第三十一話「ヴェルゴーニャか否かは」
吐息の触れる至近距離でなければ、顔も見えない闇。
シグマは耳をとがらせて、手足を動かし続けていた。
銃の引き金に指をかけていないほうの手は、イデやドラードの手を巧みにとる。交互に、時に連続して。
「うわあああ!」
「うるさい、先に舌に銃口つっこむよ」
抱きかかえるように引き寄せられたドラードの喉から放たれる悲鳴に、シグマは隠しもせずに強く舌打つ。
シグマの引っ張り方は乱暴だった。
髪を乱すドラードのすぐそばを、間髪いれずに屍体の爪が貫いていく。
「くたばれ、死ね、ゴミ、クズ!」
シグマは躊躇なく暴言と引き金を叩きつけた。
闇の中で動きづらいイデとドラードを誘導する姿は、ワルツを踊るかのようだった。自分より大きな男の身体を全身を使って操り、的確な射撃を放つ。
ドラードは叫ぶばかりだ。最初は数が増えただけよいと思ったのに、本当に役に立たない。
イデはまだ根性があった。
シグマに導かれても顔は外側へ向け、闇にちらつく風の音をたよりに警棒で受ける。
むしろ根性と、これまで積み上げた訓練がなければとっくに死んでいる。
「イデさん」
問いかけの終わったネヴは、時たま驚くほど優しく話しかけてくる。
「頑張ってますねえ。仕事が終わるたび、練習していた成果が出ている」
攻めには猛攻で返し、猛攻には耐え忍ぶ。
特につらいのが、ビィだった。頭上から降り注ぐ黒い鉄の脚。
時たま狙いをずれ、屍体を穿っていく。すると鶏肉に打たれる鉄串めいた光景が拝めた。
いい加減に作戦を考えねば――
イデ達は冷や汗を垂らす。そしてすっかり忘れていた。
事件を解決するために動いているのは、自分達三人だけではないことを。
「なに?」
ネヴが呼び寄せたアバター・ピアニストが、急に指揮を止めた。
不意打ちに水を浴びせかけられたように目を見開き、主人であるネヴを振り向く。
「いけない。外です――」
ピアニストは手を伸ばす。伸びた指先が、さらりと崩れる。
イデ達が驚くより早く。蜃気楼がパッとかききえるように。最初から洞窟に優美なるネクロマンサーはいなかったといわんばかりに、消えた。
「眠っていく?」
糸を失った死者達も、バタバタ倒れていった。
あっというまにつみあがる屍体の山。腐臭漂う肉塊に嫌悪を示す暇もない。
「私のアバターが眠っていく? 外の世界で誰かが倒している? 誰が」
「当然。私だわ」
一同のなかでも一際高い声。幼い少女を想起させる声とともに、黄金の槍が降る。
ネヴの反射は早く、軽々と一撃をかわした。
トンネルに突き刺さった槍は土煙をあげる。
「本当に呆れる。とっとと喰らっておけばいいのに」
砂煙が晴れ、槍の主の姿があらわになる。
小さな背丈。クラシックなメイド服。輝く髪。
ビクトリアである。
「ビクトリア。あんたがここにいるってことは、まさか」
あらたなる乱入者の背を見て、イデが感じたのは頼もしさ以前に、動揺だった。
ここに招かれたのは、屋敷に入り、「来い」と選ばれたものだ。
シグマやドラードといった乱入者は、意識が無意識の海に近いメンバーである。自我が強かに生き残っている状態では潜り込めない、無や死に近しい状態。
ということは、現実におけるビクトリアの状態も察しがつく。ついてしまう。
「ああ、馬鹿みたい。こんなことのために必死になるつもりなんてなかったのに」
ビクトリアは日常時の子ども姿だ。その両手で、ともに携えてきた黄金の槍を抱えている。
以前この鉱山で暴れた巨大な機械人形、その一部である。
装甲には汚れが見え、破壊の痕が残っていた。現実世界での激しい戦闘が反映されている。
外の世界でアバターを倒し、結果的にこちらの世界のアバターを消滅させるに至ったのは、彼女の仕業なのだろう。
「これはあの人のための仕事じゃあない。今更、あの女に一泡ふかせても無駄」
自嘲の笑みを浮かべ、ビクトリアは再び切っ先をネヴがいると思わしき場所へ向けた。
一見すれば趣味の悪い金の丸太だ。しかし、威力はおしてしるべし。
イデ達もろとも巻き込んででも、ビクトリアはネヴを狙うだろう。
「はあ。これだからあなたは苦手なんですよ」
「あたしもだわ!」
「なんにせよ、そろそろ時間の無駄でした。次に切り替えましょう」
「は?」
ビクトリアは勢いで乗り込んできて、まだ状況を理解できていなかった。
ぱちん。
ネヴの指が鳴る。