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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
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第三十三話「無きて有るシェリエレ」


 イデもネヴの言うことはよく理解できてしまった。

 まるで納得はいっていないのだが、もはや躊躇っているのは一人だけらしい。

 ネヴは「いつでもこい」といわんばかりに立っている。


 真っ先に仕掛けるなら、血気盛んなビクトリアであるはずだ。

 わずかな心配とともに横目で様子をうかがう。彼女は予想に反し、一歩ひいてアルフに囁いていた。


「あなた、離れている間に何か知らなかった? アンヘル姉弟とか……ダヴィデとか」

「会ってないね。ダヴィデくんとは離されたままだ」

「そう」


 不透明な返答に、ビクトリアの顔色は冴えない。

 せっかちな彼女は、聞きたいことだけきくと今度こそネヴに躍りかかった。

 アルフが止める間もない。

 

 子猫のような風貌に相応しい、素晴しい跳躍だった。

 大きな黒い双眸が、飛び上がる獣を冷たく睥睨する。

 本来はそんな目でみていいものではない。軽業じみた身動きを支えているのは、重厚な機械の骨格なのだ。

 鉄骨が自発的に襲ってきているようなものだ。少女どころか成人男性の骨でも枝のように折れる。


 ここが非現実とはいえ、すべてがネヴの支配下にあるわけではないのは、既にわかった通りだ。

 操れないものは、例えば、強い自我。他者に抱かれた強烈な印象。

 容易く揺らがない認識――――個人の能力は、本人や他者に認識されたもののままだ。


 それをネヴは愛用の刀で簡単に受け流してしまった。

 彼女の魔眼が、なにもかも飲込む黒で艶々と輝いている。

 元より概念を視覚でとらえていた彼女だ。

 今は更に進化して、直情的な攻撃など時が止まったように見えるのだ。扱うべきちからの流れも同様である。

 舌打ちしたビクトリアの後ろから、アルフが銃を構える。


「うん……」


 アルフらしくない、誰に向けるでもない気もそぞろな呟きだ。

 次いでアルフらしく、トリガーに指をかけた。


「撃ちますか?」

「お嬢がそうして欲しいなら、といつもならいうんだけどね」


 ビクトリアへの誤射を躊躇するような可愛い性格でない点は、真っ先に理解していい。

 いつでも撃てる。だが撃たない。

 彼が当てようとして当たらないはずもなかった。

 銃口はネヴを真っ直ぐにさして、みじんもズレないのだから。


「幾つか解法じたいは浮かんでいるんだよね」

「へえ」


 アルフは迷ってはいなかった。

 ただ、見守ってきた娘の癇癪がいつも通りに収まるのを、なんとなく期待しているようでもあった。


「ただ、一つはとても嫌なやり方だ。勇者が魔王を倒すようにはいかないこともわかってる」

「……?」

「お嬢はあえて自覚しないようにしているみたいだけどね。だからもうひとつに期待しているんだけれど」


 何故か、アルフがイデをちらと見た。

 ネヴを取り巻く暴力の気配に、イデは唯一加わっていなかった。

 イデは唇を血の味がするほど噛みしめるしかできない。


「イデさん」


 明るさを失ったネヴが、心配そうに呼ぶ。


「大丈夫ですよ? あなたがしたいことをしてください。何もしないなら、それでもいいの……苦しまないで」

「…………」


 無理だ。心苦しい。一番暴力の似合う容貌と体格で、戦う意志をもとうとすらしない。情けなかった。

 無言を貫くのは、最後の理性だ。

 だが、仕方ないではないか。

 ネヴはイデを救おうとしている。


 イデとてすきこのんで、弱く粗暴な親の子に生まれたわけがなく、すきこのんで、体格に優れた男に生まれたわけでもない。

 イデのなかに、世界を守りたいという崇高な想いが宿るわけがあろうか?

