第三十四話「ラジョーネとはなんだったのか」
領主たれと作られた死体人形は悟った。
この天使のような幼子達こそは、絶対に存在を許してはならぬ不倶戴天の敵であると。
常に場違いなぐらい温和だったダヴィデの瞳が冷たく沈む。
姉弟の姉のほう――ベルナデッタの無邪気さも。
まだネヴ達の手で収容される以前、街で何度か見た変化だ。
頭のなかで、卑しさからくる狡猾な計算を張り巡らせている顔だ。
「ふぅ」
ダヴィデはバターブロンドの前髪をかきあげた。
ダヴィデが今の今までベルナデッタ・アンヘルの本性に気づかなかったのには理由がある。周囲にいた他の獣憑きや島民に気をとられていたからだ。
獣憑きたちのなかでベルの異能は最弱だった。
ゆえに、ダヴィデも相手の精神を写す特性の対象として、彼女の優先順位が最低になってしまった。
「じっとしていね」
急造のゾンビを一体、ベルに近寄らせる。
男の死体だ。漁業で鍛えられた太い指をゆっくりとのばす。
野良猫を撫でる子どものように慎重な動きだった。
ベルは表情の抜け落ちた男を見上げた。見知らぬ男の意図を、まだ理解していない。唇をすぼめ、小さな顎をキョトンと尖らせている。
たかが、他人に一方通行のテレパシーを送る程度の能力だ。
手足は若い枝のように細い。そして木と違って、数分しめつけるだけで、簡単に死ぬ。ベルは他人を欲望にむかうようそそのかせても、物理的な自衛のすべを一つとして持たない。
「ごめんね」
心にもないことを言う。
男の硬直した指がきしみをあげて、少女の首に巻き付こうとした。
その時だ。
ぶちり。ダヴィデに衝撃が走る。神経を束にまとめて一息に叩き切られたようだ。
ダヴィデに痛覚を認知する能力があったなら、気絶していた。
パチクリとまばたく。
落とされたスイッチを切り直すような間を置いて、結果と原因を算出しようと試みる。
結果は目の前にあった。今しがた、少女をくびろうとさせた男が倒れていた。繋ぎ直そうにも、うまくいかない。元の動かぬ屍体だ。
「ああ、成程」
男を操る粘菌と、粘菌の『親個体』であるダヴィデの繋がりは深い。
ダヴィデからじかに粘菌をわけあった男に仕込んだ粘菌―――つまり魔術的な回路・繋がりが、断絶されたのだ。
粘菌という物理性への直接攻撃なら、まだ容易に受け流せた。
だが三次元的な実在を有さない、概念に近しい『神秘』そのものへの攻撃。
ネクロマンシーとは比べものにならないチカラによって、ひとつの存在が押し潰されたのだ。
一方的暴力。神秘を構築するにあたり、無意識の海から注がれた圧倒的な情報量。
ダヴィデは苦笑して、ヒゲ一本ない頬に手をあてた。
「本で読んだことはあったけれど、まさか実際に『神降ろし』に出会うことがあるとは」
ずっとダヴィデの対象に入っていなかったものがもうひとりいた。
弱さではなく、巨大さによって。
見上げることすら億劫になる胡乱な情報の山として。
ダヴィデはそれが行動した後で、ようやくカラの器に降りたカミがいると知った。
これで、元よりずっとずっと削られて縮小された化身に過ぎぬとは、そらおそろしい。
「今までどうして気配を隠していたんだろう。興味がなかった? なのに、そんな矮小な少女を守るためなら顕れるの? 己の偉大さの無駄遣いだね、もったいない」
「カミッロとあたしは仲がいいのよ、キョウダイだもの」
ベルは神降ろしを弟と認識していた。
弟の器に降りたカミは、虚ろな目でダヴィデを貫く。
「カミッロが言ってるわ。あんたがあたしを殺そうとしたって」
「うん」
カミがいうのだから誤魔化したとて無意味だ。
「再会したばっかりなのに、あんまりだよ。なんで?」
「君は人に暴力をふるうのは悪いことだとはいわないじゃないか。自分もやっているからかな。周りの人に害を与えるのが好きなのでしょう。善良に生きている人達に対して、いるだけで非道いから、取り除かなきゃ」
「あたしはやってないよ。周りのひとがやりだしただけ。あたしは子どもだもん。見てるだけ。あーあ、こわかったぁ。傷ついちゃった」
真っ赤な嘘だ。
ダヴィデにはわかる。
可哀想な恐怖心のかわりにあるのは、愚かな人々がつぶし合う様を見て愉悦に浸るヤジ馬根性だった。
会話しながら、もう一度這い寄らせてみたゾンビが、また潰される。
「性根が腐ってる」
「カミッロが、体が腐ってるやつに言われたくないってさ。え、そうなの?」
「ちゃんと血は循環してる。腐ってないよ」
お互い顔は笑っている。だが相手を消し去る手段を探っていた。
夕食の献立を考える感覚に似ていた。邪魔者の抹消は気軽で、それでいて必要な行為だ。
「お兄さんはあたしがキライなんだね。じゃああたしも言わせてもらう」
悪童を受け入れないダヴィデに、ベルも口角をあげる。
「そーいうさ。ろくでもないくせに、自分はイイコトしてますよって、キラキラした顔してるほうがめっちゃキモくない? 自覚があるぶん、あたしは正直だよ」
「自覚があるなら直せばいいのに」
視線がぶつかる。バチバチと火花が散った。
敵意が衝突する音。そして、ダヴィデの魔術回路に攻撃が仕掛けられる音だ。
しかし犠牲は表層のみだった。
多少の被害を認めて、受け流した。
「どうやら、かのカミの異能は生きている人間によくきくものみたいだね」
ダヴィデは死者だ。
生者の俗物的感情に振り回されることはない。
手先に過ぎないゾンビと違って、意識的に己の魔術回路をコントロールできる。
ベルが舌打つ。
死者のみを操るネクロマンサー。
生者のみを操る巫女とカミ。
殺し合いがはじまった。