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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
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第三十二話「ピエタ」


 新しい場所は、また見覚えのある場所だった。

 優麗な調度品たちには埃ひとつない。ならば掃除を行う使用人がいるはずだが、人の気配はかけらもしない。

 医者ドラードと手を組んで、ネヴを倒そうとした女主人の屋敷だ。


 ネヴは素朴な客人のように、階段の手すりに手をかけていた。

 女主人はネヴが、これほどの怪物になると本当に見抜いていたのだろうか。

 階段でぽつねんと立っていたネヴは、三人を見下ろす。


「イデさん、シグマさん、ビクトリア。改めてみると、奇異な組み合わせですね。私がこんなに警戒される日が来るとは」


 イデは本人がいうほど、ネヴが警戒されていない人間だとは思っていない。

 普通にテンションがおかしいし、無駄に行動力がありすぎる。

 だが確かに、彼女が見られる目は、人類に対する蹂躙者としてではなかっただろう。


「私のしていることは、あなたにとって間違っている。そうでしょう?」


 思えば、真っ向からネヴを『敵』と定めたのも、この屋敷であった。

 そこでネヴは人狼(ルーカス)の町、死と奉仕者の炭鉱と同じく、語る。 

 今までの道程を思い返す。思索を辿る。

 イデは、ただネヴをあちら側から引き戻したいだけ。だが、それはネヴが思索の結果たどりついた決断に対する、邪魔である。


「だったらやめればいいだろ。今ならまだトリスか誰かがなんとかしてくれる」


 わからないが。


「イデさん。これは一種のギャンブルですよ」

「何を賭けてるんだよ。こんなん自殺と変わらない」

「あら。いつも通りだと思いません?」


 彼女が危険な衝動に走ったことこそ、一度や二度ではない。


「私が今やろうとしていること。我ながら、正しいかなんてわからない。私はいつも自分の思想に従ってきた。だからって、他人のそれが間違っているだなんて思っているわけじゃない。だから賭け。成功するか、失敗するか」


 いいながら、ネヴが手すりから手を離した。

 そして屋敷の部屋の一つを選び、奥へ入っていく。


「なんであっても、突き通して最後まで行ってみないと結果なんて出てこないでしょう? 案外、もうひとつの道よりいい道かもしれない」


 イデ達は互いに目で確認しあい、階段をのぼる。

 まだ誰もいない。女主人の幻影は存在しない。

 本物の屋敷はどの部屋も罠といっていい出来だった。果たして、ここはどうだろう。


 扉の向こうには、どんな試練が待っているのだろうか。

 緊張とともに、ドアノブを回す。ゆっくり、見える部屋のなかの光景が広くなる。


 ちらと視界に入ってきたのは赤い色。

 ()はソファに腰をかけ、優雅に足を組んでいた。イデ達に気づくと片手をあげる。


「やあ。遅かったね、待たされたよ。青春を楽しんでいたのかい?」

「……アルフ?」


 ブランドの服でテッペンからつま先まできめた、麗しき優男。

 乱れた髪をなでつける姿さえ色気をまとう。

 いつでもイデ達を待たせた、頼もしい大人が先着していた。


 ここまで優位を崩さなかった――崩せなかったネヴが、幼子のように手をおろおろさせている。


「もうでたんですか!?」

「ああ、キャパ的にやっぱり独立思考させてるところがあるんだ?」


 激しい運動でよれたシャツを引っ張って直す。

 長い足をほどく。すっくと立てば、ネヴと互いに見つめ合う形になった。

 

「オレが何年、お嬢と一緒にいると思っているんだい? いや、正直幻覚はヒヤッとしたけれどね。そこは年の功」


 ネヴを見下ろすアルフの目は、心なしか細い。

 瞳のなかで、心配から来る怒りと悲しみの色が複雑にゆれている。


「もう一度言うけど、俺はずっとお嬢と一緒に居てきたんだよ」

「……あなたには全部わかっているでしょうね」

「うん。お嬢が俺達を招き入れて、こうして選んで追い詰めてる理由。君は昔から矛盾したことの両方を試そうとするから」


 アルフがいつものクセで、ネヴに手を伸ばす。

 ネヴは一歩ひいて避ける。信頼しているからこその心の距離。現在のネヴとイデにはまだ存在しない距離感だ。

 アルフは手のかかる子どもを見て、苦笑した。

 彼も獣憑きだ。島の惨状を見てさえ、よく知る可愛い子どもの方が重要なのだ。


 イデは気づかぬうち、拳を握りしめていたのに気づく。

 自分にはわからない。イデには、ネヴのことは。

 アルフは当然というように解答を口にする。


「俺達に殺してもらうつもりだろう? 数々の攻撃はそのため。お嬢がどうなってるか教えて、嫌われようとした」


 ネヴは小さくYESを述べた。


「お嬢はお嬢が描いた可能性を試さずにはいられない。でも満点の正解とは到底いえない。それでも今のままでは絶対にあり得ない『もしも』を、やらずに諦めるのはお嬢じゃない」

「そうです」


 常識であっても、信念の存在しないものは偽りの悪。

 狂気であっても、信念の存在するものは真実の愛。

 そう信じて、暴走するまま生きてきたのがネヴなのだから。


「だから止めて。殺して。あなたがあなたを信じた結果で死ぬのなら、私も納得できますから。逆に私が勝ったのなら、私はこの行いを完遂させるべきなのだと実感できる。そのために殺しやすいよう、嫌いになってもらおうと思って」

「はあ?」


 聞きに徹しようとしていたイデの反応に、むしろネヴの方が首を傾げた。

 

「私が負けるはずがないとでも思ってます? ここでとめ損ねたらまずいと? 本気で言ってます?」

「そりゃ、だって、今のあんたは」

「まあ。人間ほどの怪物に、私がたった一人でかなうと本気で思っていらっしゃる?」

「…………」


 こちらの言葉はイデにも理解できた。

 イデはかつて学友と家族によって心を折られた。街を一つ隣にいけば、誰にも名前を知られていないような人間達に。

 数と環境、人間の群れに壊されたのは、イデ自身のことなのだ。そしてネヴも同じだった。


「私をここまで追詰めたのは人間。私が傷つき、私の好ましい人々が傷つき、今もこうして胸の痛みを反芻しては怒りと恐怖につきまとわれている。私は人間は大好きですが、人類は嫌いです」


 経験から人間を恐れ、一方で、本能的に愛し愛されたいと欲する飢えは、アルフには理解できず、イデにしか共感できない。

 だからネヴはその時だけ、アルフではなく、明確にイデの方を見つめた。


「そうでしょう?」


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