 世界はずっと、イデを助けるどころか、幸福な無知さのままにイデの苦悩を軽んじ、蔑み、細やかな自尊心を持つことも許さなかったのに。

 ネヴを止めたいと思えなかった。


 イデは前に出ない。心臓ばかりがごうごうと音をたてる。

 その肩をアルフがパンと叩いた。


「ま、気が向いたら参戦して」


 笑っていた。朗らかに笑って、イデを更に後ろに引っ張り込む。

 優男風の手のひらは見た目よりずっと力強い。つんのめるようにして下がらせられると、自分より小さい背中がピンと伸びているのが見えた。


「さて。そうだ、カミッロと姉弟達の話だったね」


 唐突にアルフが話を蒸し返す。


「ここにいないということは、彼らはまだあっち側で元気でいるんだろうねえ」

「そうですね。まだだいぶお元気そうですが」


 答えたのはネヴだった。

 さなかもビクトリアから右から釘打ち機を打ち込まれる。左から蹴りが飛ぶ。


「余裕ぶらないでよ!」

「そういわれましても」


 それをワルツでも踊るように頭をゆらして、8の字のステップを描いて避ける。


「あなたはもうお元気じゃあないじゃないですか」


 どころか、ビクトリアが片足を宙に浮かせようものなら、目にもとまらぬ速さで刃を振った。

まだ開戦から三分と経っていないのに、バネと管で出来たはらわたが、たわんで空中をただよう。


 機械の体だ。常人なら死ぬ大怪我もパーツの欠損である。

 まだまだビクトリアは戦えた――万全の体調だったなら。


 彼女は現実の島で模造人格(アバター)たちとの死闘を経て、掃討を果たしたおかげで今ここにいる。

 簡潔にいえば臨死状態。もう既に一度大破して、ほぼ機能停止状態なのだ。


 ビクトリアの体重をネヴが操作できなかったことと、逆の現象が起き始めている。

 白い頬にダラダラと(オイル)が滴り落ち、したたかな目が精彩を欠く。

 虚像のなかから強靱な肉体が、『ダメージを受けた』ことで、どんどん現実のボロボロのスクラップに近づいてく。


「せっかくの数のアドバンテージを失う気なんですか? アルフ。何故撃たないのです」

「待機中」

「何を?」


 ネヴは苛々と目を細めた。


「まさかまた追加がはいると思っているんですか? ビクトリアさんと違って、彼らは来ないですよ」

 

 ネヴに嫌われているせいで省かれたダヴィデと、幼くとも凶悪な神降ろしであるアンヘル姉弟。

 普通なら心配すべき状態だ。三人の安全より、放置された彼らの前に晒された島民達のほうを。

 彼らはビクトリアと違ってどこまでも自分のあるがまま(マイペース)だ。

 アルフの端正な顔に苦笑がにじむ。


「彼らは臨死状態にはならないから、ここにはこないって?」

「招待してほしいんですか? しませんよ、嫌いだし」

「いや、勝手に来るよ」


 アルフは確信をもっていった。


「だって、あの子達は……」



◆◇ ◆



 ネヴとイデ達が幻のなかで見合っている時。

 島まで同行したが、まだ最後の戦場に辿り着いていないものがいた。


 ネヴから、生理的に性質が合致しないために、招かれなかったダヴィデ。

 別にこれといった怪我ひとつおっていないアンヘル姉弟である。


「どうしようかな」


 現実にポツンと取り残されたダヴィデは、しばしあたりを散歩していたのだが、数分で諦めていた。

 『穏やかな青年』としてプログラムされた通りに、憐れっぽく独り言をいう。

 独り言の内容も予め決められているものだ。

 周囲に反射すべき心をもった人間も見当たらないので、ダヴィデは基本的な行動原理―――ノブレス・ノブリージュに従うことにした。


「やっぱり子どもだよね。将来の可能性の種だもの」


 振り回される島民達も憐れだったが、優先されたのはアンヘル姉弟との再会だった。

 なにせ顔見知りで、協力関係である。

 見知らぬ他者より守るべき、か弱い存在だ。既に可能性が狭まった大人以上に、世界を育んでいく投資先といえる。

 

 見張り役もいなくなったことだ。

 怪物の襲撃という大規模な争いが発生したのは幸いだった。

 ダヴィデは簡単に適当な遺体を見繕い、己の腕を切り、己を動かす粘菌を直接わけて、手足となる人形(ゾンビ)を作れた。

 粘菌の培養には時間がかかるため、せいぜい片手の数が限界だったのが残念でならない。

 

 襲われれば人形達に対応させ、時に盾にすれば、島も恐れることなく探索できた。

 だから、思ったよりずっと容易く、アンヘル姉弟達に再会できた。


 再会したとき、ダヴィデに刻まれた常識的な子どもと違い、隠れていなかった。

 怯えて助けを待っているかと思っていた彼――――どちらかといえば彼女のほうが積極的(・・・)だった――――は、自由で、溌剌として、解放的な明るさに満ちていた。


 姉のベルは、近づいてくるダヴィデに気づくと、すぐに己に気づいて貰おうと手をあげた。

 健康的な愛らしささえ感じさせる破顔に、ダヴィデの美しい微笑が消える。


「あ、ダヴィデおにいちゃん。生きてたんだ」


 そういう彼女の足下に、大人がいた。

 犬のように怯えてうずくまり、正気を失った目でベルに寛容を願っている。


 思ったよりずっと、ずっと、最低の再会だった。

 ダヴィデはすぐさま、島民の心を転写した。彼らは悪魔にそそのかされたように矮小さにつけ込まれたすえ、精神を破壊されていた。

 どこにでもいる平凡で無力でなんの取り柄もない小市民達は、小市民ゆえに、蹂躙され、弄ばれ、なんの意味もなく尊厳を奪われたのだ。


 領主たれと作られた死体人形(ダヴィデ)は悟った。

 この天使のような幼子達こそは、絶対に存在を許してはならぬ不倶戴天の敵であると。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 思わせぶりなアルフの態度、ここに来て足が止まっちゃうイデ、死闘奮闘ヴィクトリア。三者三様ですごくいい……。 特にイデ、ネヴちゃんと一緒に「愛いやつ……」と思ってしまいました。彼がここからど…
[良い点] ネヴ嬢、余裕しゃくしゃくのはずなのに、ちょくちょく焦りが見えちゃうのが、さすが対アルフさんと言うか、はたまたネヴ嬢の最初からの傾向と言いますか。 ダヴィデ氏、良き領主は、領地の不穏の可能性…
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