
「よかった……」
胸を撫で下ろしていると、ネヴはカミッロとダヴィデに意識をむき直す。
もしもイデが死んでしまっていたら、今まで堪えてきた善良さを捨てた意味がなくなってしまうところだった。
――――どうしてくれよう、このクズどもめ。
胃の底で煮立っていた憤怒が一層どろどろと燃えあがってきた。
「本当、よかった。安心したら無性に腹が立ってきました」
暗い瞳で睨めば、それだけでキシキシと空気がきしむ。
「いいんですよ。好きな存在に阻まれるのはいい。甘んじて受け入れよう。褒め称えさえする。
でもどうして、頑張っている真っ最中に、眼前を嫌いな存在にうろつかれなければならないのですか?」
殺そう。そう思った。
全部それからだ。世界を壊して作り替えるのはそれからでもできる。
◆◇ ◆
ネヴの心がわりに、アルフは「待ってました」とばかりに叫ぶ。
「イデくん、お嬢があの子たちに集中した! 援護しないと」
「ネヴが戦いやすくなるようにしろってことか……? いるかソレ」
「違う。ダヴィデくんを守らなきゃ」
ネヴをあやすようにいなしていた時とはまるで違う。
本気の入ったかたい言い方に、イデは目を見開いて、すぐ細めた。
「ダヴィデくんを壊させるわけにはいかない!」
「マジかよ……」
「アレは比較的平穏にコトを終わらせられる。でも対象を姉弟からお嬢に変えないと」
そこまでいわれなくても、イデもアルフの狙いがわかってしまった。
以前、はじめてダヴィデと戦った時と同じことをしようというのだ。
ダヴィデにネヴの精神を写し取らせ、自爆させる――確かにそれがアルフ達でも選べる、唯一の勝ち目に見えた。
目線をかわして目的を確かめ合う間にも、イデの周辺で不自然な衝撃波が発生する。
イデが弱点だと認識したカミッロが、執拗にイデを狙い続けているのだろう。
見えないものの、情報を解体され――人間でいうところでいえば、内臓を破壊されるようなもの――不愉快なうなり声が響いている気がする。
イデは頭を抱えたくなった。
勝ち目があるのはいい。しかし、その勝ち目が、ネヴを無視して、島民達と殺し合っているならどうすればいい?
(アンヘル姉弟は俺を狙ってて。ネヴは俺を守ろうとしてる。ネヴを倒すにはダヴィデがネヴの精神を写す必要があるが、当のダヴィデはアンヘル姉弟を殺そうと躍起――)
死体人形の頭のかたさはオリガミつきだ。
「アルフ」
イデはアルフをなだめるように声をかける。
「ほとんど不可能に近いやり方だぜ」
「わかってるよ。でもやってみないとね」
似合わない台詞だった。
アルフは諫める側の人間のはずなのに。
ぎゅうと唇を噛みしめる。
(アンタは頭がよくて、経験があるんだから。わかっているはずなのに)
イデがわかったのだから。
「なあ、やりかたなら、もうひとつあるだろ」
伝えようとしたところで、アルフはイデのもとから立ち去ってしまった。
言わせまいとするように。